ハデス寮はお前を歓迎する
『お母さん元気ですか?無事サトー王立学園の入学手続きを終え、寮の部屋を手配されました。個室でなかったのは嫌ですが、上級生とうまくやっていくつもりです。今は、書類の整理も終わり暇になりしたので手紙を書いてます。まずは筆記、剣術、面接、全てにおいてサポートをしてくれたお母さんに感謝を。あの門を潜ってからというもの喜びで頬が綻んで上手く喋れません。
思えば、ここまで漕ぎつけるまで長いようで短かったような気がします。何せ、受験準備に要した5年に対し本番の受験本体の時間はたったの4日味気なくなるのも無理もありません。父のような騎士を目指すと私が言った瞬間、お母さんは私を図書館に連れてくれました。出られないように鍵を閉めたのは今でも許せませんが、それでもその選択は正しかったと思います。お陰で筆記試験の結果は上々でした。しかし、この学園の試験は度を越した難しさをしているらしいです。気を抜くつもりはありません。
ところで、お母さんが最も危惧していた適性試験でしたが、どうやら杞憂でした。水晶玉を触るだけで済みましたからあの異常な筋肉トレーニングは必要なかったようです。
そろそろ、敬語を使うのも疲れて来ました。私は必ずやり遂げます。父のような立派な騎士になって帰って来ますのでどうか待っていてください。手紙は何かあったら送ります。』
「おい、新人何やってるんだ?」
埃被った、ハデス寮の狭い一室125号室で――一通り挨拶と自己紹介を終え俺は少し憂鬱になっていた。ハデス寮の正面玄関は中々の高貴さを保っていたが、少し廊下に入るとただのゴミ山だった。寮内自治を体現しているということはサトー学園に入る前から知っていたが、こんなディストピアな世界になっているとは思わなんだ。
俺は入り口の方を見やる。2年生のセイズとか言ったか、俺との同居人のうちの一人だ。目が細く顔のパーツの印象はどこも異常に薄い。常に仏頂面なので本当にのっぺらぼうのようだった。
俺の手紙を摘み上げ細い目をさらに細めて中身を読み始めた。
「手紙を書いてます……返してくれます?」
「ふーん……親への感謝ね。良い心がけじゃん?名前は……」
「ハンニバル。」
「あぁそう、ハンニバル……ハンニバル……変な名前だな。」
セイズ先輩は頬をポリポリと掻いた。田舎者と馬鹿にした様子は無かったから、俺は何も言わないでおいた。セイズは手紙を机に置いた。
「まぁいいや、頑張れよ、でもあんまりハデス寮の輩の前では頑張るなよ?あいつらはお前みたいな奴が大っ嫌いだからな。」
「そうですか?俺は俺みたいな奴が好きっすけど……」
「……何言ってんだ?まぁ壁を知ることは大切だからな、一年もすれば色々と分かるだろ。そしたらそんな恥ずかしい口も叩けなくなるさ。」
セイズ先輩は誰かに呼ばれたらしく、「やるべきことは明日伝えるから……」とフラフラと何処かへ消えてしまった。
「言うだけ言って……」
入学初日にこんな目に遭うとは思わなかった。水晶玉にも潜在値オールE(最低値)と映し出されていた。審査官はそれを見た途端、俺と目を合わせることもしなくなった。寮の先輩たちについてはまだ分からないが、俺に期待をしていないみたいだ。
俺はこれまで相当な努力をしたつもりだ、それでも序列最下位の寮……心が折れそうになる。
「だがなぁ、俺は数値なんて信じてねぇぞ。そもそも合格するのも難しい最難関校じゃねぇか!まずは合格を喜ぶべきだ。それにな俺は大英雄ジュドーの息子だ。いずれ騎士団長になる。今に見てろ。」
世界は広いなと、3人部屋にしては狭過ぎる125号室の本棚の隙間を見ながら思った。
※※※※
埃っぽい部屋の中で寝たものだから、咳と鼻水が止まらなかった。ちなみに俺のベッドは3段ベッドの最下段だ。つまり最も埃が溜まる場所ということだ。有難迷惑としか言えないのだが、ベッドが隣接している壁には窪みがあり、それを机にすることができる。
換気をすれば良いじゃないかと一時は思ったが、窓が壊れていて開かなかった。
ベッドの外にも机があるのだが、そこはあまりに散らかっているために勉強なんて、できたものじゃなかった。
つまり、俺はこの埃っぽい二畳にも満たない空間の中で殆どの時間を過ごすことになるということだ。
「掃除してぇ」
思わず口に出てしまった言葉を「うるせぇ」と一蹴される。起床時間になるまで音を立ててはいけないというのが"ここ"の掲示板に書いてあった。
起床時間には整備されていないであろう鐘から金切り声が響く。サトー学園初日の喜びで、飛び跳ねながら起きて、制服に早着替えしたわけだが、「遅い!」とセイズ先輩じゃない方の上級生に言われた。
どうやら俺以外の同居人は外に並んでいるみたいであった。急いで、その隣に並び彼らと同じように姿勢を正した。
「おはよう新人ようこそ、ハデス寮の目覚めは最高だろ?」
仏頂面で話しかけてきたセイズ先輩はつまらなそうに愚痴を垂れた。気さくなのか、気難しいのかよく分からない奴だなぁと思っていると、もう一人の上級生はヨランと言ったか……は厳格そうに「黙れ」と言い放った。
「ヨラン先輩はいつも気が立ってるけど気にするなよ?あの人にも色々あったから……」
昨日セイズ先輩が参考にならない助言をしてくれたのを思い出す。ヨラン先輩が気難しい人間ということは顔の皺の数が物語っていた。これで4年生(20)なのだから相当な老け顔だ。おかめ納豆のような顔をしたセイズ先輩とは大違いだ。
