19 詐欺泥棒の旅
丘の上の住宅街に魔獣の遺体の山ができる頃、港の方から軍用犬に乗った警察隊の集団が、坂道を駆け上って来た。
「ようやくお出ましか」
アレキはレオンの疾走を止める。
「警察隊が残った魔獣を駆除してくれますね」
「ああ。殆どレオ君がやっつけちゃったけどな」
アレキはレオの頭を撫でると、レオンと共にセイラの家に駆け込んだ。
「俺達は警察隊と会わない方がいい。ややこしくなる」
「僕達、詐欺泥棒ですもんね」
レオが真顔で頷く。
セイラの自宅のドアを叩くまでもなく、ドアは開かれた。
「セイラさん!」
レオが振り返ると、セイラはドレス姿のまま飛び出して、真っ直ぐにアレキの元へ走ると、抱きつき、熱烈なキスをした。
「!?」
レオが固まって凝視する目前で、首にしがみつくセイラと、腰に手を回すアレキは長々と、大人のキスをしている。あまりに刺激的な絵に硬直し続けるレオの顔を、犬のレオンが楽しそうに舐めた。
警察隊に隠れて、一旦セイラの自宅に避難したアレキとレオは、テーブルに着席した。
キッチンでお茶を淹れているセイラをレオは横目で見つつ、アレキに肘鉄した。
「師匠、どういう事です?」
「ん?」
小声の問い掛けにとぼける様子に、レオは顔を近づける。
「あの伝言のカードは、セイラさんだったんですね? 何故、僕に内緒にしたんですか!」
「だって、子供には関係ないもん」
「酷い! みそっかすだ!」
セイラがお茶を持って来て、レオは咳払いして着席した。セイラは照れた顔をしてお茶を置いた。
「それにしても、レオ君のナイフ投げも、アレキお兄様の騎乗も、素晴らしかったわ。動物に乗るのが苦手だなんて、嘘だったんですね?」
「いやぁ、嘘じゃないよ。火事場の馬鹿力って奴かな」
セイラは首を振る。
「軍用犬のレオンは、咄嗟にあんな風に扱えるような犬ではないわ。あなたって、嘘ばかり吐くのね」
批判的な言葉の割にうっとりとした顔をして、アレキを見つめている。
レオがドキドキしながら自分の気配を限界まで消そうと励む最中に、玄関のベルが鳴った。
セイラが立ち上がって玄関に向かうと、レオはため息を吐いた。
「もう……僕、お邪魔虫じゃないですか」
玄関から、セイラの声が聞こえてくる。
「ああ、警察隊の皆様。ご苦労様です」
「セイラさんのお宅はご無事でしたか」
「ええ。おかげさまで何事も無いわ」
「それは良かったです。警察署長のお嬢様に何かあったら、上司にどやされてしまいますから」
その瞬間に、アレキもレオもお茶を咽せて、顔を見合わせていた。
「警察署長の……お嬢様!?」
2人の中で、セイラの只者では無いナイフ術と、騎乗の実力と、凛とした雰囲気の、すべての理由が合致していた。
「師匠、僕達は詐欺泥棒……」
「しっ!」
アレキは青い顔をして、玄関が閉まるのを察知すると同時に立ち上がった。
「あら、もう帰ってしまうの?」
セイラが残念そうに、帰り支度をする2人を見回している。
「もう夜は遅いから、宿に帰るよ」
「セイラさん、お茶をご馳走様でした」
2人は玄関で手を振った。
「セイラ。楽しかったよ、またね」
アレキが平常を装って別れを告げると、寂しげなセイラはいつまでも見送っていた。
アレキとレオは、手を繋いで坂を下る。
レオはアレキを見上げるが、アレキは無表情だった。
「師匠……」
「レオ君。明日、ここを発つよ」
「え!? 明日!?」
「うん。面倒な事にならないうちに、ドロンしよう」
レオはあんぐりと、口を開けている。
「ド、ドロンしようって! セイラさんを置いて!?」
「警察署長のお嬢様を、連れて行ける訳ないだろ?」
「そ、そんな! だって師匠、さっきはあんな事してたのに!」
「あんな事って?」
レオはモゴモゴと口ごもる。
「そ、その、好きなのに……セイラさんは、師匠の事」
「初恋は実らないものさ」
レオは猫のマリンを思い出して、ハッとした。
「そうなんですか?」
「大抵ね」
それでもレオは困惑している。
この港に来てから毎日が楽しい事ばかりで、セイラにも出会えて、ここを離れるのは自分が生まれた街を離れるよりも、寂しく感じていた。
「レオ君。旅ってこういうもんだよ。出会って、別れて。しんどいかい?」
レオは考え込んで、首を振った。
「僕は師匠と一緒にいられれば、それでいいです。別れは寂しいけど……僕だけこの街に置いて行かれるのも、嫌です」
レオはアレキを見上げて、毅然とした顔になる。
「僕を連れて行ってください。詐欺泥棒の旅に、どこまでも」
「約束は破らないよ」
2人は港街の風を味わうように、空を見上げて帰って行った。
♢ ♢ ♢
翌朝。
汽笛が鳴って、船は出港した。
旅立ちの朝はこの港街を象徴するように鮮やかに晴れて、オレンジの屋根の連なりが、眩しく船を見送ってくれる。
レオは手すりに腕と顎を乗せて、甲板から小さくなっていく港街を眺めた。
「ああ、行っちゃう……」
隣でアレキは、再び始まった航海に青い顔をしている。
「はぁ~、また船酔いの始まりか」
