16 坂の上の美女
セイラの家は室内も真っ白な壁で、綺麗な模様のタペストリーや異国のオブジェが飾られて、素敵な雰囲気だった。
レオが部屋を見回しながらお茶を飲んでいる間、犬のレオンはビシッと姿勢良くお座りして、賢い瞳でレオを見張っている。厳しく訓練されているのがわかる。
お姉さんがラフなワンピースに着替えて戻ってくると、レオンは伏せをしてリラックスをした。
「お利口な犬ですね」
「レオ君にそっくりでしょ。この子は軍用犬だから、隙がないのよね。レオ君も隙が無いもんね?」
「え!?」
「さっきのひったくりを、どうやって転ばせたの?」
「そ、それは足を引っ掛けて……たまたまです」
レオはセイラの勘の良さに、しどろもどろになる。
「何か武術をやってるの?」
「兄様から剣術を教わっています」
「へぇ~、気になる兄弟だなぁ」
レオは誤魔化し笑いをしつつ、セイラの後ろにある物を発見して、思わず立ち上がっていた。
「あ! 的だ!」
セイラが後ろを向くと、壁に丸い的が掛かっている。小さなナイフが2本刺さっていた。
「ん? ナイフ投げのゲームだよ。興味があるの?」
「僕、港のお店でナイフを買って……」
勢いのままつい、掌から出したナイフの筒を手にしていた。
「え!? その筒、どっから出したの!?」
「あ、えっと、実はナイフ投げの練習場所を探してて……これはバッグに入れてたんですよ」
レオは慌てて、腰の部分に異次元の扉を現して、ウェストバッグを取り出した。
「へ~、いいナイフだね。見せてご覧」
レオが筒ごと渡すと、セイラは柄の装飾を見ている。うんうんと頷いて一本取り出すと、シュトッ! と的に向かって投げた。アレキの動作よりもさらに素早く、滑らかに見えた。
「あ! 真ん中に当たった! 凄い!」
「これ、毎朝投げてるの。真ん中に当たったら、ラッキーな事が起こるって決まりなんだ」
セイラの変な習慣に、レオは笑う。
「やってごらん」
「ダメです! 壁に穴を開けちゃう。さっきも宿の壁に刺してしまったんです」
セイラは的を壁から外すと、庭にレオを誘導した。
「じゃあ、木に掛けるから、外で好きなだけ練習しなよ」
「いいんですか!?」
レオは思わぬ練習の場に舞い上がった。しかもセイラは手取り足取り、ナイフ投げのコツを教えてくれた。
「んじゃ、私はご飯の用意してくるから、練習しててね」
セイラは室内に戻って、レオはひとり、ナイフ投げの練習に夢中になった。
「セイラさんの言う通り、体の力みを無くしたらスムーズに投げられる」
レオはコツを掴んで何度も投げるうちに、的から外す事は無くなっていった。さらにナイフを筒ごと異次元の扉に仕舞って、一本ずつ投げてみる。
「連射ができる! 便利だなぁ」
タッタッタッと的の中心に右手から3本が連続で刺さって、左手から2本が外枠に刺さった。
「左手の精度も上げよう」
真後ろに気配がして振り返ると、いつの間にかセイラが目を丸くして、的を見ていた。
「ちょっと……今の何!? どうやって連射したの!?」
レオはしまった、と肩を竦めた。
「あ、えと、左右の手で練習してみました」
セイラは無言でレオに近づくと、レオの右手を取って、真顔でじっと見ている。レオは緊張でドキドキしていた。
「あの……」
「レオ君、飲み込みが早いのね。ナイフ投げの才能があるわ。それに、ナイフだけじゃない。あなたって……優秀な子ね」
「あ、ありがとうございます」
レオはセイラのオリーブグリーンの瞳を間近で見て、セイラこそ普通の女性ではないと感じていた。フェミニンなワンピースと髪型に惑わされたが、こうして見ると凛としているし、華奢に見える体は引き締まっていて、鍛えられている感じがする。
「さぁ、ご飯を食べましょう。今日のデートは最悪だったけど、素敵な男の子とディナーができて、最高だわ」
セイラは上機嫌でレオの手を引いて、室内に戻っていった。
美味しい家庭料理とお喋りを楽しんで、食後のお茶を頂く頃には夜も深まっていた。レオは完全にアレキの事を忘れていて、時計を見た後に突然立ち上がった。
「しまった、兄様は宿の鍵を持たずに出かけてるんだった!」
「あらら、お兄さん締め出されてるわね」
「僕、宿に戻らないと。今日は楽しかったです。ご馳走様でした」
食器を運ぼうとするレオを、セイラが止めた。
「そのままでいいわ。送って行くわよ」
「いえ。帰りはセイラさんひとりになってしまいますから、危ないです。治安が悪くなってるなら尚更。僕は男だし、宿は近いので大丈夫ですよ」
「レオ君はほんとにジェントルね」
玄関まで送りに出ると、セイラは名残惜しそうに小首を傾げた。
「レオ君、いつでも遊びに来てね。また一緒にディナーしましょう」
「はい。また遊びに来たいです! それでは、おやすみなさい」
レオはどっぷりと夜が更けた坂道を走って下りながら、口元が緩んでいた。温かな手料理と大人の女性との会話は新鮮で楽しく、心が舞い上がっていた。
宿に辿り着いて部屋の鍵を開けると、室内ではアレキがバスローブを着て、ソファで本を読んでいた。
「師匠! 遅くなりました!」
「レオ君! 酷いよ、締め出したりして! 宿の人にスペアキーで開けてもらったんだから!」
「すみません、すっかり時間が経つのを忘れて……」
レオの顔がにやけているので、アレキは不審な顔をする。
「どこで何してたんだい? レオ君は不良だな!」
「えへへ、師匠、ちょっと見ててください」
レオは浮かれた様子で大きなリンゴをテーブルに置くと、かなりの距離を取った。
スタッ、タタン!
