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3 猛獣の世界

 ゼロはサンドイッチを片手に、安宿で計画を立てている。


 手に入れたのは火薬を仕込んだ花火と、上等なおぼっちゃま風の服。

 あの地下カジノの建物に、アタッシュケースを持った従業員が現れるタイミングで花火を放つ計画だ。大量の火花と煙でパニックになった瞬間に、アタッシュケースを異次元の扉に隠す。

 自分は通りかかったおぼっちゃまで、驚いたフリをして転倒でもすればいい。何しろ、アタッシュケースを盗んだ証拠は残らないのだから。9歳そこそこの子供がまさか、あんな大きな物を盗むとは思うまい。


 サンドイッチを食べ終えて、ゼロは笑ってベッドに寝転がった。

 右手を天井に翳して、真っ暗な闇を目前に出してみる。


 自分の顔ほどの大きさの穴の向こうには夜空のような深い空間があって、遠く星々が輝くように煌めいていた。

 アタッシュケースのサイズを一瞬でこの異次元に収納する練習は、何度も試した。扉の大きさは掌大から自分の身長ほどまで、大きさを自由に変えて出せる事がわかっていた。


「楽勝だな。僕は何てラッキーな能力を持っているんだ」


 自分の人生を最悪に陥れたこの力は、今となってはゼロには無くてはならない物となっていた。



 ♢ ♢ ♢



 決行日の夜。


 いつも通り、例の看板の無い建物には、続々と金持ちが馬車を着けて入っていく。ゼロは通りの反対側で人を待つふりをしながら、タイミングを測っていた。どの金持ちも分厚い財布を持っていそうでスリの手が疼くが、本命のアタッシュケースが現れるまで我慢して待った。


 そして事前にチェック済みの、地味な馬車がやって来た。

 あれが従業員が乗った馬車で、いつもアタッシュケースを持った男と、それを護衛する男が2人。毎回合計3人が降りるのだ。


 ゼロは自然に通りを渡って建物の前を歩き、予め穴を開けたブレザーのポケットから、地面に掌を向けて、火が点いた状態の花火を落下させた。扉の向こうに仕舞った花火は点火した状態で時が止まるのも、実験済みだった。


 パーン!バチバチバチ!

 爆裂音と目が眩むような真っ赤な火花が散って、わっと驚きの悲鳴と、女の叫び声が重なった。一瞬で辺りは煙に包まれるが、予めアタッシュケースの場所を捉えていたゼロは、ケースに掌を向けた。

 従業員が取手を握っていても、無駄だった。異次元の扉の向こうからは引力のような力が働いていて、強い力で吸引するように奪う事ができる。アタッシュケースは一瞬で扉の向こうに閉ざされて、ゼロは煙に隠れて従業員から少し離れた場所で転がった。


 風で煙が捌ける頃には、建物の前は大騒ぎになっていた。


「何だこの花火は!」

「おい、アタッシュケースを奪われた!」

「何だと!」


 怒号が飛び交う中で、ゼロは煙で咳き込みながら、周囲をすぐに確認した。

 金持ちの夫婦が抱き合ってしゃがみ込み、通行人の酔っ払いが頭を抱えて倒れている。少し離れた所で女が壁にへばりついて悲鳴を上げていて、従業員とその護衛は流石にしゃがみ込まずに、近辺を見回していた。


 ゼロは驚いたフリをして、周りを見回しながらそろそろと立ち上がると、騒ぎを後に歩き出した。都合の良い事に前方、後方どちらからも野次馬がやって来て、現場は人でごった返していた。

