橋の上の約束
朝霧がまだ川面に揺蕩う時間だった。コンクリート橋の下で少年が二人、釣り糸を垂れていた。
錆びついた手すりにもたれかかる翔太と、泥だらけの靴を爪先立ちさせて水面を覗き込む健二。同じ中学に通い始めて一年が経とうとしていた。
教室では互いに違うグループに属しながらも、毎週末のこの場所だけが彼らの秘密基地だ。
「今日こそデカいやつ釣るぞ」と意気込む健二に、翔太は黙って頷いた。
二人とも口下手で、特に深い会話を交わすわけではなかった。それでも沈黙の中で伝わるものがある。その静かな時間が心地よかった。
◇
中学三年の夏、健二の転校が決まる。突然の知らせに翔太は驚いたものの、「元気でな」とだけ告げて送り出した。
それから数年、連絡先も知らず音信不通となったまま時が過ぎた。高校を卒業して就職した翔太は、ふとしたきっかけで地元に戻る。古びた橋は再開発の波に飲まれ、取り壊される運命にあった。
解体作業が始まったある日、見慣れた後ろ姿を見つけた。汗まみれで重機を操作する青年。それは健二だった。二人は十数年ぶりに言葉を交わす。
健二は建築現場の作業員として働いているのだと言う。「お前は?」と尋ねられ、翔太は小さく笑った。
「駅前の工事現場で設計図引いてる」
思い出話もそこそこに別れようとする健二を翔太が呼び止めた。
「この橋さ、壊れる前に最後に一緒に見に来ないか?」
次の日の午前零時、工事用フェンスの隙間から二人は侵入した。懐中電灯の光の中、かつての釣り場だった場所に立つ。
「変わらないな」
健二が呟いた。
「いや……」
翔太が夜空を見上げる。
「星が見えるようになった。あの頃はもっと街が明るかったな」
沈黙が流れる。やがて健二がポケットから紙切れを取り出した。
「これ覚えてるか?」
そこには子供の字で書かれたメモがあった。
《約束:一生友達》
「引っ越し直前にここに埋めたんだ。忘れてただろ?」
悪戯っぽく笑う健二に、翔太は胸が熱くなる。
「バカだな……そんなの忘れるわけないだろ」
声が震えた。十年以上の時を経てもなお鮮明だ。この無言の時間が彼らにとって全てだった。
◇
翌朝、橋は崩落した。轟音と共に鉄骨が倒壊していく様子を遠巻きに見守る群衆の中に二人の姿がある。
翔太は携帯電話を取り出しメールを打つ。
「今度の土曜日どうだ?久しぶりに飲みに行こう」
返信はすぐに来た。
「もちろん。あの店で待ってる」
工事車両の騒音の中、健二の笑顔だけが静かに輝いていた。変わる街並みの中で変わらないものもある。
少年たちが交わした小さな約束は、大人になった彼らを確かに繋いでいた。
「俺たちさ」
歩き出す翔太の背中に健二が声をかけた。
「橋がなくたって大丈夫だよな」
振り向いた顔に笑みが浮かぶ。
「ああ。いつだって繋がってる」
彼らは肩を並べて歩き始めた。新しい橋が架かるその日にまた会おうと。そして言葉ではなく、心で交わしながら。




