8 一番星のクズ
「レオく~ん。レオ~」
ベッドから、瀕死の蛙のような呼び声が聞こえる。
「はいはい、今行きますよ」
レオは果物や水をトレイに乗せて、ベッドの上のアレキのもとへ行く。
「ぎぼち悪いし、頭痛いよぉ」
「あんなに泥酔するから。どれだけ呑んだんですか」
アレキはまたしてもヘベレケで帰って来て、二日酔いの醜態を晒していた。
「どうしてそんなに限界まで呑むんです? 体を壊しますよ」
アレキは青い顔をして起き上がり、水を飲み干した。
「俺が遊んでると思う?」
「遊んでますよね?」
「違うよぉ。情報を集めてるの!」
「情報?」
「クズの情報さ」
レオはハッとした。命令の洗脳はクズの悪党にしか使わないと、以前アレキは言っていた。
「それって、洗脳を掛ける相手……カモを探していると言う事ですか?」
「そうだよ。カジノとかパーティーとか、オークションとかさ。遊ばないと入らない情報がいっぱいあるんだ」
レオは急激に興味が湧いていた。
「ど、どんな? どんなカモなんです?」
「俺は貴族のボンボンで、目立ちたがり屋のバカで賭けが大好きって設定なんだ。クズにとって俺は最高のカモだから、それに寄って来るのがカモさ」
「カモだらけですね……」
客観的に見て、アレキの風貌や言動は確かに貴族のボンボンぽいし、バカ……に見える時もあるので、それはカモが寄って来そうだと、レオは内心思う。
「とんでもないクズ野郎が俺をカモにしようと、ゾッコンなの。賭けで勝ったり負けたりしながら、クズな関係を構築してるんだ。そいつは大酒呑みだから、同じぐらい呑まないと信用されないって訳さ」
掌大の葡萄の半切りを、スプーンですくいながらアレキは説明してくれる。
レオは前のめりになって、ベッドの上にほぼ乗っていた。
「そんでとうとう、奴の屋敷で開かれる、秘密のカジノパーティーに招待されるとこまで行ったんだ。ここまで来るのに、金も時間もかかった~」
間近まで顔を近づけて話に食いついているレオを、アレキは向いた。
「あのね、レオ。俺がいつもこんなスイートルームに泊まると思ったら、大間違いだよ?」
「え?」
「今回は相手の貴族を信用させるために、旅行中のボンボンがスイートルームに宿泊してるって設定だから、高い金を払って滞在してるの」
「そ、そうだったんですか」
「普段は安宿に泊まる事もあるし、酷い時は野宿もあるからね?」
「師匠が、そんな生活できるんですか?」
野宿をするアレキが思い浮かばなかった。
アレキは大きなクローゼットを指す。
「あそこに入ってる、バカでかトランクを持って来て」
レオが言われるがままにクローゼットを開けると、確かに異常に大きなトランクが現れた。アレキの側まで引きずって中を開けると、パンパンに荷物が詰まっていた。それは服、服、服。
「何これ……農民の服に、兵士の制服、これは……ピエロ??」
「街中で大道芸人のふりをする時もあるからね」
「ええ!? 嘘でしょう!?」
「本当だよ。俺は詐欺師だって、言ったでしょ? 貴族もやるし、農民もピエロもやるの。情報ってのは、いろんな手口で確実に仕入れるんだ」
レオは唖然とした後に、笑いがこみ上げていた。アレキの農民もピエロも面白すぎて、笑い転げる。
「その街の一番のクズを炙り出す為なら、俺は浮浪者でもモグラでもやるよ」
レオは笑いを止めて、アレキを見上げた。
「どうしてそこまでして、クズを探すんですか?」
「クズから巻き上げた金を、あるべき所に移す。その街の困っている人達にね。そんでクズの根性を更正する。そうしたら、街がちょっとは綺麗になるだろ?」
レオは再びベッドに登った。
「ねぇ、師匠。そんな大変で危険な道を選ぶなら、いっその事、王様にでもなって平和な国でも築いたらどうです?」
「それはアレキサンダーじゃないんだ」
ポカンとするレオに、アレキはトランクを指した。
「底に本が入ってるから、取って」
レオはトランクの底を探って、一冊の本を取り出した。
「アレキサンダー航海記……」
レオがアレキを振り返ると、葡萄を食べ終わって再び横になっていた。
「頭いたぁ……ちょっと寝る……」
言いながら、眠ってしまった。
レオは窓辺に移動すると、本を開く。それは教科書と違って、児童書のような物語だった。
破天荒で大胆で、剣術の達人アレキサンダーが船に乗って大航海をして、行く先々で悪党を打ちのめし、弱きを助け、女に惚れて、振られるお話だ。金銀財宝は弱き者に投げうって、アレキサンダーは旅を続ける。
「これって……」
レオは途中まで読んで、眠っているアレキを振り返った。
「師匠は、この本の通りに行動している? 何で??」
確かに面白いし、爽快だし、アレキサンダーは魅力的だ。だけど本をなぞってその通りに生きるなんて変だし、聞いた事が無い。質問したい相手が眠っていて、レオは生殺しのような気持ちでベッドに登った。
「ねぇ、師匠」
ぐっすりと眠っている。こうして見ると案外幼い顔をしていて、学生服を着ていてもおかしくない気がしてきた。