 まさかこの小さな少年の持つ異次元の空間に、大金が入ったアタッシュケースがあるとは考えないだろう。ゼロは笑みをハンカチで隠して、騒ぎから離れて行く。


 右の腕に強い痛みを感じて、振り向いた瞬間に、左の腕も掴まれていた。ギョッとして見上げると、自分に覆いかぶさるように、男が間近でゼロを見下ろしていた。


「坊や、ちょっといいかい?」


 長い白髪を後ろにまとめた男の、黒いクマに囲まれた目は異常に大きくて、まるで温度の無い灰色の眼球にゼロはゾッと背筋を凍らせた。

 掴まれたのは両腕のはずなのに、指の先から肩まで、微動だに動かない。それどころか、腹部にまで何かの圧迫感を感じた。


「え、えっと……」

「さぁ、こっちにおいで」


 男に肩を掴まれたまま回れ右をすると、数メートル先には背の高い金髪の男と、アタッシュケースを持っていた猫背の従業員が、厳しい目でこちらを見ていた。


 ゼロに疑いがかかっており、さらにほぼ特定されているのは確かだった。ゼロは心臓が破裂しそうに、脈打っていた。


 何故?あの騒ぎと煙の中、一瞬の盗みは見えなかった筈だ。それに他にも人が沢山いたのに、まさかこんな小さな子供が疑われるなんて。


 真っ青な顔のゼロが口をパクパクとしているうちに、冷たい目で見下ろしていた金髪の男は顎で建物を指して、ゼロはなすがままに、建物の地下に繋がる階段に連れられて行った。


「あ、あの、何でしょうか。僕、お家に帰る所で……」


 ゼロの懸命な訴えは無視されたまま、3人はゼロを連れて、階段を降りていく。反撃の武器を取り出そうにも、指先まで硬直したように動かなかった。冷や汗が背中に流れて、膝が震え始めていた。

 無言の中、地下の賑やかな声が近づいてくる。普通では無い空気に気圧されて、腹部を圧迫されたゼロは吐き気を催していた。


 階段を降り切ると、仮面を付けた従業員が立っていて、ドアを開ける。


 その途端に、暗い階段は灯りと、嬌声と、葉巻の煙と、酒や香水の匂いが、わっと漏れ出していた。


 ゼロは恐怖の中で、外からではまるでわからなかった地下の様子に驚いた。豪華絢爛なドレスやジュエリーで飾った女達も、上等なスーツを決め込んだ男達も、皆怪しい仮面を被って、手に酒のグラスやカードを持っている。

 テーブルがいくつかあって、それぞれにルーレットやカードゲームが広げられて、人々の熱気が集中していた。


 おぼっちゃま風の子供のゼロがその中を通っても、誰も関心を示さずに、カジノに熱中している。


 恐怖と熱に煽られ、膝の力が抜けて、途中ですれ違う男にゼロはぶつかっていた。見上げると、やはり仮面を被った男が酒を片手に見下ろしている。豪華な金色の刺繍が入ったジャケットに、宝石のブローチ。指にもゴロゴロと、高価なリングを着けている。ブルーグレーの髪は胸まであって、その煌びやかな迫力に、ゼロは固まっていた。


「おっと、坊や。大丈夫かい?」


 まるで乾杯、というようにグラスをこちらに掲げて、行ってしまう。


(乾杯どころでは無いし、大丈夫では無い……)


 と内心思いながら、後ろから押しやられて、ゼロはさらに奥に向かった。



 細い廊下を進むと、カジノの盛況はどんどん遠く離れていった。見張りのいるドアを開けて、その中に突き飛ばされるように押し込まれた。


 中はシンと静かで、薄暗い。テーブルが一つあるだけで、煙草の煙が朦々と立ち込めていた。中には数人のスーツの男と、女がいる。


「何よ、このガキ。あんたの子供?」


 黒いドレスを着た女が、真っ赤な唇から煙を吐いて、金髪の男を揶揄う。

 絶対に優しく無いタイプの女性だと分かり、ゼロは絶望感を深めた。


「このガキが、アタッシュケースの大金を盗みやがった」


 疑いは紛れもなく確定されていて、ゼロはギュッと心臓が縮み上がる。


「ハァ? このガキが?」


 女のジロジロと刺すような視線が痛い。

 ゼロは突然に、金髪の男に後頭部の髪を掴まれると、テーブルの上に強く押しつけられた。バン!と大きな音が鳴って、顎やおでこに痛みが走る。


「こいつは能力者だ。アタッシュケースがこいつの手の中に消えるのを、俺は見た」


 まさかの目撃談だった。

 ゼロは声を震わせながら、反論する。


「ぼ、僕がどうやって……そんな事、無理です!」


 常識的な答えのはずだが、金髪男は何も信じないような目をして、冷たく見下ろしたままだった。グッと顔を近づけると、ゼロの耳に語りかける。


「坊や。能力者は自分だけだと思っているのか?」


 ゼロはハッとしていた。

 まさか、というよりも、もしかしたら当たり前の事に、自分は経験の浅さから気づいていなかったのだと、この段階で初めて思い知らされていた。


「俺はな、唾付けたもんは、どこまでも追って見えるんだよ。追跡の能力って言うんだ。覚えておけ」


 言いながら、頭をグリグリと押し付けられていた。

 金髪男はゼロから顔を離すと、白髪の目玉デカ男を顎で指す。


「それでな、こいつは自分の髪で人間を拘束できるし、切断もできる」


 ゼロは自分の腕や腹を圧迫し、拘束している物が白髪だとわかって、愕然としていた。こんな奇妙な能力があるなんて、聞いた事が無かった。しかも、後述の「切断」というキーワードに、全身が凍るほどの恐怖を感じていた。


