5 王子爆誕
「ハァーッ!」
ロランの雄叫びと共に、ムスタファの剣は空に舞い上がった。
ムスタファは目を見開き、痺れた手を摩る。
「お、お見事、ロラン様」
勇気ある剣術の立ち回りを、アベルは唖然と見学している。
横にいるシャルロットは瞳を輝かせていた。
ロランは胸に手を当て、キッチリと頭を下げた。
「お手合わせ、ありがとうございました」
騎士然とした態度には品格があった。
白い大鷹がロランの横に舞い降りて、頬擦りして甘えている。大鷹は強い者に媚びる習性があるのだ。
今やロランの瞳は、完全に紫色に輝いている。
凛々しい眉と品のある唇が自信に満ちて、男らしくハンサムだ。
シャルロットはここ数週間のロランがまるで騎士や王子様に見えるようで、メロメロになっていた。
「ロラン素敵! もう、どうしちゃったの!?」
「ふふ。成長期が来たのかもね」
ロランの紫の瞳は自然と他者を誑かして、魅力的な色香を撒いていた。婚約者のシャルロットだけでなく、社交界の場でもロランは注目の的となっていた。文武両道に加えてダンスも上手く、色香もあると。ようするに、モテ期がやって来ていた。
シャルロットが名残惜しそうに自宅に帰った後、ムスタファの授業も終わり、メイド達の注目を浴びながら自室に戻ると、ロランはバタリとベッドに倒れた。
「つ、疲れた……体も脳も、毎日オーバーヒートしてる」
洗脳を重ねて自分以上の自分を演じるのは、想像以上に過酷な労働だった。ロランは青い瞳に戻って、涎を垂らしそうに脱力している。
毎日が輝いて充実していたが、自室では毎晩こっそりと、廃人のように萎れていた。
ロランは慌てて涎を拭いて、ベッドから起き上がった。
「ヤバイヤバイ、夕食会には父様が久しぶりにいらっしゃるんだった」
ロランが気づいた時には、テーブルでナイフとフォークを握っていた。
「え? あれ?」
途中の記憶が無い。
両親と兄が、テーブルの向こうから自分に注目している。
「えっと……」
ロランは動揺していた。
さっきベッドにいたのに、時をワープして、夕食会にいる。
記憶喪失?
父が立ち上がり、大声を出していた。
「ロランよ! それでこそ男だ! 私はお前を見直したぞ!」
いったい何の話だったのか、皆目検討がつかない。
母も高揚しているが、兄のアベルだけが微妙な顔をしていた。
何とか誤魔化して夕食を終えると、自室に帰るロランをアベルが追いかけていた。
「ロラン! 本当にやる気なのか?」
「え……」
「反王制テロリストの討伐部隊に参加するなんて! 危険すぎる!」
ロランは脳内で(ええ~!?)と叫んでいたが、現実のロランは黙り込んだ。
自分の記憶が無い状態で、大層な発言を勝手にしている?
ロランは洗脳のやりすぎで自身の人格が分裂し、勝手に歩き出している感覚に気づいた。
「兄様……ご心配ですか? 僕ではなく、ご自分の事では?」
ロランは意思と関係無く、挑戦的な口調で喋り出していた。
「ロラン、どういう意味だ?」
「僕が急に強くなったから、ご自身の長男としての立ち位置が危うく、不安になっているのでは?」
アベルの顔色が変わり、ロランは内心で絶句していたが、表情は強気のままだった。
アベルは瞳を伏せると、踵を返した。
「ロランよ。君は変わってしまったな。僕は昔の君が大好きだったのに」
ロランの心は破れるように、ショックを受けていた。
大好きな優しい兄、アベル。
何故自分はこんな暴言を吐いて、兄を傷つけている?
