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6 小さな貴公子

 まるで学校のような1日だった。

 教科は国語に特化していたが、挨拶の仕方から会話、敬語、文章の組み立て方に、文字の習得、正しい発音……etc.


 アレキは勉強を始めると、途端に教師のように理路整然として、隙も無駄もない授業を行った。だがそれはわかりやすく、知的好奇心を刺激し、飽きさせない時間だったために、レオは異常に集中し、脳がまるで熱を帯びたようにショートしていた。


「洗脳……使ってません?」

「使ってないよ」


 アレキは本を閉じて、テーブルに伏せるレオの頭を撫でる。


「君はやっぱり賢いよ。吸収も早いし、知的好奇心も旺盛だ。素晴らしい生徒だよ」


 鞭の後には、しっかり飴を貰う。真剣に打ち込んだ結果を褒められるのがこんなに嬉しいとは、レオは知らなかった。


「教えて頂きありがとうございました、アレキ師匠」

「師匠?」

「教えてくれる人を、師匠って言うんじゃないですか?」

「ふふ……いいね」


 先生を間違って師匠と呼ぶレオを、アレキは微笑ましく見下ろしている。


「レオ。散歩に出かけよう。運動も大切だ」



 2人は午後の街に、歩いて繰り出した。

 アレキは高貴な服にマントを羽織り、杖を持って品良く歩いている。その横にいるレオは、おぼっちゃま風の格好はしているものの、中古で買った服はアレキと並ぶと貧相に思えた。髪もざんばらに伸ばしっぱなしで、手入れもロクにされていない。自分がおぼっちゃまに化けたつもりでも、本物にはなれていない現実が身に染みた。


 高級な店舗が並んだ道をレオは恥ずかしそうに歩くと、アレキは中でもより高級感のある店で立ち止まり、中に入った。レオは内心(ひぇ~)と悲鳴を上げるが、仕方なく付いていく。


 すぐに近づいて来た、これまた高級そうな身なりの執事風の店員は、アレキと朗らかに会話をした後、こちらをにこやかに見下ろした。


「いらっしゃいませ、お坊ちゃま」


 冗談のような挨拶に吹き出しそうになるが、レオは教わった通りに、優美に挨拶をした。あまりにかけ離れた世界なので、演技なのだと割り切る事にした。


 腕の長さから腰の周りまで、彼方此方とメジャーで測り、執事店員はボードに書き込んでいる。どうやら服を仕立てるらしい。他にもシャツや下着、靴下やネクタイ、カフスにピン、ありとあらゆる服飾を買い込んだ。装いにこんなに物が必要なのかと、レオは目がチカチカとする。


「ホテルに運んでおいてくれ」

「かしこまりました」


 丁寧に送り出されて、2人は店を後にした。


「ちゃんと挨拶できたね。お坊ちゃまにしか見えないよ」


 レオは苦笑いしながらも、太鼓判を押されたようで自信が湧いていた。


 次に美容院に入ると、レオは髪を切ってもらった。

 ざんばらだった伸び放題の髪は驚くほど上品になって、賢く見える。髪型だけで見た目が180度変わった事にレオは驚いて、鏡を凝視してしまう。美容師のお姉さんは、合わせ鏡で後姿も見せてくれた。


「どうですか? お似合いですよ」

「あ、ありがとうございます」


 髪をトリートメントして戻って来たアレキは、新型のレオを見て感激していた。


「レオ! なんて可愛いんだ!

 見て! うちのレオ君、すごく可愛いんです!!」


 お店のお姉さんに自慢して、お姉さんも笑っている。

 真っ赤になるレオに、お姉さんは耳打ちした。


「あなたをとても愛してくれる、素敵なお兄様ね」

「……はい……」


 兄弟のいないレオには、新鮮な感覚だった。


 店を出て、手を繋いで歩くアレキを見上げると、ご機嫌顔で鼻歌を歌っている。無表情の自分と違ってアレキはいつも楽しそうだし、驚きも悲しみも、怒りもわかりやすい。全然似てないのに兄弟だと思われるんだと、不思議な気持ちだった。


 カフェに入って、景色の良いテラスでケーキを食べる。

 左手で一生懸命フォークを使って、こぼさないように食べるレオを、アレキは頷いて眺めいている。


「師匠はお兄様なんですか?」

「俺? 俺には兄がいるから、俺は弟だよ」

「師匠のお兄様……」


 レオはアレキが2人いるのを想像する。


「俺と全然似てない、優秀で素晴らしい兄さ」

「師匠も優秀じゃないですか」


 アレキは首を振る。


「俺は臆病で、怠け者で、ロマンチストなドジっ子だからね」


 レオは変な自虐に笑う。


「俺は弟や妹が欲しかったんだ。だから君がいてくれて、嬉しいよ」


 遠くを見るアレキの瞳は、紫色から青色に移ろいでいた。兄を想っているのだろうか。憂いを帯びている。


「師匠……師匠の本当の瞳の色は、何色なんですか?」

「青だよ。子供の頃はずっと青かった」

「じゃあなんで、紫になるんです?」


 アレキは紫の瞳で微笑んで、こちらを向いた。


「赤にならないよう、我慢している間は紫色なのさ。誰かを誑かしたい気持ちの現れかな」


 レオは、アレキと知り合ってから殆どの時間が紫の、しかも赤に近い紫色である事を思い出して、お茶を咳き込んだ。本当は滅茶苦茶に能力を使いたいのだと考えると、空恐ろしくなっていた。この人のお育ちが良くて、性格がロマンチストだったからこそ、ギリギリにセーブされているのだと納得する。

