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社労士Fの初出勤

 Fの初出勤日は、まだ冬の寒さが残る新年直後の朝だった。

 久々に身に纏うスーツには、いまだに違和感を覚える。

 通勤電車で腕にまとわりつくジャケット袖の感触が、Fには不快でしかない。


 彼女の新しい勤務先は、社会保険労務士法人。

 地方都市の中でも比較的静かなエリアにある。

 入ってすぐに見えるのは、L字型のカウンターと観葉植物。

 それから「今日もご安全に!」と書かれた社訓のポスター。


 受付の女性が笑顔で迎えてくれた。

「本日から勤務のFさんですね。お待ちしていました!」


「は、はいっ。よろしくお願いします……!」


 Fが軽く頭を下げると、奥から代表の社労士が出てきた。


「おはようございます。Fさん、今日からよろしくね。うちはね、堅苦しくないから、気楽にいこう」


 代表は50代半ば、眼鏡の奥の目がやけに優しい。

 壁際の本棚には『労働法全書』や『社会保険六法』といった分厚い書籍が並んでいたが、机の上にはビーグル犬のマグカップと猫のカレンダー。ギャップがすごい。


 Fは社用パソコンの初期設定や、クラウドシステムのアカウント作成を終えると、午前中は先輩社労士の仕事を見学することになった。


 画面には「給与計算ソフト」「労務管理クラウド」「電子申請」など、見慣れないタブが並んでいる。


「やっぱり人の手が多いんですね」


 先輩が苦笑して言う。


「そうなの。AIはデータ処理してくれるけど、うちの仕事は“人”がメイン。

顧客社長の愚痴を聞いたり、解雇通知された社員さんの相談を受けたり。

数字より空気を読むのが大事なの」


 Fはうなずきながら、キーボードをたたく手を止めた。

(なるほど、これがAIに駆逐されにくいとこか……)


 昼休み。

 Fは女性同僚たちと、食堂代わりの喫茶店に行く。

 サンドイッチとアイスコーヒーを前に、Fはスマホをいじりながら小声でつぶやいた。


「とりあえず初日クリア。パパとママに“ちゃんと働いてる”って報告しよ。帰りは息子にケーキ買って――」


 DM通知欄には、Rからのメッセージが届いていた。

@r_makeappmap*** がんばれF!退勤したら報告せい!


 Fは吹き出しそうになって、こっそりスマホを伏せた。

 ――まだ始まったばかり。でも、なんか悪くない。



###



 次の日も、Fは時間通りに出勤した。

 凍てつく朝の空気に白い息を吐きながら、昨日と同じ社労士法人の門をくぐる。

 しかし、その瞬間だった。


「おはようございます、Fさん。ちょっと来てください。代表が呼んでます!」


 受付の女性が慌ただしく走り寄ってきた。

 案内されるまま奥の応接室に入ると、代表が緊張した面持ちで座っていた。


「実はね、急で悪いんだけど――Fさん、今日から出向になりました」


「……え?」


「本社秘書室の欠員補充です。相手先はS不動産。

ウチの顧問先で、S家グループの中核企業。

本来はうちのベテランを出す予定だったんだけど、急遽事情が変わってね」


 何がなんだか分からぬまま、Fはデスクの私物を段ボールに詰め、漆黒のワゴン車で本社へ送られた。

冬の街を滑る車窓に、自分の表情が映る。


(ドユコト? 出向って、そんなノリで決まるの……?)


 送迎車が止まった先は、近代的なビル――S不動産本社。

 Fは、まさか自分の採用企業がS家系列だなんて、夢にも思っていなかった。


「こちらです。秘書室は7階になります」


 案内された先は、ホテルのラウンジのように静かな空間。

 書類棚も机も整然と並び、コーヒーの香りが漂っている。


 主任秘書の年配男性が、椅子の背に上着をかけて立ち上がった。


「Fさん。急にも関わらず、来てくださってありがとうございます。

実は、私が母の介護で急遽休職になりましてね……。

Fさんには本日から、うちのチームに加わっていただきます」


 繰り上げで新主任となった秘書女性と、ペーペーの若手男性。

 そこに、愛するまだ小学生の一人息子と、最近取った社労士資格を持つFが加わる――


 いまここに、即席の三人体制が発足した。


(いやいや、実務経験ゼロの私が、なんでここに?)


 戸惑うFに、新主任が言った。

「決め手はね……社長の一存だそうですよ」


「はいィ?」


「Fさんが、社長の義弟と大学同期で、しかも前職まで一緒だったとか。それを見た社長が“ぜひ”と」


 Fの思考が一瞬で真っ白になった。

 社長の義弟――その条件に合致するのは、Cしかいない。


 脳内で盛大に横転したまま、Fはぎこちなくビジネススマイルを浮かべた。


(……ちょっと待ってよC、どういうコネなんこれ)




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