1 ロランの憂鬱
アレキサンダーの幼少期のお話です。
全6話の番外編。おまけにどうぞ。
ロランは青い瞳を輝かせて、分厚い本を読み耽っている。
サラサラと流れるブルーグレーの髪を耳にかけて、夢中でページを捲る。もう何度繰り返し読んだだろうか。
『アレキサンダー航海記』
豪快な海賊アレキサンダーが7つの海を渡り、宝を探しながら悪党を滅多斬り、弱者を助けるヒーロー物だ。第8巻となる今回も、アレキサンダーは爽快な冒険を繰り広げる。
「はぁ。アレキサンダーは格好いいなぁ」
ロランは女の子のようにうっとりと、天井のシャンデリアを見つめた。頬が薔薇色になって、美少女のような色白な顔はますます乙女チックになっていた。
「ロラン、ロラン!」
廊下から甲高い声が響いて、ロランは肩を竦めた。
夢想の時間は終わって、現実の喧騒がやって来たのだ。
本を閉じて椅子から立ち上がるのと同時に、大きな扉がバーン!と開く。仁王立ちで立っているのは、可愛いらしく甘いドレスと、レースのリボンで飾った……しかし顔つきは強気そのものの、女の子だ。
「ロラン、また本を読んでる! アベルお兄様はとっくにお庭で訓練を始めてるわよ!」
ロランはため息を吐く。
「アベル兄様は訓練がお好きなんだ。何でシャルロットが僕を叱るの?」
「当たり前じゃない、婚約者なんですから。ロランが逞しくなってくれないと、私が困るの!」
ロランもシャルロットもまだ14歳だが、2人は貴族のしきたりで、生まれた時から結婚が約束された、婚約者同士だった。
大人しく家に篭りがちなロランに対して、シャルロットは快活で元気……元気すぎて豪胆な性格だ。それでも自分とは正反対のロランを気に入っているらしく、こうして度々、ハッパをかけに来る。
シャルロットはロランの手を取ってズンズンと、長く豪華な廊下を進んでいく。メイド達は微笑ましく2人の関係を眺めているが、ロランにとっては憂鬱な毎日の習慣だった。
裏庭に続く大きな扉を開けるとそこには、もっと憂鬱な風景が待っている。
「ロラン。やっと来たね」
兄のアベルが爽やかに笑っている。
横には大層大きな鷲がいて、ロランを振り向き睨んでいた。鷲の横には白い虎が、その隣には銀色の狼がいて、厳しい面子を揃えていた。
(お兄様は強つよな動物がお好きですね……)
と、ロランは口に出さずに思う。
シャルロットがパアッと笑顔を輝かせて、はしゃいでいる。
「アベルお兄様、凄いですわ! 難しい動物達をもう手懐けてしまったのですね。まあ、まるで大鷹が子猫のようですわ!」
言う通り、鷲はアベルに頬擦りをして甘えている。クルゥ、クルゥ、と喉を鳴らして。
「ロラン様、お待ちしていましたよ」
厳しい声が聞こえて、ロランは体を固くして反対側を見た。
調教師のムスタファが、鞭を片手に腰に手を当てていた。不機嫌そうな顔だ。
ムスタファは動物調教のエキスパートで、アベルとロランの教師としてこの城に雇われている。異国から来たらしく、いつもエキゾチックな装いだ。
「今日こそは、こやつを乗りこなせるところまでいかないと……一頭の調教に何年かけるおつもりかな?」
飲み込みが早く優秀なアベルに比べて、まったく才能が無いロランに対し、ムスタファはいい加減に苛立っている様子だった。
このジェラール家の血縁は動物を調教する能力に長けていて、バカでかい動物を思うがままに支配できるのだ。それは巨大動物を使って経済を廻すこの世界にとって重要な役割であり、特殊な能力は裕福な貴族の象徴でもある。
ムスタファの隣には、素朴な顔の巨大な犬がデーン、とお座りしている。ピノという年寄りの犬で、初心者でも簡単に乗れる犬種らしいのだが……。
「ひっ……ひいぃぃっ」
ロランはピノの背中の上で、四つん這いでしがみ付いた。