 もしこの力を悪人が、もしくは自分のように考えの浅い人間が手に入れていたら、世界は自己中心的に征服されていたかもしれない。


 レオは自分の手を見下ろす。

 自分の能力も同じだ。使い方を間違えれば、他人を不幸にするし、自分の身も滅びる。力は使い方次第で幸も不幸も呼び込むのだ。能力者が真理や社会を学ぶのは義務なのかもしれない。


「僕……沢山学びたいです。沢山学んで、師匠に恥ずかしくない弟子になります」


 レオの賢く輝く瞳を、アレキは紫の瞳を細めて見つめていた。



 ♢ ♢ ♢



 それからのレオの向上心は、凄まじい勢いだった。

 自ら進んで本を読み、質問をし、授業が終わっても勉強を続け、ベッドの中でも復習をしていた。テーブルマナーや歩き方、大人との会話の仕方などを積極的に身につけて、みるみるうちに小さな貴公子のようになっていった。



「おぉ~、似合ってるぞ! レオ!」


 オーダーメイドの服が仕上がって、部屋の鏡の前でレオは試着していた。アレキが隣に並んで、2人は本物の高貴な兄弟のように見えた。


「これで師匠と並んでも違和感が無いですね。この服に恥じない自分にならないと」


 アレキはうるうると、瞳を潤ませた。


「レオ……君は俺が思っていた以上に優秀で、賢い子だ。そんなに急いでいい子にならなくていいんだよ?」

「何言ってるんですか。学ぶべき事はまだまだ沢山あるんですから、呑気になれませんよ」

「レオ~、俺は君に教育する間、反抗されて殴られたり噛まれたり、逃げ出される覚悟を持っていたんだよ? なのにあまりにいい子なもんだから、俺はなんか寂しくなってきた」


 レオは呆れてアレキを見上げる。


「反抗して欲しいって事ですか?」

「クソじじいとかは言わないでね? 傷付くから」

「何ですか、その中途半端な覚悟」

「だって……あんまりしっかりするもんだから、俺から離れて行っちゃう気がするんだ」

「離れませんよ。師匠と一緒にいたいから頑張ってるのに」


 アレキはパア、と満開の笑顔になって、レオに飛びついた。


「レオ~! 可愛いっ! 俺の可愛いレオ!!」


 レオは笑って受け止めながら、鏡に映るアレキを傍観していた。

 最初は異常性愛者かと疑っていたが、この愛情表現に下心は無いようで、アレキの素直な愛そのものだというのが、この一ヶ月で確かになっていた。毎日ベッドで抱き合ってコアラの赤ちゃんのように寝ているし、先日は一緒にお風呂に入って背中を流しっこしたけど、一度も怪しい視線や行動が無かったのだった。


 だが、アレキ自身が自虐していた通り、臆病で怠惰でドジっ子な面は日に日に、目にする事が多くなっていた。



 ♢ ♢ ♢



「ちょっと師匠! どうしたんです!?」


 レオが自主的に勉強するようになってからは、アレキは一人で夜に外出して、遊んで帰ってくる事が多くなっていた。今夜もヘベレケになって、ホテルマンに抱えられてホテルに戻って来た。


「にゃんか~、勝ちすぎれ、変にゃクスリ盛られら」

「えぇ!? 何を飲んだんです!?」

「うへへへ……」


 マントから札束をドサドサと出している。どうやら賭けで遊んで儲けすぎて、誰かに眠剤か何かを盛られたらしい。


「ぎぼち悪い……」

「だ、ダメですよ! こっち! バスルームに来て!」


 レオは必死でアレキを引きずってバスルームに入れて、トイレで吐くアレキの髪を纏めながら背中を摩った。


「レオちん、ぎぼち悪いよ」

「大丈夫ですよ。吐いてしまえば楽になりますから」


 支えながらベッドに寝かせて、水を飲ませたり服を脱がせたりと、面倒を見て布団を掛けると、アレキがレオのシャツを掴んでいる。


「レオ~、いっしょにいて」

「はいはい、いますよ」


 いつもと逆のコアラの赤ちゃんになって、アレキはレオの胸に顔を埋めている。レオはアレキの髪を撫でながら、不安な気持ちになっていた。

 この人の破天荒で不安定な性格は、大丈夫なんだろうか。常にギリギリまで冒険して、綱渡りをしているような感覚がしていた。


「レオ。寂しいのはやだよ……」

「僕がいるじゃないですか」

「うん……」


 安心したのか、すやすやと寝息を立てている。

 アレキはレオがいないひとりの間、こんな時はどうやって過ごしていたんだろうと考える。

 アレキは以前、家出して自分で名前を付けたと言っていた。名前や家を無くしてしまうほどの、何かがあったのかもしれない。レオは一方的に、お育ちの良いアレキを恵まれていると思っていたが、どんな環境に生まれても人はそれぞれに複雑な事情があるのかもしれないと、思い直すようになっていた。


「師匠。僕たちは家族ですよ」


 ぽつりと呟くレオの背中を、アレキはぎゅっと抱きしめていた。

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