合法的にぶんなぐれ
剣道の掟――礼に始まり礼に終わる。
小学生最後の年、Kは部活の地方剣道大会に臨んでいた。
会場である他県の体育館の空気は張りつめていた。
Kは竹刀をコテ越しに構える。面の向こう、相手の視線も、自分のまなざしも互いにわからない。
しかし、緊張はない。それ以上に胸を熱くする高揚のせいで。
打つか打たれるか――身に染み付いた間合いの取り方――駆け引きに勝った瞬間――打突とほぼ同時に叫ぶ――まるで宣戦布告。
相手もまた同様に技を繰り出し――Kは一本取られた。だが、打たれた頭の痛みすら苦にならない。
試合は終了。Kは一礼し、足摺りして下がる。
面を外して一息ついた。同じ小学校の部活メンバーと場所取りした廊下の一角へ戻る。
――妙だな? 兄がすぐに近寄ってきて、汗やニオイもお構い無しに抱きついてくるはずなのに。
まだ試合を観ているのだろうか? でもそんなことある? 兄はバドミントンしかしないのに。急に剣道観戦に目覚めたのか?
Kは会場へ引き返す。兄を探し、キョロキョロ人混みを探す。といっても、ほぼ関係者しかいないので、すぐに兄Cが誰かと話しているのに気がついて近寄った。
「おじさん、だあれ?」Kはいぶかしげに、小さな声で尋ねる。
兄Cはビジネススマイルを引きつらせ、眉間に皺を寄せる。内心で焦った。
(げっ、おじさん!? まずいぞK。この人は得意先の社長だし、まだ20代後半…❌)
Cは小さな声で「えっと、あの……」とたどたどしく話し出すが、言葉が続かない。手が少し震えているのが透けて見える。
その相手は、S家の四郎だった。まだあどけない小学生のKに向かって、ゆったりと微笑む。屈みはしないが、見下ろすわけでもなく、ただ自然に視線を寄越すだけ。
「やあ、Cの弟くん。いい試合だったよ。じつは私も昔かじっててね、一応有段者だ」
どうやら四郎は、おじさん呼ばわりなど全く気にしていない様子。
しかしCは、その余裕にますます焦り、視線をチラチラ四郎の手元や表情に走らせる。うわさによると、四郎がブチギレると「きさまあ!」という時代錯誤な口癖が飛び出すらしい。
「君のお兄さんの知り合いだ。たまたま昨日、同じビジネスホテルで見かけてね」
四郎の発言に、Cは心の中でガッツポーズした。
(チャンス到来! Kのおじさん呼ばわりを誤魔化して、四郎様をヨイショ。顧客離れを防ぐ…)
Cは少し背筋を伸ばし、肩を張って言葉をつなぐ。だが四郎は肩の力を抜いたまま、軽く頷いて微笑むだけで、空気の緊張を意図的に緩めている。
「そうだK! 四郎様はうちの取り引き先の社長さんだから、スイートに泊まってるんだって。昨日お部屋を見せてもらったから、あっちで一緒に写真見よう?」
「え? なんで?」とK。兄に手を引かれながら純真な目で四郎を見上げると、そこにはどこかで見たような、ぬるめの生あたたかい視線があった。
Kの頭の中で、不審者警戒アラートが鳴り響く。
いつの間にこの「おじさん」はホテルで兄と会っていたのだ? Kが眠っている間に部屋へ呼び出されるなんて――パワハラ!?
兄の勤め先はよく愚痴ってる『漆黒企業』。その取引先も、ダークに違いない!
(むむむ……これは由々しき事態だぞ。剣道を続けて、もしこの「おじさん」と地元の道場で出くわしたら――合法的に竹刀でぶん殴る!)
Kは内心で固い決意を抱き、顔には出さずに頷いた。写真の話なんて、まったく心に響かなかった。




