理不尽社会の荒波
とある女子校の大講堂。掲示板には「高等部就職説明会」と貼られている。
四乃は壇上に立ち、手元の資料を時折見ながら、少し緊張した面持ちで生徒たちを見渡した。
「皆さんの先輩として、また仙洞館若女将として、観光業に携わる者の視点から、少しでも業界の魅力を知っていただければと思います」
生徒たちは静かに耳を傾けてくれた。
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業者控室用に開放された部屋へ四乃が戻ると、視界の隅に見覚えのある背格好が映った。
Cだった。
彼は先日、四乃個人の車を仙洞館まで納車に訪れた高級自動車ディーラー。
今回は、上司であるB副社長に同行してここに来ていた。
四乃は軽く声をかける。
「あら、またお会いしましたね。その節はどうも」
Cは確認していた説明資料のPC画面から目を上げ、淡く微笑む。
「恐縮です。何かありましたら、いつでもご連絡お待ちしております」
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C達の説明会は無難に進み、副社長がつい口を滑らせそうになるが、Cがさりげなくフォロー。
これ以上ボロを出す前に帰社を急ごうとCは提案するが、副社長は懐かしさのあまり、母校見学に突入した。
「はあ…懐かしい。高等部の頃に戻れたら、どんなにいいでしょう。ねえ、C君もそう思わない?
社長は若い方が素直だとか、社員の潤いだとか、いちばん若手のC君連れてけば良いカモが釣れるとか……」
「副社長、帰りましょう。お話しは車内で聞きますから」
「後輩たちが傷つくのは見たくないなあ…この前辞めた大卒のFさんですら、ああなっちゃったんだもの」
そこへ四乃が鉢合わせる。
恩師たちへの挨拶まわり中だった四乃は、気まずい空気を感じつつも、2人に背を向けた。
次会う恩師には、さりげなくご注進しなくては。
「ちょちょちょ、ちょっと! 近くでお茶でも、いかがですか?
副社長、喫茶店に寄りたいって仰ってましたよね?」
Cは必死で四乃を呼び止めた。
✴
近所にある女子校生徒たち御用達の喫茶店に三人は移動した。
B副社長はたいへん懐かしそうに窓際の席に座る。
ウインナコーヒーの香りに包まれた静かな空間で、四乃は話を切り出す。
「ああなった、とは何でしょうか?
後輩たちが傷つく、とまで聞こえた気がします。なんにせよ、穏やかではないですね」
「社長が厳しくて、みんな辞めてくの。
若手で残ってるのはC君くらいで…大卒は辞めるから、私の母校から採用して来いって…うちの夫が」
Cは片手で顔を覆った。もはや取り返しはつくまい。
四乃は地元名士・S家のお嬢様である。OGの中でもTop of Top いや、VIPか? B副社長がこんな調子では、あのまま口止めしない方がマシだった。
「副社長ぉ~、勘弁してくださいよ~」
「それは大変ですね。私、お力になれるかも知れません。
よければ詳しく教えていただけますか? Bさん。――いえ、先輩」
四乃は静かにうなずきながら、信じられないような内容でも相手を否定せず、ゆっくりと話を聞いた。
「…なるほど。要は、社長が若手ばかりに囲まれるせいで、傲慢になってしまうわけですね」
「そうなんです。みんなすぐ辞めちゃうから…もう悪循環が止まらなくって」
四乃は仙洞館の従業員一同を思い浮かべた。
年齢も経験も、若女将である四乃より上の部下が沢山いて、互いにリスペクトしながら支え合っている――というのは、いささか贔屓目だろうか。
「それでしたら、中途採用を積極的に増やすのが一番ですね。
年齢も経験も様々な人材を迎え入れれば、組織のバランスも取れます。
傲慢にもなりづらい、慣れれば現場も円滑に回るはずです」
Cが小さくうなずき、B副社長も目を丸くした。
「うん…そうかも。ありがとう、四乃ちゃん。
私、今から社長に言ってくる。C君、先に帰るね。ここのお代は、ぜんぶ私が持つから」
B副社長の翻意に見事成功し、四乃はほっと一息ついた。
これで後輩たちを理不尽社会の荒波から守ることができた。
それにしても、Cはよくそんなところで挫けず働けるものだ。
S家親戚筋のO太なら、1時間もせず泣きながら逃げ帰って来るだろう。
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「なにか事情がおありなのですか?」
「いや、正直なところ、俺だって辞めたいです。
でもまだ、中学生の弟がいるので……半分、親代わりなんです。
学費や生活費も稼がなくてはいけないので、簡単には辞められなくて」
四乃はそっと頷いた。
家庭を支えながら働く苦労は理解できる。むしろ、よく耐えているものだ、と感心する。
「それに…唯一の趣味がバドミントンでして。
でも最近、バドミントン仲間が次々と転職や引っ越しでいなくなってしまって、相手がいないんです」
四乃は軽く微笑む。自然に、柔らかく口を開いた。
「そうですか。それなら……もしご迷惑でなければ、私に教えてくださいますか?
小学生以来なもので」
Cは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに小さく笑った。
「え、本当ですか? 助かります。ぜひ、お願いします」
四乃も笑みを返す。
思いがけない形で、仕事とは別の縁ができた瞬間だった。




