信号さえ変わらなければ
[最後のデート]
「プレゼントですか?」
「、そんな感じですね」
まだ明るい時間帯、そんな会話が花屋で繰り広げられていた。
暗い夜に光る信号機。
乾燥した空気。
良く晴れた夜空にはよくできた大きな満月が飾られている。
赤信号の前、一人の女性が足を止めた。
小さい花束を持って、何かを思うように見つめる瞳には赤い光だけが灯っていた。
赤信号を見て止めた足。
片手しかはまっていない手袋。
夜の視界に光る信号機、全ては一年前と同じだった。
ただ一つ違う事は、隣には誰もいないと言う事、ただそれだけ。
一人しかいない道路には、私の涙を掬ってくれる人はいなかった。
一年前の同じ時間。
私は恋人とこの道を歩いていた。
自慢げに話す植物の話。その声色はとても穏やかだった。
ふわりとした茶髪を帽子の中にしまい、丸まった頭。
少し赤くなった手。ゆっくりと伸ばした指が当たった手は思いの外冷たかった。
まるで雪を触っているかのように。
ゴツゴツした手と手を繋ぎ、手袋を片手分差し出す。驚いたような嬉しそうに笑う顔。
そんな彼は信号機の前足を止めた。
赤信号が主張している道路。
私と彼は一緒に信号が変わるのを待った。
たわいのない会話。
植物やご飯。いつもは長く感じる待ち時間もあっという間に過ぎていく。
次第に信号が青に変わる。
いつもみる歩いている人のマーク。
手から温もりが消える。私は温もりを話してしまった。代わりに走る足音が耳に入る。
「早く行こう!君からのプレゼント早く見たい」
元気な声を出して走り出した彼はライトに照らされていた。
太陽のように子犬のように笑っている彼。だけど私は笑えなかった。
先に歩き出した彼は気づかなかったのだろう。
横から照らされる強いライトに。
私の声が届く前に、私の手が伸びる前に…一瞬にして眩しいライトが視界を覆った。
二度とみる事のないくらい眩しい光は絶望を与えるのに十分だった。
次に目を開けたとき、さっきまで立っていた人影は見当たらなかった。
あの足音も、笑顔もどこにもなかった。
代わりに見えるのは倒れた人影に大型トラック。
ただでさえ寒い体温が一気に冷える。背骨が氷柱になったように冷たかった。
急いで駆け覗いた彼の顔。
握った手は完全に冷えきって、瞳は何も写していない。
だけど笑っていた。
幸せそうに、ありがとうと言わんばかりの笑顔。
血が流れる体、泣いた私の涙が地に落ちる。
そこにも私の涙を掬ってくれる人はいなかった。
冷たくなった私の手は何度もアスファルトを叩いた。擦れ傷できようと血が出ようと気にしなかった。
そんな中、無情にも信号機は動き続ける。
静寂な深夜0時、後悔と悲しみの泣き声が響いた。
彼の笑顔も、子ども体温も、怖がりなところも全部全部好きで堪らない。
そんな好きなものがなくなった私の心には、何も残らなかった。
あの信号が青に変わらなければ、トラック運転手がもっと注意していれば、
あの手を私が離さなければ……。
山程ある後悔。でも最後によぎるのは彼の笑った顔。いつもとは違う儚さを持っていた笑顔。
時計は、後一分で日を跨ぐと表している。
時計は0時を表した。だけど、世界が変わるわけではない。
いつもと変わらない夜の空気は流れ続けた。
そして、日を跨ぐと同時に信号が赤に変わる。君が越えられなかった日の境目を私はまた越えてしまった。
目に映るのは暗い夜に光る赤い信号機だけ。
君の後ろ姿はもうどこにも見えなかった。
誕生日プレゼントを見せてあげる事もできなかった。
「happy birthday」
私の声は無情にもその場に散っていった。
返される事は決してなかった。
信号機の麓に花を添え、私は帰路へと着いた。
小さなハーデンベルギアの花束だった。
誰もいなくなった信号前。
何も変わらず信号は動いていた。
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