レオはアレキを見上げると、昨晩の決心が揺らいだような顔で切り出した。
「師匠とセイラさんが結婚して、ここで3人で一緒に暮らしても、僕は良かったんですよ?」
弟子の未練に、アレキは呆れ顔になっている。
「あんなまともなご家庭のお嬢さんを、俺みたいのが誑かしちゃダメだよ」
「でも……あんな事してたのに……」
レオは理解ができないという顔で、港街に視線を戻す。明るかった街は水平線に消えるように、小さくなっていた。
「しかも、セイラさんにお別れも告げずに逃げちゃって……今頃きっと、ショックを受けてます」
「告げても告げなくても、同じ事さ。怒って、泣いて、ビンタされるだけだ」
「はぁ……」
レオが失恋した時とは違って、随分あっさりとしたアレキに、大人とはこういう物なのかとレオは考えた。
異次元の扉からナイフの筒を取り出して、見えなくなった港街の代わりに眺める。
「出航前に同じ物が買えて良かったです。全部、魔獣に打ち込んでしまいましたから」
「レオ君。船の中ではナイフ使っちゃダメだからね? 一応武器になるんだから」
「はい。次の街に降りるまで、我慢します」
ナイフを仕舞うと、船室に向かうアレキに付いて行った。
「あ~、気持ち悪くなってきたわ~」
「師匠。船の移動がしんどいなら、陸路で移動したらどうです?」
「大陸の横断は危ないよ。昨晩の魔獣よりも、うんとデカい奴が襲ってくるからね」
レオは魔獣の力の強さと凶暴さを思い出して、身震いした。
「あれより大きいだなんて、食べられちゃいますね……」
「人間は魔獣のせいで長距離の移動ができないし、土地は分断されてんだ。大きな森とか砂漠地帯、山岳地帯にはそれぞれ、魔獣の住処があるから」
レオは恐怖を感じながらも、魔獣への興味が湧いていた。いったいどれだけの種類の魔獣がいて、どんな強さを持っているのか、この目で見たいという願望があった。
そんな考えを見透かすように、アレキはレオの頭を掴む。
「レオ君は無茶する子だから、俺は心配だよ。冷静に見えて意外に突発的だからなぁ」
レオは自身の性格を振り返り、確かにと頷いた。
船は順調に航海を続け、アレキの船酔いも段階的に悪くなっていった。
レオはあれこれと世話を焼きつつ、次の行き先が気になっている。港街での景色や出会いや体験が宝物のように輝いていて、レオは次にどんな新しい街が待っているのか、ワクワクしていた。
ベッドで寝ているアレキを覗き込んで、話しかけてみる。
「師匠、次はどんな街へ行くんですか?」
「ん? 次はね、お山だよ」
「お山?」
「レオ君、登山はした事あるかい?」
「いいえ、無いです。海の次は山かぁ。楽しみだな」
アレキは苦笑いしている。
「金持ちの太客が、山頂に住む変人なんだ。迷惑なとこ住むよな」
「山の上は景色も良さそうだし、いいじゃないですか」
レオはこの船の乗客が、リュックで装備している人が多い事を思い出した。
「そっか、みんな登山客なんですね?」
「この先は山脈があって、それぞれ山登りを楽しむんだろうけど、理解できない趣味だな。俺は都会っ子だからさ」
愚痴を吐いて、アレキは眠ってしまった。
レオはお腹が空いて、ランチを食べにひとり、ビュッフェに向かった。
サンドイッチやオムレツなど軽食が並ぶラウンジで、人々は登山話に花を咲かせていた。あの山の景色は最高だ、とか、あの山はあの花が満開で、とか、小耳に挟むたびに、レオは楽しみな気持ちが高まっていた。
一人でトレイを持って席に座ると、後ろの席は集団で盛り上がっていた。
「あんた、あんな危険な山によく登って来れたな」
「恐ろしい魔獣が住みついて、立入り禁止じゃなかった?」
山の魔獣話に、レオの耳がダンボになる。
「ま、俺の能力があれば、魔獣なんて怖かねえよ」
「おぉ、能力者はやっぱりすげえな」
レオはサンドイッチを頬張りながら、そっと後ろを見た。茶髪の男性が男らしくビールを呷りながら、能力自慢をしていた。顔に傷があって、修羅場をくぐって来たような雰囲気だ。
どんな能力者なんだろう?とレオは思うが、男性は周囲の同じ質問に半笑いで答えた。
「へっ、能力者は何の能力かなんて、簡単には言わねえよ。魔獣を倒せる、攻撃性の高い能力さ」
へ~、と周囲が感心して、レオも一人で頷いていた。
(やっぱり能力って、秘密にしておくものなんだ。アレキ師匠も、最後まで能力を隠して相手を驚かせろって、言ってたもんな)
ランチを食べ終わると再びビュッフェを見回して、アレキが食べられそうな物を見繕って、客室に戻った。
ベッドの上のアレキは、ぐっすりと眠っている。
「起こしたら可哀想だな」
お腹がいっぱいになったレオも眠くなって、お昼寝をしようとアレキのベッドに入る。
熟睡しているアレキの横で山登りに思いを馳せていると、アレキが寝ぼけてレオを抱き寄せて、小声で寂しげな寝言を言った。
「……セイラ……」
「……」
アレキが見せる大人びた顔は、殆どが嘘なのかもしれないとレオは案じて、労わるように優しく背中を摩った。




