表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/128

Pは極秘の清掃員

 ここはR代表の新オフィス。

 地域営業から戻ったRは、入居テナントの一角――

 古めかしい雑居ビルの共用廊下で、どこか見覚えのある背中を見つけた。

 モップを押しながら、鼻歌まじりに床を磨いている。


 ――あれ、この子、どっかで見たような……?


 白いマスクの上から覗く目元。すらりとした筋肉質の腕。

 バケツの中の水を替えようとした時、こちらに気づいたのか、少年がぱっと顔を上げた。


「あ。すっげー偶然っすね、先生!」


「……え? ごめん、うちの生徒? ちょっと名前出てこなくって」


「アッハ、違います違います! 俺私立じゃないし」


 マスクを外した彼は、やはりあの“すっげー”青少年。

 Rが以前、副顧問として同行した私立高校ハンドボール部の合宿――

 そのとき練習試合に来ていた、公立高校のベンチ要員。

 彼は人一倍やかましく、熱心に敵味方を応援していた変わり者だ。


「すっげー! 神プレイ! すっげー! ナイスファイト!」


 そうだ。あの相手チームの一人だ。


「うっわ、マジ覚えてるんすか!? あんとき救急搬送寸前だった先輩の――」


「覚えてるよ。あの炎天下の試合ね。……って、ちょっと待って」


 Rは腕を組み、彼の胸元の名札を見た。

 〈清掃スタッフ P〉。勤務先名はビル管理会社。


「キミ、バイト許可取ってる?」


「え? あー……その……一応っす。一応」


「“一応”? つまり、取ってないんだね?」


 Pが目を泳がせた。モップの柄を握る手に、少しだけ力が入る。

 Rは溜め息をついた。

 今は週イチ勤務とは言え、情報講師モードの口調が、ついつい口をつく。


「キミ、公立校でしょ? いまも家計事情以外のバイトは禁止だよね。私は県立工業だったから、よく分かる」


「……すっげー、バレバレっすね」


「いや、顔つきでわかるよ。高校生って、やっぱまだ子どもだもん。あと、掃除の手際。妙に体育会系」


「うわ、先生エグい観察眼っす」


 Pは照れ笑いしながら、モップを立てかけた。

 Rは少しだけ声を落とす。


「でも、なんでコッソリバイト?」


「まー……その。ウチ、小遣い少なくて。

 ハンドボールも、どうせベンチなら辞めたら? って、両親が。

 だから退部して、今はバイトしてます。ちゃんと土日だけ」


「う~ん……そう言われると、ちょっとね……」


 Rは、廊下の端にある非常口の扉にもたれかかった。

 彼の手の甲には、清掃用洗剤でできた小さな傷。

 若いけど、責任感はある――そんな印象を受けた。


「……ただね、P君。一旦バイトやめな」


「先生ひでー、やっと見つけたバイトだよ? 履歴書だって、少ない小遣いで買って何枚も書いて…名前でも落とされて…」


「違います。ひとの話はさいごまで聞くもんだよ?

 “生活実態に基づく”理由があれば、いまは少し緩くなってる。

 ――管理会社の人、バイト禁止高校の履歴書見ても、雇ってくれてるんでしょ?

 ちゃんと話を通すの。


 それで形式的に一旦辞めて、こんどは最初から、ちゃんと手続きするの。

 まず保護者と、学校の許可を取る」


「へぇ……先生って、そういうとこ抜かりないっすね」


「まあ、週イチ私立講師でもあるからね。

 キミに極秘バイトで、事故とか、怪我をして欲しくないの。

 それにしても……このビルでバイトしてるとはね。世間って狭いな」


「マジすっげー。こんなとこで会うなんて」


 Pが笑うと、LEDの下で汗が光った。

 Rは思わず、ほんの少しだけ笑い返した。


「ちゃんと体調管理しなきゃ。スポドリ、作ってあげようか? こんどは適量で」


「うわー、あんときの会話、まだ根に持ってるんすか!?」


「そりゃあ責任感じてるからね……合宿で倒れた子、今でも思い出すよ」


 Rの声には、かすかな苦味があった。

 Pは、少しだけ真顔になってうなずいた。


「……あんとき、俺もギリだったっす。応援はホントたのしかったけど」


「いい心がけじゃん。でも、バランスだいじ。勉強もバイトも、濃すぎても薄すぎてもダメ」


「すっげー、また名言っすね」


「……だからちゃんとしなよ、“すっげー”高校生」


 二人の笑い声が、古いビルの廊下に軽く響いた。

 掃除のバケツの水面が、少し揺れた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