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13.渇きと、魔法の泥

「……重い。重すぎます、アレク様」


雲ひとつない青空の下、ガレの荒野に悲痛な声が響いた。 声の主は、かつて王都の騎士団で将来を嘱望された女騎士、セリア・フォン・アークライトだ。 だが、今の彼女の姿に「深窓の令嬢」や「騎士」の面影はない。


ミスリル製の軽鎧を身にまとってはいるが、その両手には巨大な木の桶が握られ、中にはたっぷりと水が入っている。彼女はそれを天秤棒で担ぎ、歯を食いしばってうねの間を歩いていた。


「あと何往復すればいいのですか……! 私の剣技で鍛えた筋肉が、水汲みだけで悲鳴を上げています!」


「あと二十往復ってところか。頑張れセリア、お前のその健脚のおかげで、カブたちが喉を潤せるんだ」


前を歩く俺、アレクも同様に天秤棒を担いでいた。 肩に食い込む重みに耐えながら、俺は額の汗を拭った。


第1章での成功により、俺たちの畑は拡張された。 ゴルド商会からふんだくった資金で資材を買い、岩盤を砕き、堆肥を混ぜ込み、耕作面積は当初の三倍に広がっている。 だが、そこで新たな、そして致命的な問題が発生した。


「水」だ。


「井戸の水位も下がってきています。これ以上、人力で水を運ぶのは物理的に限界ですよ!」


セリアが桶を降ろし、荒い息を吐きながら抗議する。 彼女の言う通りだ。 植物が育つには水がいる。特に野菜は質量のほとんどが水分だ。 これまでは近くの井戸から手作業で運んでいたが、畑が広がったことで必要な水量は指数関数的に増えた。


魔法使いがいれば「水生成クリエイト・ウォーター」で解決するだろう。 だが、俺には魔力がない。セリアは微弱な魔力を持っているが、剣の身体強化に特化しており、生活魔法は使えない。


「わかってる。だからこそ、今日から『次の段階』に進む」


俺は水を撒き終えた桶を置き、ニヤリと笑った。


「セリア、午後の水汲みは免除だ。裏の作業場に来てくれ。とっておきの『秘密兵器』を見せてやる」


   ◇


屋敷の裏手にある作業場。 そこには、ゴルド商会に無理を言って集めさせた「謎の粉」の山があった。


「これは……灰ですか?」


セリアが灰色の粉末を指差して首をかしげる。


「ああ。火山灰だ。それと、石灰岩を焼いて砕いた粉。あとは川砂と砂利だ」


俺は説明しながら、それらを巨大な木枠の中に放り込んでいく。 そして最後に、壺に入ったドロリとした緑色の液体を取り出した。


「うっ、なんですかその気配の悪い液体は」 「スライムの粘液だ。森で狩りまくって集めた」 「……嫌な予感しかしません」


俺は構わず、その粘液を水で薄め、粉の山に投入した。 そして、巨大なスコップでかき混ぜる。


ザッ、ザッ、ザッ。


粉と水と粘液が混ざり合い、灰色でドロドロとした「泥」のようなものが出来上がる。 見た目は決して良くない。いや、はっきり言って汚い。


「アレク様。まさかとは思いますが、その泥を畑に撒くつもりじゃないですよね? 堆肥作りで私の鼻は麻痺しましたが、流石にこれは……」


「違う違う。こいつは肥料じゃない。……よし、練り上がったな」


俺は練り上がった「泥」を、用意していた木の型枠に流し込んだ。 そして表面をコテで綺麗にならす。


「これは『リキッド・ストーン』。俺の前世の知識では『コンクリート』と呼ばれるものだ」


「コンクリ……?」


聞き慣れない単語に、セリアが眉を寄せる。


「この世界じゃ、建物といえば木造か、石を積み上げた石造りだ。だが、石積みは隙間ができるし、地震に弱い。加工も大変だ。だがこいつは違う」


俺は昨日、試作として作っておいた「固まったコンクリートブロック」を足元から拾い上げ、セリアに手渡した。


「持ってみろ」


「……っ!? 重い! それに、硬い!」


セリアが目を丸くした。 彼女の手にあるのは、ただの泥が固まったものには見えない。滑らかで、それでいて天然の岩石よりも密度が高く、冷ややかな硬質さを放つ人工の石塊だ。


