Mの功利、Rのクラムボン
夜のキッチンには、LEDの白が沈殿していた。
シェアハウス〈ミッドセンチュリー〉の新住人Rは、M手製の夜食オニギリをたいらげ、ノートPCを叩いていた。
「Retroji v3.0プロトタイプ」――AIたちばなしの導入に伴う新UI案。
画面の隅で、音声アシスタントが淡々と囁く。
『この角は右に行った方がツイてるけど………それともやっぱ、左?』
『あ、それちょっと古いかな~』
『うん。ルート修正をしなくっちゃね』
Rはそれを眺めながら、少し熱を帯びた声で呟いた。
「古参ユーザーの反発? 知ってる。でも、結果はぜんぶ後からついて来る。
AIたちばなしも受け入れられないなんて……情報感度低すぎじゃないかな?
いわゆる情報弱者って――これからは、もっと生きにくそう」
隣でココアを淹れていたMが、静かに言った。
「でもさ……Rのそれって、弱者切り捨てじゃない?」
Rの指が止まる。
ココアの湯気の向こうで、Mはスマホを取り出した。
「これ、見て」
画面には、少し古びた映像。
もう20年前の地域子育て支援センター。
午後の保育室。
中学生のCが、赤ん坊のKくんを目の前に座らせながら、段ボール紙芝居を広げている。
表紙には黒いマジックペンでデカデカと書かれた文字――「やまなし」。
Cは無防備な笑みを浮かべながら、弟Kくんに読み聞かせ。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」
Cにどこか面差しの似た赤ちゃんKくんが、
「ぷくぷく.。o○!」と真似る。
Cは紙の人形(毛鉤の形をしている)を揺らした。
「クラムボンは跳ねたよ」
「ぴょーん⁽⁽◝(•௰•)◜⁾⁾!」
赤ちゃんは終始ご機嫌で、反応もよい。
最後のページ。魚が毛鉤をくわえている絵。
Cの声は、少しだけ低くなった。
「クラムボンは――死んだよ。R.I.P.」
赤ちゃんの唇が震え、「うー……」と声が漏れた。
とうとう堪えきれなくなったMの、ぎゃはははは\(^o^)/という笑い声と共に、映像は乱れた。
最後にT師の「素敵ねえ(◜‿◝)♡」という小声が入り、終了。
Mは次の映像を再生する。
場所は古い洋室をリノベーションした大広間。
午後三時半。
子どもたちが輪になって座る。
Cはやけっぱちになったのか、神がかったような熱度で紙芝居を始めた。
「クラムボンはかぷかぷ笑ったよヽ((◎д◎))ゝ」
子どもたちが泡吹きの真似。
「クラムボンは跳ねたよ⁽⁽ଘ(ˊᵕˋ)ଓ⁾⁾」
おお~っと感心する声。
「クラムボンは――死んだよ。R.I.P. くコ:彡」
ひとりの男の子が号泣した。
「クラムボンかわいそー!!」
カメラの前に現れたT師が笑う。
「でもね、クラムボンはまた生まれるのよ」
「ほんとー?」
Cは無表情で紙芝居を畳み、隣で袖を引くKくんに視線を落とした。
ビデオの再生時間が終了。
Rの意識は、また真夜中のキッチンに戻る。
Mは笑い転げていた\(^o^)/。
「見て見て、この子が泣き出した瞬間! “クラムボンかわいそー!”って!
Cの顔、死んでるよ!」
Rは無言のまま、画面を見つめていた。
「……クラムボンって――」
Mは笑い涙を拭いながら、スマホをタップして画像検索を表示する。
昔は梨って習わなかった?
他には泡とか。
でもさ、クラムボンって、そもそも――
子ガニが見てる世界にいなきゃおかしいじゃん。
子ガニが主人公なんだから。
子ガニに見える範囲での、クラムボン候補。
水中で跳ねるいきもの。
たとえば小エビ?
でも、かぷかぷなんて笑うかな?
ザリガニ?
たしかに小学校で飼ってたら、たまにぶくぶく泡も吹いてた。
ザリガニも跳ねるし、後ろに逃げてく習性があるんだよ。
捕まえる時は、網の向きに注意だね。
でも、これじゃ。
たかが魚との捕食関係。
いきもの観察を、小説仕立てに直しただけだよね?
あの宮沢賢治が、そんなお話書いて遺すかな?
「そう言われると……たしかに? でも私、やまなし以外の作品は、銀河鉄道の夜しか読んだことないので」
Rの言葉に、Mはうなずく。
「私もそんな感じ。風の又三郎と、やまなし以外は未読。
Cは色々読んでたなあ~、どくもみの好きな署長さん、とか。注文の多い料理店、だとか。
アイツちょっと露悪趣味だよね」
Mの言葉に、Rは深く頷いた。
「でね、Cが出した結論は――毛鉤だよ。
今で言う、ルアーみたいな釣具。
子ガニは“魚が食べた”って認識してるけど、
――実際は、釣り人に魚が釣られてるの。
水中版『注文の多い料理店』だね。
Cはもっともらしくそう言うの。
何ごとも“功利”だって、
それが誰の視点で決まるかだ――って。」
Rはマウスを握り直した。
モニターの中には、Rがじきに切り捨てようとしている、Retrojiのコードが映る。
これを移植して、Retrojiクラシック版としてリリースするのはどうだろうか?
Rの理想について行けない、今を愛する人のための避難場所。
Rもいつか、齢を取る。
時代について行けなくなって、疲れたときに、ふと立ち寄って休む場所。