左右の手からナイフが連射して、全て果物に刺さっていた。
「どうです!? 連射です!」
「何!? どこで覚えてきたの!? そんな技!」
いきなり高度な技を繰り出す弟子に慄き、仰け反っている。
「えへへ。僕、素敵な先生と出逢ってしまいました」
「な、な、浮気だ!! 俺という師匠がいながら!」
勿体ぶったレオはベッドに入って眠る前に、ようやく今日出会ったセイラの話をしてくれた。アレキはブスッとした顔で聞いている。
「美人のナイフの達人か。怪しいな~。レオ君、何でも喋っちゃダメだからね?」
「僕と師匠は兄弟で旅行中と言ってあります。セイラさんは学生さんらしいですよ」
「警察学校の学生だったらどうすんの?」
アレキのツッコミに、レオはギクッとした。自分達が詐欺泥棒である事を、すっかり忘れていた。
「確かに、セイラさんは只者じゃない感じでしたが……僕たち悪い事はしてないですもん」
「悪い事してるよ! 億万の財産を盗んだくせに」
アレキはレオの右手を指した。レオはそれもすっかり忘れていた様子で、アレキは呆れる。
「警察と軍の関係者には気を付けないとダメだよ? 捕まっちゃうんだから」
「は、はい……気を付けます」
「俺はレオ君のために、動物の騎乗を訓練できる施設を探して来たっていうのにさ。その間に浮気されるとはね」
レオはガバッと、ベッドから起き上がった。
「ほんとですか!?」
「それも忘れてたの?」
「いいえ! 楽しみにしてました! やったぁ!」
「明日の朝予約してあるから、訓練施設に行くよ」
「アレキ師匠! ありがとうございます!」
レオは港街に来てから嬉しい事が続いて、すっかりと失恋の傷が癒されたようだった。
♢ ♢ ♢
翌朝。
レオとアレキは騎乗訓練の施設にやってきた。広々とした芝生のコースがあって、様々な動物に乗った人たちが走ったり、障害物を越えたりと訓練している。
レオとアレキが柵の向こうを見学していると、後ろから声が掛かった。
「ご予約頂いたアレキサンダー・オルドリッチ様ですね?」
アレキが振り返ると、美しい女性が立っていた。想像と違う人物が騎手の格好をしていて、アレキは意表を突かれる。その横でレオは、固まっていた。
「私、騎乗訓練の講師を努めさせて頂きます。セイラ・アレンと申します」
「セイラさん!!」
講師の自己紹介とレオの驚きの声が重なって、アレキは2人の顔を見比べた。セイラも目を丸くして、驚いている。
「え!? レオ君!?」
「セイラさんが講師なんですか!?」
置いてけぼりのアレキを、セイラは振り返った。
「じゃあ、こちらがレオ君のお兄様の!?」
含み笑いをしているセイラに、アレキは慌てて挨拶をする。
「はじめまして。アレキサンダー・オルドリッチです。訓練をお願いしたいのは弟のレオですが、既にお知り合いのようで……」
セイラは深々と頭を下げた。
「ひったくられたバッグを、レオ君が取り返してくれたんです。おかげ様で助かりました」
「いえ。こちらこそ、お家にお邪魔して、お夕食までご馳走になったようで」
大人同士のやりとりをしながら、アレキは違和感を感じていた。セイラは常識的な会話をしているが、その目はマジマジと、アレキの顔を無遠慮に見ている。アレキは自分の瞳の色が不自然に移ろいでないか気になって、目線を逸らした。
「レオ。凄い偶然だね」
「はい! まさか、セイラさんが講師だなんて」
セイラはウフフ、と笑っている。
「私は獣医学校に通ってるんだけど、冬休みの間は勉強も兼ねて、ここでバイトしてるのよ」
「セイラさんはナイフだけじゃなくて、騎乗も得意なんですね。しかも獣医学校だなんて動物のプロなんだ」
「子供の頃から動物が好きだったの。レオ君もすぐに乗りこなせるわ」
満面の笑みで浮かれるレオの手をセイラは握って、動物舎に連れて行く。
「まずは動物を選びましょう。相性があるから、触れ合いからよ」
「わぁ、楽しみです!」
セイラはアレキを振り返った。
「せっかくですから、お兄様も騎乗してみます?」
「いえ。俺は落っこちちゃったら怖いんで」
「あら! ウフフ……」
レオと笑い合いながら、動物舎に向かう2人の後を、アレキは歩いて付いて行った。
動物舎に着くと、レオの興奮はマックスになっていた。犬を中心に、山羊、羊、鳥、と様々な動物が並んでいた。レオは端から端まで、1頭ずつ真剣に相性を見極めている。
柵に頬杖を付いてレオを見物するアレキの横に、セイラがやって来た。
「弟さん、可愛いですね。それにとても優秀な子ですね」
「ええ。俺よりも優秀で困ってますよ」
「ウフフ……」
セイラはまた、アレキの顔をじっと見つめている。アレキもセイラの顔を見つめてみるが、セイラは含みのある、何か言いたげな顔をしている。さてはレオがアレキについて、アレコレと変な話を吹聴したのかと考えるうちに、セイラは顔を赤らめて目を逸らした。
「セイラさん……俺は用事があって行かなきゃならないんで、弟を頼みます」
「あ、はい! お任せください」
セイラとレオに手を振って訓練施設を後にし、一人歩きながら、アレキは首を捻った。
「んん? 何だ? この感じ……」
言い知れぬ違和感を感じていた。




