推しは推せるときに推せ
「O太!タクシーを呼べ!総合病院で検査入院だ!」
四郎の声が会食の席に響く。
一同ざわめく中、Cは目を丸くして――
「エ、エエ?! ぜったい上手くいくと思ったのに……!」
四乃は、驚きと涙をこらえきれずに立ち上がる。
「Cさん……今は病院に行きましょう。
お医者さまに話したら、きっと心も落ち着きます。
私も同行しますから!」
その真っ直ぐな声に、その場の何人かが、思わず涙ぐむ。
しかし当の四郎は、顔を引きつらせながら思う。
(ち、違う……そういう意味じゃないんだ……!
これは俺の推し活の終焉を阻止するための、緊急医療行動なんだ……!)
そこへ――
「タクシーが参りました。お急ぎ下さい<( ̄︶ ̄)>」
O太が現れ、わざとらしく爽やかな笑みを浮かべる。
(お前……わかってて言ってるな?)
四郎は、無言で睨みつけた。
S家親戚や、長年仕える重役たちが、小声でさざめき合う。
「やっぱり母子家庭だから……」
「たしか母親もうつ病だとか」
「遺伝かも知れませんよ。あんな騒ぎを起こすなんて、もう普通じゃない」
「本人も“離婚したい”なんて言ってるなら、むしろ助けてやった方がいい。
四乃様もまだまだお若いし、今どきなら再出発できるだろう」
(きさまらあ! ……聞こえているぞ。いや、聞こえないふりをしているだけだ)
四郎の喪服の胸ポケットの中で、指先が小刻みに震える。
それを抑えながら、淡々と湯呑を置く。
「……皆さま、どうかそれ以上はお控えください」
声は静かで、抑制が効いていた。
だが、目の奥は冷えている。
「“遺伝”という言葉で片付けられるものではありません。
あの者は、常に人を思いやる。
今日の件は、心が擦り切れただけのこと」
しん、と空気が張りつめる。
年長の重役が咳払いをし、話題を変えようとするが、
S家親戚筋のO歌が、まだ納得していないように口を開く。
「でもねえ……四郎お兄様、社長のあなたがかばうと、
余計に世間は誤解しますよ。
“S家は隠蔽体質だ”って」
(隠蔽? ああ、そうだな。
お前たちにとっては、“厄介事”のひとつでしかないんだ)
しかし四郎は、ほんの一瞬だけ笑みを浮かべ、
「ご忠告、感謝します」とだけ答えた。
その笑みの奥で、心の声が続く。
(俺が隠したいのは、Cの“問題”じゃない。
Cの“孤独”だ。
——あんなもの、誰にも見せてたまるか)
会食はそのままお開きとなり、片付けもひと段落した頃、四郎の私用スマートフォンが震えた。
画面には「総合病院」の文字。
一瞬、息が止まる。
(……早いな)
人払いも忘れ、廊下に出て通話ボタンを押す。
「はい、私です。……ええ、分かりました」
静かな応答。
だが医師の口調には、どこか慎重な響きがあった。
『ご本人は現在、安静にしておられます。
脳に異常は見られませんでした。
知的や発達、精神的徴候もありません。
極めて落ち着いた受け答えでした。
四乃様より法事でなにがあったか聞かされていなければ、ふざけるんじゃありませんと家に帰すところでしたね。』
「……そう、ですか」
四郎は、普段はかけない眼鏡の奥でまぶたを閉じ、
わずかに眉間を押さえる。
『狂気的演出、おそらくは人格障害から生じたものかと。
詳しくは検査する必要がございますが、どこまでが演技でどこまでが真実か――
ご本人の非協力的態度からも、診断は難しい。
ですが、ご家族の方には、過度に詰め寄らず、静かに支えてあげてください。』
「家族……」
小さく反芻した。
(俺は……家族、なのか?)
『それと、ご本人が——あなたに会いたいと』
息が、止まった。
「……私に?」
『はい。“四郎様に伝えたいことがある”とだけ』
通話の終わりに医師が静かに告げた。
『今夜は、まだ面会時間を少し延ばせます。お急ぎであれば——』
「……すぐに伺います」
通話を切る。
廊下の灯が、いつもより冷たく感じた。
(伝えたいこと——何だ)
(離婚のことか。それとも……俺が“説破”と応じた、あの瞬間か)
外に出ると、風がやけに生温い。
喪服の襟を整え、タクシーを呼ぶ指先が、かすかに震えていた。