 キリ、キリ、と、腕と腹を締め上げられるように、白髪は拘束を強めていた。


「う、うわあぁぁ!!」


 ゼロは初めて、恐怖から悲鳴を上げていた。

 このまま腕も腹も切断されるような力を感じて、踠いている。


 煙草を吸っていた女は、煙を吹き出した。


「ヘぇ。子供が切断されるとこは、見た事無いわね」


 面白がった言い草に、ゼロは過呼吸になるほど息を荒げた。


(うまくいけばこのまま窒息して、気絶するかもしれない。切断するなら、その後にして欲しい)


 などと、おかしな期待をしている。

 その瞬間に、右腕の拘束がゆるっと解けて、一気に血の気が戻った。そしてそのまま右手はテーブルに固定され、白髪の男に抑えられながら、指を開いて貼り付けられた。指の付け根の一本一本に髪が巻かれている事が感触で分かり、ゼロは新たな動悸が始まっていた。


 金髪男は後ろから、事務的に説明をする。


「坊や。質問に答えろ。嘘を吐いたり誤魔化したりする度に、1本ずつ、指を切断する。その細い指じゃ一瞬で飛ぶぞ」


 恐ろしい解説の後に女が「キャァ!」と楽しそうな嬌声を上げて、ゼロは涙目で女を見上げた。まるでサーカスを見ているみたいに、ワクワクしてた顔で待っていた。


(何なんだ、この世界。残虐だし、頭がおかしいし、狂ってる)


 ゼロの理性は崩壊していた。


 恐怖を煽るように指に巻かれた糸は強く締め上げられて、指はすぐに紫色に腫れ上がっていった。


「う……助けて。ごめんなさい」


 ゼロは質問の前に、降参していた。

 泥棒を2年もやり続けてプロのように成長していたとしても、若干9歳の子供であることに変わりはなく、恐怖と痛みに、泣きじゃくっていた。


「お前の能力は何だ?」


 質問は関係なく、始まった。

 ゼロは降参したつもりが、降ろしてもらえない儀式にパニックになり、息が詰まる。一段階、小指の圧力が上がって血が滲んだ。


「うあぁ! と、扉です! 真っ暗な闇の……!」

「何だそれは?」


 ゼロ自身にも何だかわからない能力を説明するのは、困難だった。名称もわからず、原理やジャンルもわからない。


「ひっ、ちゃんと、話しますからっ……」

「何の能力だと聞いている」

「も、物を盗む能力です~! く、黒い穴が出てっ!」


 滅茶苦茶な説明に、金髪男と白髪男は顔を見合わせる。


「聞いた事あるか?」

「いいや」


 会話がなされる間、女はフーッと、ゼロの顔に煙を吹きかける。

 お願いだから、変な邪魔をしないでほしい。


「でたらめ言ってるのか?」

「うぁっ、き、切れちゃう!」


 ゼロの言う通り、小指はもう切断寸前のように真紫になって、血溜まりができていた。痛みよりも恐怖が勝って、感覚は麻痺している。


「次の質問だ。仲間はどこだ」

「い、いない! 僕ひとり!」

「嘘を吐け」


 薬指が締め上げられて、ゼロは絶叫した。


「本当です! 僕ひとりで、やりましたっ! お、お金は返しますから!」

「どの組織がお前をここに寄越したんだ! 吐け!」


 何を言っても信じてもらえず、拷問から逃れる術は無いように思えた。

 瀕死の小指と薬指の隣の中指に、つつー、と別の感触が走る。女が魔女のような爪で、辿っていた。


「一本飛ばせば、嘘も止まるんじゃ無い?」


 見た事の無い、醜悪な顔で笑っている。

 あろうことか、白髪の男はその言葉に同調するように、中指の圧力を急激に上げて、ゼロの頬に温い血飛沫が飛んだ。


 2度目の絶叫も虚しく、カジノの騒音でかき消されていた。

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