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鮮やかなる陽光

 将来かんごしさんになりたいなんて、一度も考えた事なかった。あのひとに相談しなければ、きっと今ごろ――どうなっていたのだろう?



 Iは眠くならないように、頭のなかでよく考え事をした。

 これはもう、半ば趣味。本を読むより簡単で、スマホと違って視力も落ちない。

 Iは昔ドキュメンタリーで見た、視覚困難を再現した映像データや、当事者への密着取材の内容を思い返した。


『点字はいいです。夜暗い部屋でも読めますから』



自分も点字を覚えようかと考えては、点字図書をわざわざ借りに行くのも面倒で、実行に移せた試しがない。



また自分の境遇について考える。医師会に入り、准看課程を経て、資格を取り現場へ出て――はや2年、もうすぐ3年。



 もし、未だにデザイン業への儚い夢を追い求め、非正規のアルバイトを転々としながら、あるいは貯金し、多額の有利子奨学金も借りて、どうにか美術系専門学校へ――でも、その先は? 

考えるだけムダかもしれない。お義兄さんならきっとそうする。



 ――そりゃ昔だろー。



 不意に、あの声が頭の中に蘇った。


 高校の帰り道、当時はまだ付き合ってまもない彼氏だった現在の夫と、その12歳差の兄。

将来の話をしていて、「自分には向いてない。血を見るのがこわいから」と言ったときのこと。


 あの人は笑って、「   」と言った。


 高校時代、何枚も手書きして、デザイン会社に履歴書を送ったけれど、返事はなしのつぶて。


 勇気を振り絞って電話をかけると、会社の人の声が、ひやりと響いた。



「高卒はちょっと……あと、君、外国人ですか?  名前的に」



 当時、Iはアジアンハーフの二重国籍だった。


 国籍選択を断言できず、電話口の沈黙が答えだった。


 夢を追いかける道は見つからず、義兄のあの声だけが、心の中でこだました。



 結局、看護師の道を選び、医師会の准看課程を経て現場に出た。もうすぐ三年。



 廊下に反射したLEDの明るさに、少しだけ目が眩む。


 夜もふけてきて、Iはナースステーションでカルテを確認する。それから深呼吸をひとつ。



 モニター音、遅々として終わらない点滴、薄いカーテンの向こう側。


 すべてが同じようで、でも夜ごとに違う。患者さんそれぞれの心も、肉体も。



 とつぜんナースコールが鳴った。


 たどり着いた病室。カーテンを開け、介助しながら励まし、すべてを拭き清める。



 次のナースコール。別の階のベッドから、弱々しい声。


 歩み寄ると、採卵後に安静中の患者だった。もう長いこと、彼女はこの医院に通い詰めている。



「あの、先生を……」


「大丈夫です、ちょっと気持ち悪いだけです」



 Iは体調を観察しながら、落ち着いた声で話す。


 手をそっと肩に置き、点滴の滴下速度を確認する。



「Bさんが痛みや不安で眠れないの、よくわかります」


「……ほんとですか?」



 Iは小さく微笑んだ。


 自分も、夜中に考え事をやめられず、胸がざわざわして眠れなかったことがある。


 それに、昔の義兄の声が、今も心の奥で道しるべになっている。



「はい。私も夜は、気持ちに引っ張られることがあります。ねむれなくてもいい、朝になれば、少し落ち着きますから」



 患者の肩の力が、ほんの少し緩む。


 Iは頷き、カーテンをそっと閉めた。



 病棟を歩きながら、Iは孤独を感じる。夫は今ごろ寝てるだろうか? それともまだ起きていて、夜ふかし?



 点滴、モニター、ナースコール――それぞれに注意を払いながら、Iは今日も夜を見守る。



 この仕事は、かつて追いかけた夢とは違う形で、自分を試す時間になる。


 誰かの痛みや不安を受け止めることで、少しずつ、自分の生きる意味を確かめる――そんな夜だった。




 長い夜勤の間、Iは少しだけ仮眠をとった。


 体はまだだるいが、病棟に戻れば、すぐに働く。


 朝の光が差し込むころ、夜勤はようやく終わる。



 ナースステーションで最後の点滴とバイタル確認を済ませ、自分のロッカーへ。


 肩の力を抜き、深呼吸ひとつ。



 外に出ると、朝の空気がひんやりと肌を撫でた。


 Iはふうっと息を吐き、やれやれ、くたびれたとあくびした。





 アパートへ帰宅すると、冷蔵庫に、夫手製のそぼろご飯が用意されていた。夫本体は仕事で外出中。レンジで温めて、動画を自動再生しながら食べて寝た。そして夕方―――




「Iちゃん、Iちゃん」



「んん~、まだ寝かせて……」



「焼肉食おうぜ! 兄貴が隠してた返礼品発掘した」



「また? 怒られても知らないよ」



「平気! Iちゃん居れば怒らないから! Pも呼んでやろうぜ、焼肉パーリナイ」




 懲りない夫だ。そもそも義兄は、本気なら徹底的に隠し通すか、すぐ食べてしまうの二択だろうから、これは単なる兄弟愛を確かめるための、無邪気なプロレスでしかない。


Iの弟Pの部活帰りを拾って、義兄の中古車販売店まで車を走らせながら、夫は主張する。


楽しててズルい。俺が洗車したし、ガラコも終わらせてやったのに。そんな主張を聞き流しながら、Iはカーステレオのラジオをつけた。






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