15 カラフルな街
地面に降り立ったアレキサンダーは、生き生きと紫色の瞳を輝かせて両手を広げた。
「陸だぁ! とうとう大地に降り立ったぞ!」
長い船酔いの旅を終えて、覇気が戻っていた。
その後ろから付いて来るレオは対照的に、半透明の存在感で佇んでいる。白猫マリンへの失恋の傷は、まだ癒えていなかった。
青空の下に広がる港町は真っ白な壁にオレンジ色の屋根が連なって、爽やかな景色だ。レオの育った灰色の町とは気候からして違うのが、空気で分かる。
「ここは温暖な土地で、果物や魚介類が美味しいよ。港町だから貿易も盛んで、商店も栄えている。動物の種類が豊富なのも特徴だね」
アレキの観光案内のような説明を聞きながら、レオは街を眺めて歩くうちに元気を取り戻しつつあった。確かに、明るい服装の人々に混ざって、様々な動物が見られる。馬車を引くのも犬だけでなく、齧歯類や爬虫類など、種類に富んでいた。
「師匠はこの港街に来たことがあるんですか?」
「ああ、仕事でね。そんなに長く滞在したわけじゃ無いけど……あ、ほら、レオ君。お店がいっぱいあるよ」
そこには高級ホテルの周辺にあったハイソな店と違って、雑多に物が積まれた、異国情緒が溢れる小さな店が並んでいた。それぞれカラフルな個性を持ってひしめき合っている。
大きな果物、吊るされた籠細工、民族的な模様の織物や、日用品。
「わあ、いろんなお店がある!」
レオは駆け出して、店の外や中を覗いて、好奇心で舞い上がっていた。アレキはその姿にホッと胸を撫で下ろし、レオの後に続いた。
「見てください、これ!」
レオは武器屋を指して興奮している。
「見たことない武器がいっぱいありますよ! 変な鎧もある!」
「レオ君、武器かい。お菓子屋さんも玩具屋さんもあるのにさ」
「これ、どうやって使うんだろう? どこの国の武器だろう?」
大きな肉叩きのようなハンマーや、うねった形の刀を手に取って、興味津々だった。
「ねぇ師匠、これ見て!」
鉛筆立てのような筒の中に、細くて小さなナイフが沢山挿さっていた。それぞれの木の柄には、様々な模様が彫られている。菱形、コイン、星の形。エキゾチックなデザインにレオは魅入って、1本ずつ好みの模様を探している。
「レオ君、それが欲しいのかい?」
「はい。どれが一番、格好いいでしょうか」
アレキは筒ごと取り上げると、店主に渡した。
「これください」
「ありがとうございます!」
レオは驚いて、アレキの裾を引っ張る。
「ちょっと師匠! 全部って、大人買いですか?」
「違うよレオ君、あれは全部で一つの商品だよ」
「え?」
「手投げナイフだから、一本ずつ投げて使うんだよ」
「そうなんですか!?」
店主は笑って品物を紙で包んでいる。
「東の山の向こうの民族が使う、余興のナイフさ。争いではなく、的や果物を狙って、ゲームやお祭りで使うんだよ」
「わぁ、面白そう。僕も使えるようになりたい!」
レオの気持ちは完全に、失恋からナイフに移っていた。
購入した包紙を大事そうに抱えて、アレキと手を繋いで商店通りを歩いた。本屋で本を何冊か買い、服屋でラフな物を何点か買って、ジュースを買って飲みながら宿に着いた。
「結構買い物したから、宿に荷物を置こう。それにその格好、暑いだろ?」
確かに、コートは汗ばむほどこの街の気候は温暖だった。
真っ白な壁に巨大な椰子の木がサイドに聳える宿に入ると、アレキはサインをしてチェックインして、部屋に案内された。
大きな窓から青い海を望む、明るい部屋だった。
「港街! って感じですね」
「ああ。やっぱり海は陸から眺めるのがいいな~」
アレキは先ほど買ったラフな服を出すと、レオに渡した。
「これに着替えな。この街で貴族の格好は目立つからね」
レオは言われた通りにコートを脱いで、高貴なジャケットとシャツを、ラフなシャツに着替えた。そこに紫の宝石のブローチを着けると、アレキに止められた。
「ダメダメ、そんな高価な物着けてたら、スリに狙われちゃうから」
「えっ、スリ?」
「ここは賑やかな分、治安が少し悪いんだ。俺たちみたいに旅をしながら泥棒する奴もいるからね」
「同業者に狙われるなんて、複雑な気分です」
レオは素直にブローチを外すと、すぐに異次元の扉に仕舞った。貴族の服もコートも仕舞って、レオはすっかり、この街の子供のような外見になった。アレキも貴族の服をトランクの中の服に着替えて、爽やかな青年に見える。
「師匠は服装によって、若くなったり大人になったりしますね」
「どんな格好してもイケメンだろ?」
「はい。でも少し、怪しいです」
紫色の瞳に宿る怪しい輝きは、隠しようがなかった。
「よっしゃ、それじゃ俺は、飲み屋に偵察に行くかな」
「昼間からお酒ですか?」
「船酔いでずっと呑めなかったもん」
「師匠は仕事を理由にしますが、お酒が好きですよね?」
ご機嫌で支度してレオの話を聞いていないアレキのシャツを引っ張る。
「出かける前に、このやり方を教えてください」
手にナイフの入った筒を持っている。
アレキは中から一本取り出すと、肘から直角に振り下ろし、手を的に向けて真っ直ぐに射った。
ヒュトッ! と鋭い音がして、テーブルの上の大きなオレンジに突き刺さっていた。
「わ!? 格好いい! 師匠は何でもできるんですね!」
