18 燃える初恋
アレキはセイラの自宅に着くと、殆ど立てないセイラを片手で支えながら、セイラのバッグから鍵を探してドアを開けた。
「セイラさん、着いたよ~。お家だよ」
声掛けしながらドアを開けると、廊下の先から巨大な犬がこちらに真っ直ぐ走って来た。
「おわぁ!?」
セイラを抱えたアレキごと犬は飛びついて、尻尾を振っている。
「ひいぃ、俺は不審な者じゃないよ!」
犬のレオンに嗅ぎまくられながら、アレキはセイラを運んでリビングまで辿り着いた。ソファに寝かせると、息を吐いて床にへたり込む。
「えっと、キッチンは……」
キッチンの戸棚からグラスを出して水を注ぐと、セイラのもとに戻った。レオンはセイラの横にピッタリとお座りして、まるで不審者から主を守るようにアレキを睨んでいた。
「いやいや、君のご主人様にお水あげるだけだからね?」
「ワン!」
「大丈夫、大丈夫」
恐る恐るレオンを宥めてセイラに水を差し出すと、セイラは目を開けた。
「ここ……家?」
「うん。まずはお水を飲みな」
セイラはグラスを受け取ると、一気に水を飲んだ。レオンは主が目を覚まして安心したのか、ソファの横で伏せている。
「ぷはぁ」
「大丈夫?」
「うん……ごめんね。こんなに酔うなんて、恥ずかしい」
セイラは両手で真っ赤な顔を隠している。
「俺はいつもヘベレケになってレオ君に介抱してもらってるから、たまには介抱する役もいいよ」
セイラは笑って、改めてアレキを見上げた。紫の瞳をジッと見つめている。
「どうして瞳の色が違うの? ロラン君の瞳は、青かった」
「これは……体質なんだ。俺が子供の頃に会ってるんだね。覚えてなくてごめん」
セイラは首を振って、懐かしむ表情になる。
「ずっと昔の事だもの。あなたのお兄様が出場した、騎乗レース……そこで私達、会ってるの」
セイラの答えに、アレキは鮮明にその時の記憶が蘇っていた。
自分が10歳の頃、兄のアベルが騎手として大きな大会に参加したのだ。動物に乗れなかったロランは、観客席で見学していた。
アベルと同じくらいの年頃の子達はハイレベルな騎乗で競い合い、ロランは気圧されっぱなしだった。激しい優勝争いで、優秀な兄が勝つだろうと自分も家族も思い込んでいたが、圧倒的な走りで兄を抜いた勇ましい選手は、短い亜麻色の髪に、オリーブグリーンの瞳の男の子だった。
「あの時、アベル兄様を抜いて優勝したのは……」
アレキは目を見開いて、セイラの顔を見た。
「君……!?」
「そう」
「いや、でも、男子だったような」
「失礼ね。ショートカットだったけど、女の子よ!」
憮然とするセイラの顔を見下ろしながら、アレキはさらに記憶が蘇る。
「俺がいた観客席の近くに……君は座ってた」
「そうよ」
「それで、帰り際に聞かれたんだ。君、名前は? って」
「あなたは、僕はロラン。って可愛い顔で答えたわ」
「お、俺は怖いお兄さんに名前を聞かれた記憶しかない」
「だから、女の子だってば!」
セイラは怒ってから、笑い出した。しかしアレキは不可解だった。そんな一言だけ交わしただけで、自分を覚えているなんて。
「あなたは知らないけど……私は他のレースの間、ずっとあなたの顔を見てたから、覚えてるの」
「どうして?」
「あまりに可愛くて……初恋よ。だから忘れないし、再会してすぐにわかったわ」
セイラの頬が再び薔薇色になって、アレキは時が止まった。怖いお兄さんに絡まれた自分の記憶と、セイラの乙女チックな初恋の思い出の温度差が激しくて思わず笑いそうになったが、それを堪える。
「俺は弱虫でナヨナヨしてたと思うけど。変わった趣味だね」
「純粋な瞳で一生懸命お兄様を応援していて、ひと目で好きになったの」
