脱婚ブルース
大学の近く、少し街外れの古びたカラオケ店。
学生のころから通っていたその店は、天井がやけに高くて、どの部屋も無駄に広い。
狭いワンルームに慣れた今となっては、それだけで懐かしい空気がした。Rのお疲れ会が、ささやかながらM部長の提案で開かれていた。
「離婚じゃねえ! 脱婚だ! バツイチじゃねえ! ダツイチだ!」
マイクを握るFが叫ぶように歌う。演歌でもロックでもない、妙に魂のシャウトがこもった替え歌だ。
曲のサビでは「結婚は墓場~☠」と手振りつきで熱唱し、最後にお決まりの一節。
「産んでねぇ長男、ミルク頬張り、義実家帰れ~♪ 義母とねんねしな~!」
店内の照明がチカチカと点滅し、誰かがテーブルに突っ伏して笑い転げた。
Fの息子が、静かに母親の腕の中でまぶたを閉じる。
「ママー、ねむい。ぼくはみがきしなきゃ……」
歯ブラシの幻影を探すように、スヤァと寝息を立てた。
時計を見たFが、少し焦った声で言う。
「やば、もうこんな時間。いったん帰るね。親に預けて戻るから!」
そう言って出ていったが、結局戻ってはこなかった。
おそらく、実家で「もう夜遅いでしょ」と引き止められたのだろう。
人数が減ってしまい、間がもたなくなったM部長が電話をかけた。
「来れる? キミ呼んだら絶対来るでしょ。二次会いつもの居酒屋だから」
半分冗談、半分本気。男手があったほうが安心だから、というのが理由だった。
もちろん、そこまで治安が悪いわけではない。
ただ、女だけで深夜に飲むには、なんとなく落ち着かない。
Cが到着し、彼は残り少ないカラオケ店の利用時間で、レゲエをかけながら謎のラップを披露した。
室内はエアコンが効いているはずなのに夜風を感じ、Rは無意識に肩をすくめた。
Rは最近、転職を考えていた。
今の会社は残業が多く、平日8時間・週休二日制という名の罠。
有給は取りにくく、ポジティブ休職なんてもってのほか。
育児やメンタル含む疾患、介護以外の「余白」を認めない職場に、息苦しさを覚えていた。
居酒屋の個室で、Cが提案する。
「Rさん、情報教諭の免許持ってたよね。非正規の講師やってみたら?」
「なんで知ってるの?」とRは驚いた。
Cは軽く笑って答えた。
「同じ大学じゃん。教職課程で見たことあるよ。俺も取ったし」
焼酎グラスの氷が静かに溶けていく。
高校教職課程の膨大な単位数についてや、教育実習中の気苦労の数々、かつての学生時代に少しだけ戻るように続いた。
店を出た瞬間、街灯の下で妙な声が飛んだ。
「みーちゃった、みーちゃった! しーちゃんに言ってやろう!」
酔っ払った怪しげな初老男性が、ビニール傘を振りながら近づいてくる。
どこかで見た顔だ、とCが気づく。
「こんばんは、三郎さん」
彼はS家から勘当された元当主であり、四乃と四郎の実父だった。
しわだらけの頬に安酒の匂いを漂わせ、舌足らずに笑う。
Cはまったく動じず、涼しい顔で言い返した。
「言いたきゃどうぞ? ただのスポーツ仲間だし。
あなたは、草野球のチームメイトが異性と飲みに行っただけで騒ぐんですか?」
三郎はゲラゲラと笑い出してCの肩を組み、夜の繁華街へ消えて行った。
その横を、RとMは何も言わずに通り過ぎた。
夜の街に、Fの替え歌の残響がまだ響いている気がした。
「手相占い、いかがですか? 1000円ですよ」