やろうとも思ってないテロリスト討伐だなんて、僕だって絶対に嫌だ!心の中で叫んでも、体は硬直したままだった。
ロランは誰もいなくなった廊下を歩き部屋に戻ると、膝から崩れた。久しぶりに恐怖に支配されていた。
「な、何だよ、これは……」
何だか自分でもわかっている。
人格が分裂して、優秀でモテて、嫌味な野郎が別人格として仕上がってしまったのだ。
弱虫で泣き虫で、夢見る繊細なロランは、中身にそのまま残った状態で。
おぞましい結果に、ロランは呼吸が苦しくなる。
「どうしよう……こんな嫌な奴になりたいなんて、思ってなかったのに」
いつも鏡に向かって、自分を洗脳していた言葉を思い出す。
優秀で、完璧で、毅然として、勇気があって、強くて……。
それでは優しさやユーモアが欠けた、完璧超人を目指したも同然だ。
ロランは改めて、ありもしない人間を作る難しさと、恐ろしさを実感していた。
「ダメだ……だけどもう、戻れない」
みんなの顔が浮かぶ。
期待し、喜び、うっとりとした顔。
あの厳格な父でさえ、歓喜したあの顔。
「兄様を、傷つけて?」
涙が大量に溢れていた。
そして泣くのも久しぶりだと気づく。ロランは本当の自分を無理やりに閉じ込めたまま、偽の人格で生活していた。
「今なら間に合う。軌道修正するんだ。優秀で、勇気があって……でも、優しい人間に……」
ロランは涙に濡れたまま、眠りに落ちていた。
ロランが目を覚ますと、朝日の中で鏡の前に立っていた。
また、記憶を無くしている。
起きてから着替えて、訓練の準備をして……自己洗脳をしている記憶が無い。
悪寒が走ると同時に、右側で何かが落下する音が聞こえた。
花弁が散って、籠がひっくり返っている。
「ロラン……あなた、何をしているの?」
「……シャルロット?」
記憶が無い状態で、自分はシャルロットの前で何かをしでかしたらしい。
「か、鏡に向かって自分に……自分を洗脳してるの!?」
朝摘みの薔薇が散らばる中で、シャルロットは恐怖で竦んでいた。
何かとんでもない現場を見せてしまったようで、ロランはどう取り繕うか焦った。
シャルロットは走ってロランの前に来ると、ロランの体を強く揺すった。
「おかしいと思ったの! まるで別人になって! 強くて格好良くなったけど、ロランらしさも、優しさもなくなって……!」
シャルロットの甲高く責める声が、ロランの神経を刺激した。そして意に反して、身体は別人格の思い通りに動いていた。
シャルロットの腕を強く掴んで引き離し、瞳を間近で覗き込み……。
「お前が望む人格に変貌して、何が不満なんだ! 黙れよ!!」
シャルロットの瞳が凍りつき、ロランはハッと我に返った。
シャルロットの向こう側の鏡を恐る恐る見ると、ロランの瞳は真っ赤に光っていた。
♢ ♢ ♢
街が見渡せる丘で。
ロランは佇んでいる。
風が髪を靡かせて、葉が空に舞い上がる。
芝生の上に座ってぼんやりと街を眺めていると、後ろから静かに、大きな犬がやって来た。犬の背中からオリヴィエが降りて、ロランの隣に立った。
ロランはオリヴィエを見ずに、力無く声を掛けた。
「やぁ……」
オリヴィエは無言でその場に座り、2人は並んで街を眺めた。
しばらくの後、オリヴィエがぽつりと呟く。
「で……声が出なくなって、何日目だって?」
シャルロットの事だ。
あの朝の洗脳事件から、シャルロットは一言も喋られなくなり、どんな医者に診てもらっても、どんな薬を使っても、治らなかった。
「6日目……」
ロランは膝に顔を伏せる。
別人格による事故とはいえ、ロランが洗脳してしまったのに変わりはなく、婚約者の女の子を身体的にも、心理的にも傷つけてしまった結果に、心を病んでいた。
「不思議な事にさ、シャルロットは僕に命令されたと覚えてないんだ。これは洗脳の力の一部みたいなんだけど、洗脳された側は洗脳前後の記憶が丸ごと消えてるんだよね」