アレキは得意げに鼻を擦った。
「酒場でも賭け遊びでやるからね」
「僕もこれ、絶対マスターします!」
アレキが出かけた後、レオはフルーツを並べて的を作って、アレキの動作を真似して練習をしてみた。が、ナイフは頓珍漢な方向に飛んで、宿の壁に刺さってしまった。
「わ! や、やばい、怒られる」
レオは慌ててナイフを抜いて、壁を指で鞣した。
「これは外で練習しないと、壁が穴だらけになっちゃう……」
独り言を言いながらナイフを筒ごと異次元の扉に仕舞うと、ホテルの鍵を持って部屋を出ていった。
一人ブラブラと、ナイフ投げの練習ができる場所を探して、散歩をしてみる。
「いつも散歩は師匠と一緒だから、一人って新鮮だな」
夕方でも港の空は明るい。レオは心地よい気分で目的も忘れて、内陸に向かう坂を登っていった。商店を見下ろす丘の周辺は閑静な住宅街で、気持ちの良い海風が吹いている。
「港街っていいなぁ。僕もこんな明るい街で育ちたかったなぁ」
そんな爽やかな空気を、突然の叫び声が引き裂いた。
「誰かぁ!」
女性の甲高い悲鳴にレオは咄嗟に振り返ると、男が坂道を転がるように走っていた。右手には、不自然に女性物のバッグを持っている。さらにその後ろから、ワンピースの女性がよろけるように走っていた。
「女の人が追いかけてる……ひったくりだ!」
レオの横を男が通り抜ける瞬間に、レオは男の回転する脚に向けて、レプリカの剣を差し込んだ。
「おわ!?」
男は脚が絡まり、坂道を転がるように転倒した。宙に投げられたバッグをレオがキャッチすると、転んだ先で振り返った男はバッグを諦めて、逃げて行った。
レオはバッグを抱えたまま唖然とする。
「治安が悪いって本当なんだ。こんな住宅地にまで、ひったくりがいるなんて」
後ろから、息を切らせた女性がレオの元まで辿り着いた。膝に手をついて、呼吸を整えている。
「ハァ、ハァ、僕……ありがとう!」
顔を上げると、汗だくの女性は20歳くらいのお姉さんで、綺麗な人だった。髪を淑やかに纏めて清楚なワンピースを着ているのに、ハイヒールを脱ぐと乱暴にほっぽり投げた。
「あ~、もう! こんな靴履いてる時に限って! も~」
「お姉さん、大丈夫ですか?」
レオがバッグを差し出すと、苦笑いして受け取った。
「久しぶりに歩いて帰ろうと思ったら、バッグ盗られちゃったの。最近、ほんとに治安が悪いわ」
レオが見下ろすと、お姉さんの踵から血が流れていた。
「あ! 怪我してます!」
「ヒールで走ったから、靴擦れしちゃった」
痛そうに顔を顰めるお姉さんに、レオは慌てて掌からガーゼと包帯を出して渡した。
「これ。ガーゼを当てて包帯を巻いたら、靴が当たらないかも」
お姉さんはギョッとして、レオを見下ろした。
「僕、ガーゼと包帯なんて持ち歩いてるの? 準備のいい子だね」
「あ、いや、たまたまです……」
お姉さんは不思議そうな顔で受け取って、靴擦れにガーゼを当てて包帯を巻くと、ヒールを履き直した。
「うん、だいぶマシね」
だが痛みでよろけているので、レオは慌てて肩を貸した。
「お家までお送りします! 僕の肩に掴まってください」
お姉さんは驚きの顔の後に、笑い出していた。
「今日はデートに失敗してムカついて帰って来たのに、まさかこんな所でジェントルに会うなんてね」
明け透けなお姉さんに、レオは赤面する。お姉さんは遠慮なくレオの肩に手を乗せて、大人っぽい笑顔で名前を教えてくれた。
「私はセイラよ。家はあっち」
「僕はレオです。では、参りましょう」
家に着くまでの10分ほど、お姉さんはさらに明け透けなお話をしてくれた。誘われて行ったデートがつまらなかった事。男の気が利かなかった事。同年代の男は子供っぽい、との事。レオはお姉さんのようなお年頃の女性とこんな会話をするのは初めてなので、緊張しながらも貴重な勉強をするように聞き手に徹した。
「ねぇ。レオ君て、弟でしょ?」
「はい。兄様と旅行でこの街に来ました」
「お兄さん? お姉さんがいるのかと思った! 何でそんなにジェントルなの?」
「えっと、兄様は男だけど、女々しいっていうか」
「あっははは!」
「あ、いや、格好いい兄様なんです! でも、女性のようにロマンチックで繊細なんです」
フォローになっておらず、お姉さんは大笑いしている。
「あ~、笑った。お家ここだよ」
着いた家は真っ白な壁で芝生の庭があり、カラフルな花が咲いている。こじんまりとしつつも、洒落た建物だった。
「素敵なお宅ですね」
「レオ君、家に上がっていって」
「え、でも……」
「お礼をさせてよ。今日はディナーも台無しになっちゃったし、レオ君ともっと話がしたいな」
「そ、それじゃあ、少しだけ……」
レオは好奇心から、このお洒落なお宅の中を見たくなっていた。
「ただいまぁ」
玄関の鍵を開けてお家の人が出てくると思ったら、飛び出して来たのは、大きな犬だった。
「わ!?」
驚くレオの横をすり抜けて、セイラに飛びついている。白と黒の長い毛の、利口そうな犬だ。
「レオン、ただいま~」
セイラの言葉に、レオは目を丸くした。
「レオン!?」
セイラは吹き出して笑う。
「そう!愛犬レオンよ。レオ君と名前が似てるね」
「レオン……はじめまして……」
呟くレオに、レオンは嬉しそうに吠えた。