ピノは伏せから立ち上がっただけだが、そもそも地面からかなり高さがある時点で、ロランには恐怖だった。
ムスタファは鋭く指を差す。
「怯えてはいけません! 動物に舐められますよ! 毅然として、主の気概を見せるのです!」
シャルロットは気取った猫の上に乗って、高くジャンプしたり、クルクル回ったり、軽やかなステップでこちらにやってくる。猫も主も呆れ顔だ。
「ロラン、そんな老犬の何が怖いのよ!」
「た、高くて怖いんだ! わぁ、動くな! 待て!」
「はぁ……」
兄のアベルは遠くからアドバイスをくれる。
「ロラン、手綱をしっかり持てば、身を起こしても大丈夫だ!」
ロランは優しい兄の期待に応えようと背筋を伸ばすが、両手が震えて手綱を手放してしまい、まるで人形のようにコロコロと、地面に落下した。
豪華なベルベットのソファの上で、ロランはシャルロットに擦り傷の手当てを受けている。お世話してくれるのは有り難いが、シャルロットの手つきは大雑把で傷口にしみる。
「いたた、もうちょっと優しくしてよ」
「これくらいの怪我……調教には付き物よ!」
窓の向こうの裏庭では、カン、カン、と乾いた音が交差している。
調教の授業を終えたアベルが、ムスタファを相手に剣術の練習をしているのだ。兄はロランと違って調教の能力に長ける上に剣術も達者で、その上勉学にも励む、まさに文武両道。伯爵家の長男に相応しい人物だ。
ロランが窓の外を見ているうちに、頭の上に何かが乗っていた。振り返ると大きな鏡に、レースのリボンを乗せた自分の姿が映っていた。
「ちょっと、シャルロット! 何!?」
慌ててリボンを外すロランを見て、シャルロットは笑い転げている。
「やっぱり似合う! ロランて女の子みたいな顔だもん。私より、こういうの似合うわよね!」
ロランは真っ赤になる。確かに、我ながら大きな瞳に華奢な輪郭で、リボンがピッタリと似合っていた。肩まである艶やかな髪も、美少女ぶりを後押ししている。
「こんなの父様に見られたら、どれだけ叱られるか……」
父はムスタファなんかよりも、何倍も恐ろしい。男たるもの的な、古風で厳格な父なのだ。
シャルロットは面白い遊びを思いついたようで、企み笑いをしている。
「そうだ! ゲームをしましょう。明日の調教でピノに乗れなかったら、ロランは女の子の格好をするの!」
「ええ!?」
「それが嫌なら、がんばって乗れるでしょ?」
「嫌だよ! 何で僕が女装なんか……」
シャルロットは楽しそうに、またリボンをロランの頭に乗せて鏡を覗き込む。
「一度、本気で女の子にしてみたいのよね。着せ替え人形みたいに!」
ロランは憮然とする。
「バカにして……。絶対、ドレスなんて着ないぞ」
「それはどうかしら。ロランちゃんに似合うコーディネート、考えておくからね!」
鏡の中のロランは頬が紅潮して瞳が潤み、怒り顔も女の子のようだった。
♢ ♢ ♢
夜。
ロランはベッドに倒れ込む。
「はぁ、疲れた」
調教に失敗して剣術もサボって、夕食の席では厳しい両親にどやされ、ロランのHPは底をついていた。
「もしかして僕って、拾われっ子なのかな?」
ありもしない現実逃避をしている。
優秀な能力者で構成されたこの家系に、何故自分のようにそぐわない者が存在するのか、自分でも不可解に感じていた。
大きな城に豪華な食事。行き届いた教育と、ふわふわのベッド……自分が恵まれているのはわかっているが、兄のようにこの環境に相応に振る舞えない自分に、失望していた。
寝転がったまま、サイドテーブルから本を手に取る。
『アレキサンダー航海記』
僕が自由の身で、船に乗って冒険に出られたら……。
目を瞑って夢想する。
船に酔って、海賊にビビって、足をくじいちゃうんだろうな。
夢想の中でも不甲斐なく、ロランは自分の居場所をすっかりと無くしていた。
「だけど女装なんか、絶対するもんか」