誰もロランを責めない状況が、返って苦しみを大きくしていた。
シャルロットは筆談で一生懸命、元気なふりをして「大丈夫」と繰り返すだけだった。
オリヴィエはいつも通り、冷静だ。
「ふむ……声を出せと、逆の洗脳を掛ければいいんじゃないか?」
「嫌だ。もう洗脳の力を他人に使いたくない。あれからまた、人の目が怖くて見れないんだ」
「ロランは別人のように勇猛果敢になったと、噂で聞いたが?」
ロランはオリヴィエの皮肉に、苦笑いする。
「あれから自己洗脳も封印してる。人格が分裂して、破綻しそうだったから」
溜息を吐いて、投げ出すように続ける。
「もうさ、僕はテロリスト討伐に出兵して、そのままそこで死んでしまえばいいのさ。そうしたら、英雄のままだろ?」
オリヴィエは呆れている。
「ロラン。お前はいったい、何がしたいんだ?」
「何って、優秀な完璧人間にさ」
「完璧って、何なんだ?」
「何って……」
ロランは空を見つめて考える。
「兄さんや、オリヴィエのように」
「僕もアベルも完璧ではないぞ。それに、本当は心からなりたいと思っていないだろ?」
「思っているさ!」
「ないね。お前は両親や婚約者や周囲の評価のために、ならないといけない、と思い込んでいるだけだ」
ロランは眉を顰めた。
「オリヴィエにはわからないよ。優秀で、冷静で、頭も良くて。伯爵家の後継者に相応しいよ」
「僕は家なんか継がない」
「え!?」
ロランは驚いて顔を上げた。
久しぶりに、オリヴィエの冷めた目を直視していた。
「僕の家は主に軍用動物を調教するのが仕事だ。父も祖父も、代々軍人だしね」
「オリヴィエも軍人になるんじゃないの?」
オリヴィエは首を振る。
「僕は動物を農業や商業に、人の生活に役立つように育てて、対等に共存したいと考えている。僕は動物を傷つけたくないし、心から好きなんだ」
オリヴィエの冷たい目と優しい夢がそぐわずに、ロランは目を丸くした。
「オリヴィエこそが、ガチガチの軍人になって軍用動物を指揮するのに相応しいと思ってたのに……そんな顔して、そんな意外な事を考えてたの?」
「顔と夢は関係ないだろ」
ロランは久しぶりに笑いが溢れた。
オリヴィエも少し笑って、続ける。
「今のお前はあれだ。ハドラー将軍」
ロランはキョトンとする。
ハドラー将軍とは『アレキサンダー航海記』に出てくる敵役で、完璧人間で強くてモテて嫌な奴で、アレキサンダーの邪魔ばかりするキャラクターだ。
「た、確かに……」
「無意識にハドラー将軍の完璧さを真似ていたんだろ?だから言動もそっくりになって、傲慢で嫌な奴になったんだ」
ロランは真っ赤になった。
物語のキャラクターを真似て破綻するなんて、思春期そのものの発想だ。絶句するロランに、オリヴィエは続ける。
「お前はアレキサンダーに憧れているのに、何故ハドラー将軍なんだ?」
「それは……ハドラー将軍の方が完璧だし……アレキサンダーには弱点がいっぱいあるから」
「そこが人間らしさであり、あの物語の楽しさだろう? アレキサンダーは勇敢で悪を挫き弱きを助けるが、子供のような純粋さから騙されたり失敗も多い。そんな所が親みやすくて読者は応援したくなるんだ」
「オリヴィエ……まぁまぁと言いつつ、物語の良さをよく理解してるね」
ロランは感心しながら、自分の矛盾に気づいていた。
アレキサンダーが好きと言いつつ、彼の弱さを自分は認めていなかったんだ。良い部分ばかり見て、そればかり欲したからハドラー将軍になってしまった。
「泣くなよ」
オリヴィエの言う通り、ロランは涙と鼻水を流して号泣していた。
「ぼ、僕は子供だ。何もわかってなかった。僕こそが、あの物語を一番理解していると自負があったのに」
オリヴィエは鼻で笑う。
「文章理解の勉強が必要だな」
爽やかな風が吹いて、ロランの曇った心が少しずつ晴れていく。
瞳は空と同じように、純粋に青く澄んでいた。