「液体のように形を変え、固まれば一枚岩になる。スライムの粘液を混ぜることで、ひび割れを防ぎ、防水性も高めてある。こいつを使えば……何ができると思う?」


俺は荒野の彼方、北にそびえる山脈を指差した。


「水路を作るのですね」


セリアが即答した。流石は勘がいい。


「正解だ。山から雪解け水を引く。だが、ただ地面を掘っただけの水路じゃ、水が土に染み込んで途中でなくなっちまう。かといって、石を並べて水路を作るには数十年かかる」


「でも、この『魔法の泥』なら……」


「型枠を組んで流し込むだけで、継ぎ目のない最強の水路が作れる。谷があっても、橋を架けてその上を流せばいい。ローマ水道橋の再現だ」


俺の構想を聞き、セリアの瞳に光が宿った。 重労働からの解放。そして、枯れた大地に清流が走る光景を想像したのだろう。


「やりましょう、アレク様! これがあれば、ガレは本当の緑の都になります!」


「ああ。……だが、問題が一つある」


俺はため息をつき、自らの手のひらを見つめた。


「人手が足りない」


コンクリートは革命的だ。だが、その材料(砂利や砂)を運び、型枠を組み、大量のコンクリートを練って流し込む作業は、俺とセリアの二人きりでは不可能だ。 ガンテツの親父は鍛冶仕事で手一杯だし、そもそも彼は金属専門だ。


「土木作業に特化した、屈強で、文句を言わずに働いてくれる集団がいればいいんだが……」


そんな都合のいい話があるわけがない。 そう思っていた。


その時だ。 風に乗って、微かな匂いが鼻をかすめた。 腐臭。いや、これは……「死」の匂いだ。


「セリア、剣を持て」 「えっ? 魔物ですか?」 「わからん。だが、領地の境界付近で何かが起きている」


俺たちは作業を中断し、匂いの元へと走った。 そこには、俺が求めていた「労働力」と、この世界の残酷な現実が転がっていた。


   ◇


ガレの領地北端。岩場と砂漠の境界線。 そこに、茶色いボロ布のような塊がいくつも転がっていた。


「……ッ! 警戒を!」


セリアが抜刀し、俺の前に出る。 近づくにつれて、その塊の正体が判明した。


犬の顔を持つ亜人。コボルト族だ。 一般的にはCランク程度の魔物として扱われるが、知能があり、独自の言語と社会性を持つ「亜人」でもある。


だが、目の前の彼らに戦意は感じられなかった。 彼らは痩せ細り、骨と皮だけになり、ピクリとも動かない。 二十人……いや、三十人ほどだろうか。集団で行き倒れている。


魔力枯渇マナ・ドレインの影響か……」


俺は剣を収めさせ、彼らの一人に近づいた。 コボルトは土属性の魔物だ。大地のマナを糧にして生きている。 だが、この世界の大地は死にかけている。彼らの住処だった山や森も白化し、食料もマナも尽きて、ここまで逃げてきたのだろう。


「……み、水……」


一匹のコボルトが、掠れた声で呻いた。 その体は干からびた古木のようだ。 セリアが痛ましげな表情を浮かべる。


「アレク様、彼らはもう……助かりません。この状態では、ポーションを使っても体が受け付けないでしょう」


「……」


俺は無言で腰のポーチを開けた。 中には、昼食の残りの「カブ」が入っている。 生のままだが、俺の畑で採れた最高級品だ。


「おい、聞こえるか」


俺は一番手前にいた、群れのおさらしき老コボルトの口元に、切り分けたカブを押し当てた。


「食え。ただの水じゃない。命の水だ」


老コボルトは虚ろな目で俺を見たが、カブの断面から溢れる瑞々しい匂いに反応し、本能的に齧り付いた。


シャリッ。


咀嚼音。 その直後だった。


ドクンッ!


