9.実食、あるいは価値観の崩壊
種まきから一ヶ月。 ガレの荒野に、収穫の時が訪れた。
「……大きい」
朝の畑に、セリアの呆然とした声が響く。
俺たちの目の前には、地面から力強く飛び出した葉の緑色が広がっていた。 二十日大根というには巨大すぎる。赤カブほどのサイズの実が、土から頭を覗かせている。 隣の畝のカブも同様だ。丸々と太り、ツヤツヤとした白い肌が朝日に輝いている。
「魔法を使っていないのに、通常の二倍……いえ、三倍の成長速度です。あり得ません」
「完熟堆肥の栄養と、地熱効果、それに魔断層に含まれるミネラルのおかげだな。予想以上の出来だ」
俺は満足げに頷き、開拓丸ではなく、手作業で最初の一株を引き抜くことにした。 茎の根元を掴む。 ずっしりとした重みが手に伝わる。
「よし……来いッ!」
スポォォォン!
小気味よい音と共に、土煙を上げて巨大なカブが姿を現した。 真っ白で、傷一つない。土を払うと、宝石のような光沢を放っている。
「美しい……」
俺は思わず嘆息した。 前世でも、これほどのカブは作ったことがない。 異世界の植物のポテンシャルと、俺の技術、そしてガレの処女地が起こした化学反応だ。
「セリア、収穫だ! 全部抜くぞ!」
「は、はいっ!」
俺たちは無我夢中で収穫した。 カゴがまたたく間に溢れ、山積みになっていく。 泥だらけの作業だが、セリアの顔に嫌悪感はない。むしろ、大きなカブが抜けるたびに「獲った!」とはしゃいでいる。完全に農作業の快感に目覚めたようだ。
◇
その日の昼食。 ボロ屋敷のテーブルには、シンプルな「カブとラディッシュのスープ」と、焼いたロックイーターの肉が並んでいた。 調味料は塩のみ。素材の味を確かめるためだ。
「いただきます」
俺たちは手を合わせ(セリアは不思議そうな顔をしたが真似をした)、スープに口をつけた。
スプーンで掬ったカブは、とろりと崩れるほど柔らかく煮込まれている。 口に入れた瞬間。
「…………ッ!!」
セリアが目を見開き、カチコチに固まった。
「……どうだ?」
俺はニヤリと笑って尋ねる。 セリアは震える手で口元を押さえ、信じられないものを見る目でスープを見た。
「甘い……! なんですかこれ、砂糖を入れて煮込んだのですか!?」
「入れてないさ。これが本来の野菜の甘みだ」
「嘘です! 私が知っている野菜は、もっと青臭くて、繊維が筋っぽくて、水っぽい味です! こんな……こんなフルーツのような味がするわけがありません!」
「魔法で数日で急成長させた野菜は、細胞がスカスカで糖度ものらない。だが、こいつはじっくりと土の栄養を吸って、寒さに耐えるために自ら糖分を溜め込んだんだ。別物になるのは当たり前だろ」
俺も一口食べた。 ……美味い。 脳髄に染み渡るような、濃厚な旨味と甘み。体が内側からカッと熱くなる感覚がある。微量だが、この土地のマナも取り込んでいるのかもしれない。 これを食べ続ければ、魔力のない俺でも少しは身体強化ができるかもしれない、と思わせるほどのパワーフードだ。
「……悔しい」
セリアが俯き、ポロポロと涙をこぼした。
「こんな……こんなに美味しいものを、私は『汚らわしい』と……。アレク様のことを、無能だと……」
「わかったら食え。泣いてる暇があったらおかわりしろ。これからもっと忙しくなるんだからな」
「……はいっ! おかわりいただきます!」
セリアは涙を拭い、夢中で皿を空にした。 その顔は、王都にいた頃の冷徹な騎士の仮面が剥がれ落ち、年相応の少女の笑顔に戻っていた。
こうして、俺たちの最初の開拓は成功した。 だが、この「異常な野菜」の存在を、世界が放っておくはずもなかった。
◇
数日後。 風の噂で、王都周辺が記録的な不作に見舞われているという情報が届いた。 そして、野菜の匂いを嗅ぎつけたのか、あるいはただの偶然か。 一台の豪奢な馬車が、ガレの領地へと迷い込んできたのである。
馬車から降りてきたのは、小太りの男。 王都で最大の商会を持つ男、ゴルド商会長だった。
「おやおや、こんな辺境に人が住んでいるとは。……おんや?」
男の鼻がピクピクと動く。 彼の視線は、屋敷の前に無造作に積み上げられた「白い宝石」の山に釘付けになった。
「こ、これは……なんと芳醇な香り……。領主様、そこの野菜を一つ、譲っていただけませんかな?」
男の目が、金貨を見る目に変わったのを、俺は見逃さなかった。 俺は食べかけのカブを齧りながら、悠然と答えた。
「高くつくぞ? なんせ、世界にここだけの『魔法の野菜』だからな」
反撃の狼煙は上がった。 ここから先は、農業ではなく「経済戦争」の始まりだ。