ほんのひと時の接触で、セイラが自分を深く知っていたわけではなかった事にアレキは安堵していた。と同時に、不思議な運命で再会したセイラの瞳は恋にのぼせるように自分を見つめていて、妙な気持ちになっていた。
改めてセイラを俯瞰して見ると、潤んだ瞳が美しくて、薔薇色の頬も乱れた髪も艶かしい。2人の間に無言の時が流れて、惹かれ合うようにキスをしていた。酔いが互いの温度を上げて、レオンが吠えても、アレキはセイラから離れなかった。
♢ ♢ ♢
その頃、宿で。
レオはナイフ投げの練習がひと段落して、窓の外を眺めた。海は月光で輝いて、美しい夜景だった。
「師匠、遅いな。先にシャワーを浴びようかな」
夕食も一人で食べ終えて、退屈していた。
港の夜景を眺めていると、鳥の大群のような物が見える。ギャア、ギャア、と大きな声で鳴いていて、夜には珍しい光景だった。
「随分、大きな鳥だな。夜に集団で飛ぶなんて、港には夜目が利く鳥がいるんだ」
こちらに向かって来た集団は、宿の窓を横切って飛んで行く。バチバチと光を放つ飛行物体に、レオは目を見開いた。
「宝石が……飛んでいる!?」
赤、青、黄色、緑……まるで宝石の塊のように輝く生物が、羽を広げて飛んでいた。それは鳥ではなく、蝙蝠の羽と鋭い牙と爪を持つ、コドラゴンだった。
「師匠が言ってた、宝石の魔獣だ!!」
魔獣は猛スピードで宿の横を抜けると、丘に向かって飛んで行った。
「人を喰らう魔獣が、どうしてこんなに沢山!? 大変だ……街の人が襲われる!」
レオは部屋を飛び出して、外に出て行った。
そこかしこで悲鳴が聞こえて、皆空を指して叫んでいた。魔獣の集団は坂道を抜けて、丘の上を飛んでいる。
「セイラさんのお家の方だ!」
レオは丘の坂を目指して駆け出した。
♢ ♢ ♢
一方、ソファの上では、アレキとセイラが熱く絡んでいた。
レオンは吠えても無視する2人に業を煮やして、アレキのシャツに噛み付くと、グイグイと後ろに引っ張り出した。
「んん、ちょっと、ワンちゃん。今お取り込み中だから」
右手でおでこを制しても、グンと割り込んで、セイラとアレキの間に無理矢理入ってくる。
「ちょっとちょっと、君も参加したいの?」
笑うアレキに、レオンは大きな声で吠える。
「ワン! ワワン! ワオン!」
尋常では無い吠え方に、セイラも身体を起こして愛犬の顔を見た。
「どうしたの? レオン?」
「やきもちかな」
「でも、こんな吠え方……」
2人がレオンに注目していると、ガツン! と大きな音が、バルコニーの窓で鳴った。驚いて振り返ると、窓には緑に輝く宝石の魔獣がへばりついて、庭に落下し、また飛び立って行った。
「な、何!? 今の!?」
飛び起きるセイラの横で、アレキは固まっている。
「ま……魔獣だ……! エメラルドグリーンの魔獣だ!!」
恐ろしい気持ちと、マダム・ローズに売りつける金額が同時に混ざり合い、アレキは急いで脱いだジャケットを着直した。
庭の上空には沢山の魔獣が飛んで、時折庭に降り立ったり、窓に衝突したりしている。
「セイラ、君は家から出ないで鍵を閉めておくんだ! こいつら人を食う魔獣だから、絶対に接触するな」
セイラは背筋を凍らせた。
「魔獣が、どうして街に!?」
「多分、密輸に失敗してコンテナが破損でもしたんだろう」
「そんな……ロラン、あなたも外に出たらダメよ!」
ロランと呼ばれる事にアレキはむず痒い気持ちになりながら、微笑んだ。
「うちのレオ君は無茶をする子だから、様子を見てくる。街の人も心配だ」
セイラは別れが名残惜しく戸惑うが、瞳を毅然とさせて頷いた。
