「あなたに何でもしてあげる」
昼下がり。シーズンオフの別荘でホカンス。
愛犬タロウとCが陽だまりの中で遊んでいる。
タロウが膝の上で丸くなり、Cが手を伸ばして耳の裏を優しく撫でる姿。
四郎はソファに腰を下ろし、静かに眺める。
……迎えた、という言葉は便利だ。
犬を迎え、義弟を迎え、この静けさを迎える。
誰にも責められず、倫理の上でぎりぎりの幸福。
だが、思考は逸れる。
もしCが“女性”だったら――?
高級自動車ディーラー時代、あるいは自分の妹・四乃の女友達として出会い、少し歳下で、四乃よりちょい上だったら、どうなる?
――俺は保護欲と愛情の区別がつかなくなり、誘惑に負けてしまうかもしれない……。実際には、誘惑すらされなくとも。コイツには裏がある。それらを考慮すれば――ためしに俺が迫ってみれば、あるいは。
妹には責められるだろうが、社会的非難はすべて略奪女側に向く。
いや、俺が元妻を捨てたのに……? 怖い、恐ろしい。
Cが犬の耳の裏を掻きながら笑う。
その無防備な笑顔が、妄想内の自分の理性を一瞬で溶かす。
「そういうもんだしね? ……“新しい”妻を迎えるって」
新しい妻=元妻ありの前提。
倫理的に、社会的に、完全にアウトな妄想だが、理性がまだギリギリ踏みとどまる。
さらに想像は進む。
もし同性婚が可能なら、一生推せるんだが?
まあしないけど。
もしコイツが女なら、離婚して再婚すれば、一生推せるんだが?
……ブレーキが確実に効かない。恐ろしいのは、自分か? 社会か?
現実に戻れば、Cは義弟。
昼下がりのホカンスはただの静かで奇妙な幸福。
BLも不倫もない。
自宅では、今ごろ子供たちが庭で花一匁、をしている。
「花一匁、花一匁、買ってうれしい♪ 負けてくやしい――」
その歌声が風に乗り、迎えた尊さと置き去りの狂気を浮き彫りにする。
犬がくしゃみをして、Cが笑う。
四郎の妄想の幕は静かに下りる。
同じ昼下がり。同じ空の下。
タロウを膝に乗せて、ソファの端に腰掛ける四郎様(笑)を眺める。
その横顔は、静かに満足感に浸っているようで、しかし微かに眉が寄っている。
何を考えているのか――気配で分かる。
おそらく――
迎えた、という言葉が頭をよぎっているな。
犬を迎え、俺を迎え、この静けさを享受している。
だが、倫理意識が高いせいか、少し緊張も混じっている。
Cは自分の手で犬の耳を優しく掻きながら、微笑みを抑える。
四郎様(笑)は、もし俺が“女性”だったら――という妄想を隠しているに違いない。
妹の女友達として、少し歳下で、四乃よりちょっと上……
保護欲と愛情の境界線が曖昧になり、誘惑に負けるかもしれない。
うわ~ないわー、妻子もいるのにね? 倫理と理性の板挟みだ。
Cは胸の内で少し皮肉めいた声を想像する。
「そういうもんだしね? ……“新しい”妻を迎えるって」
その言葉の響きは、おそらく四郎様(笑)の頭の中でも再生されている。
まさに彼の理性と妄想が交錯している証拠だ。
きっと今ごろS家では、子供たちと使用人が花いちもんめをしている。
歌声が風に乗り、四郎様(笑)の視線がチラリと庭を向く。
「花いちもんめ、花いちもんめ、勝ってうれしい♪ 負けてくやしい――」
置き去り組の狂気と皮肉を、彼は心の奥で確かに感じ取っている。
Cは軽く笑い、犬の鼻先をくすぐる。
四郎様(笑)の妄想と葛藤を、静かに見守りながらも、必要以上には触れない。
……もし同性婚ができたら?
もし自分が女性で、離婚・再婚できるなら?
彼は確実に手を伸ばしてしまうだろう、でも俺は義弟。
すべては想像の中の危うさ。現実には手も足も出せない。
犬がくしゃみをして、四郎様(笑)が微笑む。
Cも笑う。
妄想の幕は、静かに、そして眩く下りる。
昼下がりの光が、別荘のガラス窓を柔らかく照らしていた。
犬を膝に抱くCの横顔を、四郎はぼんやりと眺めている。
静かな時間。けれど、その静けさの底に、言葉にならないざらつきがあった。
(もし俺が“誘えば”、コイツは断れない立場だ――)
一瞬、ぞくりと背筋を冷たいものが走った。
その想像の卑しさを、誰よりも自分が理解している。
S家の名と財、義兄としての立場。
どれもが相手の自由を奪う“檻”になり得る。
(そうだ。俺が恐れるべきは、コイツじゃない。……この社会の方だ)
Cが犬の耳を撫でて笑う。
その無防備な仕草を見て、四郎はようやく息を吐いた。
――触れないことが、いちばんの誠実。
そう自分に言い聞かせながら、膝の上の犬がくしゃみをするのを見守った。




