S・四郎のマナー
S・四郎は静かにテーブルの端に立つと、Cを見下ろすように視線を送った。
「マナーとは、他人を区別するための最も“上品な”差別だ。これは、S家血統を模倣するための訓練に過ぎない」
Cは一瞬、眉をひそめる。だが四郎の言葉には、単なる戒め以上に計算された響きがあった。
まるで、軽く手を添えるだけでCの立ち位置を測り、力を見透かすかのような。
「つまり、氏より育ちだな」
四郎は微笑む。その笑みは柔らかいが、同時に余裕を漂わせる。
四郎がテーブル上のナプキンを手に取り、折り目を正す動作は、ゆっくりで無駄がない。
「ナプキンはこう折る。フランス王家が食事の際に、手を拭くために作ったマナーだ」
Cは軽く頷き、眉間にしわを寄せる。心の中で小さく毒づく。
(ふーん……しょうもな。少し煽ってやったら、この人はどうする? 破談チャンスか?)
「なるほどなるほど?
ただ、何となく便利で始めたことが、やがて形式化し形骸化する。
四郎様がおっしゃるのは、いわゆる陳腐な猿真似ですね?」
四郎の目が一瞬、鋭く光った。
「なにか、問題でも?」
肩をすくめるその所作は無邪気さを装うが、Cに向けられた視線は鋭く、微細な圧力を放つ。
「王のマネを貴族がして、貴族のマネをジョンブルがして、ジョンブルを真似たマナー講師が小銭を稼ぎ、真に受けた庶民がマネをする。
できないやつはバカにしてもいい――たかが、それしきの事」
(これは意外。うわさと違って、あまり声を荒げるタイプではないのか?)
Cの頭の中に、昔読んだ酒井美意子氏の本の断片が浮かぶ。
旧華族ながら破天荒な生涯。快活な視点で描かれた、古き良き上級国民社会。
作中の酒井氏の叔母は、まさにマナー開祖――ヨーロッパ式の礼儀作法を日本用にアレンジ、人々は大層ありがたがってそれを真似した。
国家の黎明期。西洋化されたふるまいこそが、文明人の証であった。
Cはさらに思索を巡らす。
「同じ行為でも、地位によって評価は異なる……」
(上意下達のマナー。もしこの人が始めれば称賛、俺がやれば蔑まれる。
これぞ“上品な差別”……なるほどなるほど?)
四郎は微笑みを保ったまま、ゆっくりと席に戻る。
その所作には、見下ろす優越感が確実に含まれていた。
Cは素直に感心する。
誰が言い出したかは知らないが、Cの脳裏にフィンガーボウルの寓話が思い浮かぶ。
地位の高い者が率先してマナー破り。それこそがマナー。
だがそもそも、フィンガーボウルは器が独特だ。
仮にその水を飲んでしまう客人が居たとすれば、何かしらの事情——緊張や場の不馴れ、本人すらやむを得ぬ理由、によるものだろう。
この寓話は、広く人口に膾炙している。
押し付けマナーへの反論として、ある種の浪漫を内包しているからだろう。
しかしこの寓話が示すのは、単なる人情話ではない。
マナーの評価は、個人の気質や能力とは関係がない。
人が見るのは、所詮その人の「地位」——ただそれだけだということ。
Cは小声で呟く。
「はいはい、精進いたします……」
その言葉には、面従腹背の響きがあった。




