18話「穏やかな時間という幸福」
あれからどのくらい日が経ったのだろう。
もう厳密な日数は思い出せない。
ただその中でも確かなことは新しい暮らしに徐々に慣れてきたことだ。
「ごめんなさいねぇ、マリーさん」
ディコラールの家には数人のメイドがいる。
あくまで決まった時間だけ働いてくれている形で、一日中いるわけではないのだけれど。
最近はその人たちの手伝いをすることがちょっとしたマイブームとなっている。
「本当に、もう、無理しなくていいのよぉ」
「いえ。やりたくてやっているので。大丈夫です」
「ならいいけどぉ」
「どんなことでもできることはやりたいなって、そう思うんです」
「優しい娘さんねぇ」
強制したわけではないとはいえ、ディコラールに住まわせてもらっていることは事実だ。それゆえ、毎日だらだらしているわけにはいかない。いや、べつに、実際に彼から何か言われたわけではないのだけれど。周りは皆優しいし、私に労働を求めはしない。けれども、だからこそ、その温かな空気に甘えてはいたくないのだ。
「洗濯の次は――」
「今日はこの辺りでいいわよぉ」
「他にはないですか」
「マリーさんはそろそろゆっくりしてちょうだいねぇ」
「ですが」
「あのねぇ、実はね、ディコラール様から言われたのよぉ。あまり仕事させすぎないようにって。マリーさんは真面目な方だからこそ、って、ディコラール様言ってたわぁ」
気を遣わせてしまったのだろうか?
だとしたら申し訳ない。
心優しい人である彼に色々考えさせるというのはこちらとしてもあまり喜ばしいことではない。
「そうでしたか……では少し休憩します」
「それがいいわぁ」
「ありがとうございました」
「お茶でも淹れてくるわねぇ」
ここは一旦休憩するべきかもしれない。
「そんな! そこまで甘えることはできません」
「いいのよぉ」
「ですが、本当に、迷惑を掛けるのは嫌なのです。どうか私のことは気にしないでください。お仕事を増やしてしまうのは申し訳ないです」
「うふふ。やっぱり優しい娘さんねぇ。でもいいの。これはわたしがしたくてしていることだから。迷惑とかそういうのではないのよぉ」
家の中へ入る。メイドの女性は「そこに座っていてちょうだいねぇ」と柔らかく言ってくれた。私は取り敢えず椅子に座って待機しておく。女性は一度部屋から出ていったけれど、少しすると戻ってきた。
「どうぞぉ」
「ありがとうございます」
手渡されたのはアイスティーだった。
「良い香りですね」
「うふふ、そう言ってもらえると嬉しいわぁ」
女性が淹れてくれる紅茶はとても良質であった。
そもそも茶葉が高級品なのかもしれない。
けれども彼女の腕前もきっと関係しているのだろう。
「とても美味しいです……! ありがとうございます」
「マリーさんにそう言ってもらえると嬉しいわぁ」
「私もいつかこんな美味しい紅茶を淹れることができるようになりたいと素直にそう思います」
美味しい紅茶というのは素敵なものだ。
それはもうただの飲み物ではない。
飲む者の心に無数の煌めきを宿してくれる、それが美味しい紅茶。
ホットにしても、アイスにしても、その魅力的な香りと味わいは飲み手に多くの幸福を与えてくれる――自然と笑みが湧いてくるような、深い幸福を。
「マリーさんは温かい紅茶の方がお好きだったかしらぁ?」
「冷たいのも飲みやすいです」
「アイスティーで良かったかって今になってふと思ったわぁ」
「美味しいです、冷たくって。さっぱりしてとても心地よいです」
「うふふ、なら良かったわぁ」
「本当に……ありがとうございます、素敵な時間を」
「いいのよぉ。むしろいつもお世話になっているのはこちらだもの。少しでも、お礼がしたいわぁ」




