情動のないパノラマ
――犬が月に向かって吠えた。今夜は飼い主の命日だ。
見覚えのある仙洞館付近の路上。
まだCが産まれる前の時代。
通りかかった古めかしいセダン車の前に、
一人の女ペテン師――まだ若かりし頃のT師が飛び出した。
『行ってはなんねえ!』
『きさまあ! 死にたいのか!』
セダン車の窓から顔を出したのは、
ちょっと年食った四郎――ではなく、
その祖父、故・二郎氏。齢四十代半ば。
T師は怯まず二郎氏に食ってかかる。
『死ぬのはあんたやが! 今に災いが天より降りかからん!』
S・二郎は、それを一顧だにせず出発し、
プライベートビーチの水の事故で、かえらぬ人となった。
Cは思う。
――あのオバハンも、上手く考えたもんだよな。
二郎氏がバカンスを中止すれば、起きてもいない危機を未然回避した、T師の手柄。
二郎氏がバカンスに行っても、あとで何かしら起これば、すべてT師の功績。
何ならT師に言われた結果、二郎氏はムキになって、あえて危険にチャレンジした可能性すらある。
次の瞬間、場面は唐突に変わる。
今度の場所は室内。
四乃がソファに座って、海外ドラマ配信に夢中。
Cは傍らに座り、四乃の存在を、分析するように距離と視線を測る。
情動は薄く、だが、彼女のわずかな動きが脳内で引っかかる――それが微かな期待や興味なのか、嫌悪なのか、自分でも判断できない。
『どうされました? もっとこちらへ』
四乃が手を伸ばし、Cの左手をそっと口元へ引き寄せる。
揃って鈍くキラリと光る、一対の白金指輪。
彼女と自分が身に着けたそれを眺めながら、Cは自分を俯瞰する。
――四乃に主導権を奪われそうになる瞬間、パノラマが揺らぐ。
Cは条件反射的に、自身の立場を制御する。
そして最後は、意外な穏やかさを見せる。
まだ赤ん坊の弟Kを抱き上げ、やわらかな髪を撫でる。
12歳差の幼い弟は、安心した表情で身を委ねる。
Cは全てが静まり返った森で、自分が安全な立場にあることを確認すると、自然に笑みがこぼれる。
自室の床に敷いた布団の中で目覚めると、朝の光がカーテン越しに差し込んだ。
夢の余韻が、Cの頭の片隅に残った。
「……?」
Cはなぜか濡れていた目尻を、スウェットの袖でぬぐった。