老コボルトの体が大きく跳ねた。 白く濁っていた瞳に、急速に光が戻る。 カブに含まれる高密度の栄養と、ガレの処女地が育んだ濃密な地脈のマナが、枯渇していた彼の体に爆発的な活力を注ぎ込んだのだ。


「オ……オオォォォ……ッ!!」


老コボルトは震える手で残りのカブを奪い取り、むさぼり食った。 一齧りするごとに、肌に艶が戻り、萎んでいた筋肉が膨れ上がる。 ポーション? そんな化学薬品より、俺の野菜のほうがよほど効く。


「長老!?」 「す、すごい……力が、力が湧いてくるワン!」


周囲で死にかけていた若いコボルトたちも、その匂いに釣られて起き上がり始めた。 俺は残りのカブを全て放り投げた。


「奪い合うな! 全員分ある!」


そこからは、ちょっとした饗宴だった。 餓死寸前だった彼らは、涙を流しながらカブを齧り、瞬く間に復活を遂げた。 コボルト族の回復力、恐るべし。


数分後。 すっかり元気になった(というより、栄養過多でムキムキになった)コボルトたちが、俺の前に整列して土下座していた。


「あ、ありがとうごぜぇます、人間様……! いや、神様!」


長老が地面に額を擦り付けて叫ぶ。


「我らは北の岩山を追われ、一族郎党、ここで土に還る覚悟でした。その最後の時に、こんな奇跡の果実を恵んでくださるとは……!」


「礼には及ばん。俺はアレク。ここの領主だ」


俺は腕を組み、彼らを見下ろした。 観察眼(農家の目利き)で彼らをチェックする。 太い腕。頑丈な爪。そして、地面を掘ることに特化した骨格。 素晴らしい。トラクター並みの馬力を感じる。


「お前たち、土木作業は得意か?」


俺の問いに、長老が顔を上げて誇らしげに鼻を鳴らした。


「もちろんですダ! 我らコボルトは土と共に生きる種族。穴掘り、整地、岩砕きなら、ドワーフにも負けねぇ自信がありやす!」


「そうか。なら、取引だ」


俺はニヤリと笑った。悪徳領主のような顔になっていたかもしれない。


「お前たちを雇いたい。仕事は山からの水路建設。報酬は、今のカブ……いや、それ以上の飯を腹いっぱい食わせてやる。住む場所も、俺の新しい術式コンクリートで作った頑丈な巣穴を提供しよう」


「い、いいのですか!? こんな薄汚い亜人を、領民として扱ってくださるのですか!?」


「種族なんて関係ない。働く者は食うべし。それが俺の流儀だ」


俺が手を差し伸べると、長老はその手を、泥だらけの両手で握り返してきた。


「やります! やらせてください! この命、アレク様(旦那様)に捧げやす! 一族全員、馬車馬のように……いや、犬のように働きやす!」


「ワン! ワン! ワン!」


若いコボルトたちも一斉に吠えて同意した。 その目には、絶対的な忠誠の炎が宿っている。 「飯の恩」は、この世界で何よりも重い契約だ。特に、俺の野菜を知ってしまった彼らは、もう二度と他の土地へは行けないだろう。


「よし、商談成立だ」


俺はセリアを振り返った。 彼女は呆気にとられていたが、俺と目が合うと、苦笑して肩をすくめた。


「……また、非常識なことを。亜人の群れを雇うなんて、実家の伯爵様が知ったら卒倒しますよ」


「だからいいんじゃないか。それに見てみろ、あの筋肉」


俺はすでに整地を始めているコボルトたちを指差した。 彼らの爪が、硬い地面をザクザクと掘り返していく。早い。人間十人分の働きだ。


「これで勝てる。水路ができれば、次は『田んぼ』だ」


「タンボ……?」


「米だよ、セリア。黄金の穀物だ」


俺の野望は膨らむ。 コンクリートとコボルト。 この二つの「土」の力を得て、ガレの開拓は加速する。


だが、俺たちはまだ知らなかった。 この急速な発展が、飢えたハイエナ――実家からの「悪意ある干渉」を呼び寄せることになるということを。

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