守られた心の空間
冬の陽は低く、白く光っていた。
墓地の玉砂利に霜柱が立ち、踏むたびにしゃり、と音がする。
四乃は手を合わせる。
隣のCも静かに頭を下げているけれど、なんとなく落ち着かない。
「お祖父様……結婚のご報告に参りました」
香の煙がたなびく中、四乃はCの隣で微かに息を呑む。
次の瞬間、祖父の形見だという白金の指輪を兄が手に取り、淡々と二人に向かって差し出す。
――急になに?
四乃は、驚きと戸惑いで目を瞬かせる。
四乃が後ずさる前に、兄は迷いなくその指を掴み、指輪をはめてしまった。
「……お、お兄様……?」(相変わらず強引……(゜o゜;)
冷たい金属が肌に触れ、心臓が小さく跳ねる。
ありがたいのか、圧迫感を感じるのか、分からない気持ちが混ざる。
祖父の形見という重みも、四乃の心を緊張させた。
そして次の瞬間、兄がCに向き直る。
「ほら、オマエも」
「……!」
妹ならまだしも、Cにまで指輪をはめるのか。てっきり渡すだけかと……。
「素直じゃないな、オマエら~。礼くらい言ったらどうだ」
四乃は言いたくない。
しかしCは礼を言いながら握手を求める。律儀なひと、四乃はそう思いながら見つめる。
Cと兄が握手。兄一瞬フリーズ。
「お、オマエとは握手しない!!(╯°□°)╯︵┻━┻」
――えっ、怒ってる……!? そんなにCの手が冷たかったのかな……?
四乃の胸の奥がざわついた。
理由はわからない。Cのことを叱っているのか、二人の振る舞いを注意しているのか……。
目の前の兄は、言葉通りにキレているように見える。
怒りの理由はわからずとも、強い威圧感だけは確かに伝わった。
四乃はそっとCを見やる。
Cは一瞬きょとんとしたが、苦笑しながら頭を下げる。
その瞬間、四乃は、自分たちは兄の家族としての強い影響下にあるのだと感じる。
圧迫感と緊張感のなか、祖父の形見を受け取る重みも、兄の威厳も、すべてが同時に心に押し寄せてくる。
握手拒否の言葉がまだ耳に残り、四乃の心は小さく震える。
兄は一人会社へ戻るため、車で去った。
――家族って、こんなにも力を持つのか。
その後のある日、Cが突然、結婚指輪をなくしたと言い出した。
「四乃さん、ごめんなさい! 大切な指輪をなくしてしまいました。
部屋のどこかにあるはずなんですが……そうだ、四郎様にもご報告しなくては」
Cはためらうことなくスマートフォンを取り出し、義兄の四郎に電話をかけようとした。
四乃は不意を突かれ、あわててCに飛びついた。「え? 待ってください!」
こんなことを兄に知られたら、どうなるか見当もつかない。
それでも、1週間探してから四郎に謝罪の報告をするという提案をすると、ようやくCは折れた。
――よかった。まだ大丈夫。
「ああ、良かった。ありました! 四乃様、ソファの下にもぐりこんでいただけですよ」
5日後、通いの家政婦が掃除の手を止め、数日間焦燥に駆られていた四乃に向かって、笑顔で傷一つない白金の指輪を差し出した。
「それは良かった。でも、四乃さんの祖父の形見だから、もうなくしたくない。俺のだらしのなさは、一番よくご存知ですよね?」
Cはそう言って、四乃にその管理を頼んだ。
「四乃さんは、とてもしっかりしているから」
そう言われれば、断れなかった。
つけっぱなしにしていた自分の指輪も、なんとなく恥ずかしいので外した。
「私だけ着けているのも、変でしょう?」
四乃はそう言いながら、わずかに安堵した。冷たくて手洗いもしにくい、不衛生な金属の指輪から解放されるのが、本当は嬉しかったのだ。
また数日後、四乃は、もはや日課となった夫の寝顔を見てから出勤しようとした。
出かける前に夫の部屋をそっと覗く。
ピクリとも扉は開かない。
中で気配はする。
夜型のCはまだ眠っているはずだ。
枕が変わると眠れないと言い、四乃が買い替えた布団の上で、ウトウトと微睡んでいる。
「ここはお兄様の物件とはいえ、賃貸ですよ? 帰ってきたら、お説教ですね」
帰宅後、Cを待つ。遅い。
四乃はリビングに貼ったカレンダーを見る。
――義妹Iの誕生日パーティ兼
インフルエンザ快気祝い(◍•ᴗ•◍)❤
Cは12歳差の弟であるK夫妻と仲が良い。
半分親代わりなのだから当然だ。
しかもK夫妻は、高校以来の交際を経て結婚。
昔から仲良しこよしで、3人連れ立って遊園地まで行く親しさ。
当然、Cの帰りは遅い。
四乃はC側の家族たちとは、どう関わったらいいかわからない。
母子家庭で、うつの既往歴がある保育士の母。
自動車整備士の弟。その妻である准看護師。
C自身も、中古車販売店経営者。
圧倒的ブルーカラーの面々。
C以外全員高卒――いや、いちおう専門学校は出ているのだったか?
四乃も詳しくは知らない。
「ただいまー」
笑顔で帰宅したCの表情が、四乃を見た途端、真顔になった。
「おかえりなさい、Cさん。なぜ勝手に鍵をつけたんですか? 説明していただけますね?」
扉の鍵は、部屋を傷つけない両面テープ式のスマートロック。賃貸用の後付けタイプ。
「ちょっと気になっちゃって。心理的安全性ってやつ。親しき仲にも礼儀あり、っていいません?」
Cはそう言って、四乃の反応を伺うように微笑んだ。四乃は立ち尽くした。
――まるでもう、Cだけが使う書斎と寝室には、四乃の干渉を物理的にシャットアウトするかのようだ。
やんわり問い詰めると、Cは笑った。
「プライベートって、大事ですよね?
俺の母、うつ病だったから。
遺伝はしないけど、因子はあるんじゃないでしょうか?
四乃さんなら、わかってくれますよね?」
まっすぐに、やさしい声だった。
相手をたしなめるかのような、穏やかなやさしさ。
「もし望むなら、四乃さんの部屋にも同じの、設置しますよ?」
彼はそう続けた。四乃は首を否定形に振った。
気づけば、このマンションルームは二手に分かれていた。
互いの生活リズムも、個人の心の空間も、尊重される形で。




