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透明買い物客

 より自由を謳歌し、ささいな孤独を癒やすために――

 自動車運転免許を取ろう。と、四乃は思った。どうせなら、マニュアルで。


 でも、いざ自動車学校に通い出すと、クラッチ操作はほんとうに難しく、運転教習は発進さえできずに終了。結局、通常の2倍実施した。



教習中、自動車学校の教官たちからは、

「お金のムダですよ。一度オートマで取られては?」

「マニュアルで取りたくなったら、その後でも全然遅くない」

そのように何度も変更をすすめられたけれど、四乃は首を否定形で振り続けた。


S家の財力をなめてもらっては困る。第一、これは本気の道楽なのだから、かんたん過ぎてはつまらない。



それでもどうにかたどり着いた高速道路教習は、ほんとうにドキドキした。


いつも何気なく、単なる移動手段として用いるだけだった自動車――S家の場合、そのお抱え運転手の苦労が、すこしだけ垣間見えたような気がした。



そもそも四乃の職場である老舗温泉旅館・仙洞館は、自宅と同敷地内に存在するため、四乃は毎朝、S家本邸から自転車で通っていた。



なので本来、四乃個人専用の車など、微塵も必要ないのだが、兄・四郎が自動車学校の話をききつけた。



「視野を拡げるのはよいことだ。しかし事故だけは恐ろしい」

そう言って、四乃を高級自動車ディーラーまで連れてきた。



 店の敷居をまたいだ途端。案の定、営業たちはいっせいに、上客の兄に群がりご機嫌取りに励む。きっと毎度のことながら、ご苦労、ご苦労。あとは兄が候補を決めてくれる。四乃はその中から、いちばん好みの車を選べばよろしい。






 花崗岩の床に、天井のLEDが反射していた。


 黒のSUVが中央に鎮座し、まるで芸術品のよう。



「四郎様。本日のご来店、誠にありがとうございます。そちらはお連れ様で?」



「ああ。妹だ」



 彼らの視線は、当然の如く――兄・四郎に向けられている。



 四乃は半歩後ろを歩きながら、その光景を静かに見ていた。


 営業たちの熱気、声の高さ、新品タイヤの匂い。


 ブランドや、宝飾店ならいざ知らず――こういった場では、四乃の買い物なのに、四乃が透明人間と化すのは、もう慣れた。



 そんな中で、一人だけあさっての方向を見ている営業がいた。


 Cだった。


 彼は、四郎ではなく、まっすぐツカツカと歩いて四乃の前に立つと、軽く会釈した。



「失礼。差し出がましい事をお訊ねしますが、運転なさるのは、あなた様ですね?」



 四乃の視線が上がる。


 Cは無駄に笑わず、抑えた声で続けた。



「SUVもお似合いですが、もしお出かけに使用されるなら――軽やかで小回りの利くコンパクトSUVがよろしいかと。ハンドルの位置も、ペダルの深さも、このクラスなら、あなた様の“体感”で決めたほうが。


 ――試乗、いかがなさいます?」



 兄・四郎が少し驚いたように横を見る。


 四乃は唇を動かした。


「……乗せていただこうかしら」



 キーが差し出される瞬間、他の営業のざわめきが微かに背後で鳴った。


 “抜け駆け”だ、という空気。



 けれど四乃は、ドアノブに触れながら、ガラス越しにCを見た。


 その一瞬、彼の目には商談よりも先に、


 “運転する本人の癖”を読み取ろうとする、職業の眼が宿っていた。





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