「馬車を返してしまったでしょ? うちのレオンを連れて行って」
「え!? この犬を!?」
「徒歩では魔獣に追いかけられたら、逃げられないわ。この子は軍用犬で魔獣より早く走れるから」
「いや、でも……」
アレキが戸惑っている間に、レオンは走ってアレキの横に並び、ドン! と体を押して来た。
「ひえっ」
「レオンもあなたに付いて行く気だわ」
「わ、わかった……レオン君をお借りするよ。その前にちょっと、鏡を借りていい?」
「え? ええ」
キョトンとするセイラを残してアレキは洗面台に向かうと、鏡に向かって、赤い瞳で自己洗脳を掛けた。
「俺は動物が怖く無い。騎乗だって、お手の物さ」
♢ ♢ ♢
セイラの自宅へ続く坂道を駆け上るレオは、木の盾を頭に被って魔獣を凌いでいた。時折盾に爪の攻撃が当たってよろめく。
「人間の匂いに寄ってくるんだ。あっちへ行け!」
レプリカの剣を振り回すが、硬い鱗で覆われた魔獣には全然効かない。
2匹、3匹とレオに魔獣が集まって来て、流石に焦り出す。
「この!」
レオはナイフを取り出すと、魔獣に向けて放った。
カツン! 硬い鱗は刃を通さず、跳ね返して、ナイフは地面に落ちた。
「そんな……刃物が刺さらない!?」
逃げ惑う住民達を助けるどころか、レオの身も危険に晒されていた。盾を爪で掴み、顔面を目掛けて襲ってくる牙をレプリカの剣で塞ぐので精一杯だ。
「うわっ、何て力だ!」
初めて遭遇する魔獣の強さに恐怖を感じ、立ち往生する頃、レオは真横に疾風を感じた。
「レオ!」
まるで狼のように地面に着地した犬のレオンと、それに騎乗するのは、まさかのアレキサンダーだった。
「師匠と、レオン!?」
レオは突然の不思議な組み合わせに驚くが、魔獣の攻撃は激しく、アレキの差し出した手を必死で掴んでレオンの上に引き上げられた。途端にレオンは疾走し、魔獣は遠く離れて行く。
「師匠が何故、レオンに乗ってるんです!? 騎乗は苦手って……」
「言ってる場合じゃない。魔獣の数がヤバいな」
エメラルドグリーンの魔獣で金儲けをする煩悩が消え去るほど、港の空は魔獣に蹂躙されていた。彼方此方で悲鳴に混ざって、住宅の窓が割れる音がする。
「窓を割って、家に進入している! 師匠、セイラさんは!?」
「自宅に避難してる。だが、窓を破られたらまずい」
「この魔獣は硬い鱗に覆われていて、刃物が通りません!」
「喉の白い部分を狙うんだ。鱗が無い場所が急所だ」
レオが空を見上げると、飛んでいる魔獣達の喉元は、胸の部分まで確かに白い。レオはアレキにコアラの赤ちゃんのように抱きつくと、後ろから猛スピードで追ってくる魔獣を目掛けて、ナイフを放った。
「グエッ!」
魔獣の喉に命中して、落下した。
「レオ君、凄いぞ!」
「師匠、旋回してあの集団の真下に行ってください! 投網をします!」
「了解」
アレキがレオンの手綱をコントロールすると、レオンは機敏に応えて、魔獣の集団の真下へ向かった。
レオはアレキの肩に掴まって立ち上がり、頭上に目標を定める。アレキはレオの脚を片手で支えながらレオンを操作し、レオンは魔獣達の飛ぶ高さに近く、大きくジャンプした。
「今だ!」
魔獣の群れは頑強な綱を被されて、絡まって落下した。ギャーーッとパニックになっている鳴き声が響く。
続けて後ろに、上にとナイフを投げて魔獣を落とすレオをアレキは抱えて、高らかに笑う。
「レオ! 勇敢な魔獣ハンターだな!」
その様子を2階の窓から、セイラはへばりついて見ていた。
「ロラン、レオ君……凄い。あのレオンを、あんなに乗りこなすなんて」
恋とはまた別の熱い気持ちが込み上げて、ギュッと胸の前で手を握っていた。