「師匠って、いくつなんだろう。大人に見えたり、子供に見えたり、不思議な人だな」
顔を覗き込んでいると、アレキは眠りながらレオを引き寄せて、ぬいぐるみのように抱きしめた。コアラの赤ちゃんのようになったレオも、急激に心地良い眠りに襲われて、2人はそのまま一緒に眠ってしまった。
「はぁ~、生き返ったっ」
ハーブや花が浮かんだ風呂に、アレキは浮かんでいる。頭をバスタブの淵に置いて、長い髪をレオが洗っている。2人は眠りから覚めて、一緒に入浴していた。
「レオ君、洗髪が上手だね」
「それで、続きを聞かせてくださいよ」
「うん。そんでね、そいつは貴族の権力を使って、この街の殆どの農地を独占してるんだ。農地を高額で貸し出す代わりに農民をこき使って、搾取している。農奴ってやつだね」
「酷い奴ですね」
「移動や職替えも禁止されて、結婚や恋愛までも制限がある。それに重い年貢があって、食い物を作っているのに農民たちは飢餓の寸前だ。人権が無いのさ」
「酷い……何て奴だ」
思わず手に力が入って、アレキの髪を引っ張っていた。
「イタタ!」
「あ、すみません」
慌ててお湯で泡を流すと、レオもバスタブの中に向かい合って入った。
「レオ君にこんな酷い話を聞かせるのはさ、躊躇しないためにだよ」
「躊躇?」
「俺は奴から根こそぎ財産を奪うつもりだ。その時にレオ君が同情しないようにさ」
「しませんよ、そんな奴!」
レオの瞳が怒りで燃えていて、アレキは笑って頭を撫でた。
「奴はクズの癖に芸術が好きでね。屋敷には、もの凄い数の絵画や銅像、宝飾がある。レオ君はそれを全部、収納できるかい?」
「はい。空っぽにできますよ」
「ふふふ、いいね!」
アレキはバスタブに腕を掛けて、天を仰いで笑った。
「俺は土地の権利書と、持てるだけの貴重品をかっぱらおうと思ってたんだけど、レオ君がいたら無限大に盗めるぞ!」
「お任せください」
アレキは顔を正面に向けて、真剣な顔になった。
「レオ。俺は奴に幾人ものハニートラップを掛けられたが、全て同じ理由で断ってるんだ」
「はにーとらっぷ?」
「高級娼婦さ。女スパイは常套手段なんだ。相手の懐を探ったり、弱みを握るのに」
「どういう理由で断ってるんです?」
「俺が少年を好きという理由でさ」
レオはギョッとして絶句した。
「スイートルームに少年を囲ってゾッコンだと、奴は知っている。だから女に興味を示さない、変態ボンボンだと納得してるんだ。カジノパーティーには、君を恋人として連れて行くよ?」
絶句したままのレオの顔を見て、アレキは吹き出して笑う。
「レオ。君は時に恋人であり、弟であり、息子なんだ。何にでも化ける覚悟はしてくれ」
レオはバシャ、と顔にお湯を掛けて、毅然とした。
「悪党を懲らしめる為なら、僕だって何にでもなります」
アレキは満足顔で頷いた。
♢ ♢ ♢
翌日の夜。
アレキとレオは長期滞在したスイートルームの片付けをしている。
バカでかトランクと、札束、貴金属、貴族の衣装、教科書、剣術の道具。
「いや~、レオ君がいると助かるわ。毎回、移動のたびに持てない物を手放すのは大変だったからね。特に今回は荷物が増えたな~」
「僕のために買ってくれた物もいっぱいありますから。僕が全部収納して、ずっと大切に使いますよ」
レオは習った教科書を大切に束ねた。
殆どの物をレオの異次元の扉に仕舞うと、スイートルームは綺麗さっぱりとなった。
「師匠。ホテル代はちゃんと払うんですね」
「勿論。ホテルは悪党じゃ無いし、お世話になったからね。特にあのホテルマンは、俺を何度も運んでくれたからチップを弾まないと」
アレキは念入りにレオの髪を綺麗に整え、ブラウスのリボンをベストな形に結び直している。豪華な羽が付いた帽子を斜めに乗せ、懐から小さな仮面を取り出すと、そっとレオの顔に装着した。
「できた。怪しい美少年の出来上がりだ」
レオは鏡を見ると、まるで別人がそこにいた。
羽と宝石が付いた大きな黒い帽子を被り、金の縁取りの仮面で目を隠し、エレガントなリボンのシャツに、オーダーメイドの高貴なジャケット、パンツに革のブーツ。子供なのに、怪しい色香を感じる出立だった。
「す、凄い……僕じゃない」
隣のアレキもいつもながら、怪しくも迫力のある貴公子風だ。やはり大きな帽子に、金色の仮面を被っている。両手に幾つも豪華な宝石を身につけて、貴族のボンボンそのものだった。
「師匠、仮面は洗脳術の邪魔になりませんか?」
「大丈夫だよ。全員仮面を被ってるけど、トランプの色を見るために、色ガラスは入れないからね」
「なるほど……」
「レオ君。後は計画通りだ」
レオは慎重に頷く。
今日はレオが戦う必要も、アレキを守る必要もない。ただただ、可愛い恋人を装うだけだ。
「一度に洗脳できる人数には限りがある。だから俺は順に洗脳を掛けていく。君は俺の周囲を警戒しつつ、俺の目を絶対に見るな」
「わかりました」
2人は黒い封筒に入った招待状を手に、ホテルを出て、馬車に乗る。
もう2度と戻らない思い出のホテルを、レオは流れていく景色の中、いつまでも見つめていた。




