T師のはなしは信じるな
Cはクラスメイトたちの好奇心から逃れ、急な転校先からまっすぐ帰宅した。茶の間でCの母が親戚と話している。
「病院はどう? 先生はなんて?」
「少しずつ、散歩から始めてみなさいって……」
母の声は弱々しく、言葉の端が震えている。親戚はため息をつきつつも、母の肩をポンポンと叩きながら励ました。
「こういう時専業って弱いのねぇ、まさか障害年金貰えないなんて。私みたいに年取るまで結婚していなきゃダメね。あっ、責めてる訳じゃないの。あなたは何もわるくないからね」
親戚の声は優しいが、どこか遠慮がちな響きがある。Cはたった今帰ったかのように、「ただいま!」と叫んだ。茶の間の隅に置かれた古いベビーベッドで、弟のKくんがむにゃむにゃ眠っている。母はCに振り返り、安堵の表情を浮かべた。
次の日、母はひとりで駅前まで散歩に出た。
秋の風が、商店街の雑踏を抜ける。
ふと、掲示板に貼られた見慣れないポスターが目にとまる。
【ストレス家庭を生き抜くあなたへ──心の癒し講演会】
ひときわデカデカと記された【入場無料】、近々近所の公民館で開催されるようだ。
ーーー講演会当日、公民館の小ホール。
家庭心理アドバイザー:T女史の声が、マイク越しに響き渡る。話は自己啓発めいた教訓や、まるで落語のようなオチがついた軽妙なエピソードトークに彩られ、会場の主婦たちの笑いを誘う。
彼女達はうなずいたり、クスッと笑ったり、時おり涙をこぼす。
その頃母は、意を決して弟のKくんを古いベビーカーに乗せ、親戚宅から会場まで、小学生のCを伴って歩き出した。
受付女性が会場のドアを開けた瞬間、ぐずり出したKくんに、母は怯んだ。だが、壇上のT女史が「子供は泣くモン! 気にしないで、ガッハッハ!」と豪快に笑うと、会場が一気に和んだ。
T女史の親しみやすく温かい雰囲気に、母は胸をなで下ろした。受付女性に促され、Cも母の隣の席に座った。Kくんは母の膝上できょとんとし、ようやく落ち着いた。
話は半分も聴けなかったが、講演会が終わると、T女史が母に近づいてきた。ニコニコしながら、母の前に屈み顔色を見る。
「あらっ、アナタ大丈夫? ちょっと元気なさそうね。よかったら話、聞かせてちょうだい? ワタシじつは占いも得意なの! ぼうやはここで弟くんと待っててね、受付のおねえさんが見ててくれるから。さっ、ちょっとだけだから。行きましょ」
控室に案内された母は戸惑いつつも、ぽつぽつと身の上話を始めた。
実家との確執ーー結婚の失敗ーー義母との関係ーー夫の無理解と予期せぬ高齢妊娠ーーそして医者にすら言えなかった、深い悩みーーどうしても末子Kがかわいいと思えないこと。
T女史は時おりタロットをめくりながら、真剣に耳を傾け、「そりゃアナタわるくないじゃない」と頷く。
その声には、押しつけがましさのない人の血が通っていた。
数週間後、T女史は地方ドサ回り講演会を終え、Cの母へ連絡を入れた。
「ねえ、どうせ生活保護受けるなら、ワタシが民生委員やってる地域に来ない? まるで都会には空がないーー智恵子抄みたいで放っておけないの!」
もちろん、親戚の方にもちゃんとご挨拶するし、連絡もバッチリ取れるようにする。不安なら、いつでも帰れるよ。まずはお試しで、どうかな?
T女史の声は真摯で頼り甲斐があった。母は受話器を握りしめ、心が揺れた。実家との確執や、親戚の遠慮がちな励ましが頭をよぎる。どうせなら
誰もいない新天地でーー新しい一歩を踏み出す勇気は、まだほんの少ししかなかった。




