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自然教室パプティノコン

 RとMは、少し離れた林道をゆっくりと歩いていた。

 木漏れ日がまぶしく、鳥の声が遠くで響く。


 そんな中、ふいに山の向こうから子どもたちの賑やかな笑い声が聞こえてきた。


「M部長。あの子達、どっかの団体ですかね?」

「なんか自然教室っぽいね」


 二人はその声の方角へ足を向けた。


 開けた広場では、Fと息子が先ほどの子どもたちと一緒に遊んでいた。

 木登り、虫取り、名前のない即席の遊びから生じる笑い声。

 その隅でそっと見守るように立っていたのは、どこか見覚えのある老婦人だった。


 Rが目を細めた瞬間、老婦人も気づき、ぱっと笑顔を浮かべた。


「あらまあ、この間の方!」

「……街角の、占い師さん?」

「ふふ、そう。お恥ずかしい。ほんとはただの保育士なの!

 あの占いはね、ストレス発散。たまには大人同士で話がしたくなっちゃって」


 老婦人は、明るい笑い声を立てながら答えた。

 Rは少し驚いて首を傾げる。


「でも、夜の街で知らない人に話しかけるなんて、怖くないんですか?」


「そりゃあ怖いけど、怖いって感覚があるからできるの」


 老婦人の声には、どこか芯の強さがあった。


「私は補導員もやっててね。夜の街で居場所を失った子たちを探して歩くの。

 ――正しく怖がることが、大人にも子どもにも必要なの」


 その言葉に、Rはしばし黙った。


 正しく怖がることが、大人にも子どもにも必要―――

 それは一見、柔らかく聞こえるのに、どこか鋭い。


 Rは、自分がいつからか“怖さ”という感情を避けて生きてきたことを思い出した。


 大学時代、ニュースを見ては「世界は狂ってる」と思い、心を痛めながらも、結局何もしてこなかった自分。


 危険な場所や不快な人間関係を避け、情報の渦に沈むだけで、“理解した気”になっていた。

 恐怖を、知識で包み隠してきた。


 ――正しく怖がる、か。

 その言葉の“正しさ”が、Rにはまだ分からなかった。


 けれど、老婦人の瞳の奥には、ただの理想でも慰めでもない“行動の重み”があった。


 夜の街を歩く姿を思い浮かべる。

 光と闇の境界に立ち、誰かを見つけて、きちんと声をかける人。


 それは、Rが理屈では辿り着けなかった“勇気”の形だった。


「……正しく怖がるって、難しい言葉ですね」

 思わずそう口にすると、老婦人は少し笑った。


「怖さを無くすことじゃなくてね。怖いと思える自分を、ちゃんと持っておくこと。

 それが、身を守る力になるの」


 その言葉が、ゆっくりとRの中に沈んでいった。


 “自分を守るために距離を取る”のと、“相手を守るために踏み込む”のは似ているようでまったく違う。


 きっと今、Fが子どものために踏み出そうとしているその一歩も――

 きっと、怖さを抱えたままの勇気なのだ。


 RはFのほうを見る。息子と笑い合う姿。

 その笑顔の奥には、まだ痛みの残る現実がある。


 けれど、それでも外に出て、人とつながろうとしている。

 それが“救いの糸”なのかもしれない。


 ふと、夕暮れの風が頬を撫でた。

 Rは深呼吸をする。


 木々の匂い、湿った土の匂い、遠くで笑う子どもたちの声――

 それらすべてが、生きている証のように思えた。


「私の地図アプリにも、活かしたいな」


 Rの決意に、Mが「そうだね」と頷きながら、自然教室の全体を見渡した。


 子どもたちは年齢もまちまちで、保育士、看護師、大学生、高校生ボランティアが入り混じって見守っている。

 保護者の姿もあり、Fのようなシングルマザーもスタッフとして関わっているらしい。


 教育方針は、自由でのびのびしている。

 シュタイナー教育を下敷きに、自主性を重んじ、AIによるシフト調整で早朝や深夜の預かりにも対応。

 保護者の負担を減らす仕組みが丁寧に作られていた。


「フリースクールみたいでもあるね。ちょっとした山村留学っぽい」

 Mが感心して言う。

「ほんとですね」

 Rも温かい表情をうかべた。


 一方その頃、Fは保育士の老婦人と連絡先を交換していた。

 メッセージアプリに通知が光る。――自然教室、パプティノコン。


 「資料や面接の案内は公式サイトからDLできますよ」と聞いて、

 Fは胸を弾ませながらスマホを操作する。


 夕方。


 車の中では、遊び疲れたFの息子がチャイルドシートでぐっすり眠っていた。

 運転席にはM、助手席にR。


 Fは後部座席で眠る息子の柔らかい髪を撫でながら、ぽつりと口を開いた。


「……私さあ、Rを見てて後悔したんだよね」


「え?」


「高校教諭の資格、私も大学で取っておけばよかったな~って。

 職探しでいろいろ調べたけど、やっぱり“資格がないと許されない”の。

 リスキリングだの、文句言うなだの……

 まるで“母子家庭は社会のお荷物です”って、言われてるみたいだった」


 車内に少し重たい沈黙が流れる。

 Rが小さく首を振った。


「そんなこと――」


「あるよ、実際に。法律的に言えないだけ」


 Fは、窓の外の夕焼けを見つめながら、淡々と続ける。


「だったらもう、最初から書いといてほしいよ。

 “ふつーに結婚して、ふつーに子育てして、ふつーに旦那とうまくやれないと、こうなるんだ”って。

 ……晒し者みたいに」


 Mはバックミラー越しにFを見て、何も言わずにハンドルを握り直した。

 夕焼けが車窓を染め、ゆっくりと山の稜線に沈んでいく。


 Fは目を伏せながら、眠る息子の手を握った。

 その手のぬくもりが、まだ確かに彼女をこの世界につなぎとめていた。




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