「服装検査だ。」
5時半の起床時間からざっと1時間は経っただろうか……ヨラン先輩のいう通り、いかにもと言ったか強面の風体の男達三人が廊下を闊歩していた。
125号室――つまり俺たちの部屋のところで止まりヨラン先輩、セイズ先輩、そして特に俺をジロリと睨め付けた。
俺はあまりの迫力に息を呑んだ。が、眼光を光らせ続けただけで俺に何もしたりせず「新品はいいな」と低い声で言っただけだった。それから、「食事だ」と短く言ってその場をさっていった。
セイズ先輩はあくびをしながら部屋に戻り、二度寝をし始めた。
「食事じゃないんですか?」
ヨラン先輩に聞いてみると「その通りだ」と短く答えた。
「行かないんですか?」
「馬鹿が、まだ出来てない。お前ら一年が作るんだ。」
「はっ?」
「お前ら、一年が、作るんだ。」
まるで、巻き戻されたように無表情で言われて俺はハデス寮というものを少し理解した。ヨラン先輩の表情は分からなかったが何故か不機嫌になっていることは分かった。俺は鼻水を啜りながら厨房に急いだ。
汚らしい厨房にはまだ何も知らない無邪気な犬のような顔で辺りを見回している奴らばっかりだった。こいつらは俺と同じ一年ということになる。分かりきったことだが女の子は何処にもいない。俺は近くにいる気の弱そうなやつの肩を叩いた。
「おい、お前も一年だよな?厨房に着いたのは良いけど何したら良いか分かんなくて、教えてくれねぇか?」
「…………ハデス寮だけは嫌だったのに。」
ぶつぶつと上の空でそんなことを言っていた。
程なくして、コック帽を被っている太った男が姿を見せた。コック帽のやつは、早々に怒号を発した。
「テメェら!なんで作業してねぇんだ!ここに今日のメニューは書いてあるはずなのにな!初日だからって容赦しねぇぞ!!まだ、貴族のいいとこお坊ちゃんのつもりなら、犬と子作りさせるぞ!!」
メニューは黒板に小さな文字で書かれていた。どうやら今日は玉ねぎスープらしい。コック帽のやつは見たことのない機械を叩いて注意を引いた。
「いいか!料理は肉体労働だ!都会暮らしで体力の無いお前らにはピッタリな仕事だろう!ここの機械に必要な材料を入れて、味覚メーターが、右に振り切るようにするんだ!あとは粉砕し、分配し、並べる!簡単だろう?」
「すみません、それじゃあ僕たちの始業式が間に合いませんよ!」
一年生の一人が噛み付くように言った。骨のある生徒だなあと見ているとコック帽は笑った。
「俺様!ドグマはな!最高学年だが、6年間一度も始業式に出たことがない!何故かって?俺にとって料理は天職だからだ!テメェらは自分たちを受け入れてくれたハデス寮に捨てて、甘やかされに学校へ行くのか!」
当たり前だよ!と心の中で愚痴りながら、コック帽――ドグマ先輩がまだ学生であることに驚いた。ハデス寮の生徒は皆老け顔なのだろうか。さっきまでドグマ先輩に噛みついた一年生は青ざめて作業を始めた。
俺も、倉庫から自分よりも重いのではないかと錯覚するほどの塩の俵を運んで俵ごと機械の中に入れた。(ドグマ先輩にそう指示された)すると、機械のメーターはどんどんと右に触れていく。メーターの真ん中に赤い線が引かれてあるのだが、これは一体なんなのだろう。
「パンも焼け!可能な限り焼くんだ。ハデス寮民は常に空腹だ!人数分の5倍は用意しろ…………返事は!!」
「「「イエス!ドグマ!」」」
足腰の弱い連中はフラフラとよろめきながら半泣きで叫んでいた……。倉庫と厨房を行ったり来たりしている間に一年生と連携が取れた気がした。俺たちの間には謎の連帯感が生まれていた。
「材料投下ヨォォォシこれから粉砕の作業に入るお前らハンドルを回せぇ!」
「人力かよォォクソがぁ!!」
俺たちは巨大なハンドルをぐるぐると回して粉砕機のピストンを動かした。鈍い金属の衝突音を聞きながら、一心不乱に回した。始業式に間に合わせたかったからか、それともドグマ先輩の怒号でかはわからない兎に角俺たちにはこの仕事は一刻を争う大仕事に思えた。
何故に俺たちが入学初日の早朝にこんな肉体労働をしなければならないのか……そんなこと考える余裕は今の俺たちにはなかった。
「腕が千切れても回せ!回し続けるんだ!」
「「「イエス!ドグマ!!」」」
こうして俺たちは半狂乱になりながらおおよそ200名の寮生のために身を粉にした。
「粉砕やめぇぇぇい!!玉ねぎスープ完成だ!」
「「「よっしゃぁぁぁ解放されたぁぁ!」」」
俺たち一年は抱き合って完成を喜んだ。まだ始業式まで時間がある。俺たちは勝利を確信した。
よろよろした足取りで食堂の椅子に座り、疲労のあまり、机にうつ伏せになった。ハデス寮生は目を伏せじっと震えていた。隣にいたセイズ先輩は目を伏せたまま俺に尋ねてきた。
「おい、メーターは右に振り切っていたか?」
俺はあまりの真剣な口調に「あ、ああ」と気圧されながら答えた。
「朝っぱらから終わりの始まりだ……。」
セイズは仏頂面のまま唇を震わせた。俺は嫌な予感がした。何故、パンがあそこまで必要だったか。そして何故、一年を除く寮生全員が目を伏せていたのか。理由はすぐに分かった。
――――玉ねぎスープがしょっぱすぎたのだ
不定期なんで期待しないでね