14 星空のデート
船に平和が戻って、航行が再開された。
みんなの喜びを他所に、アレキは重度の船酔いでベッドに伏せている。
狭い客室で、ミリーと教育係のジェシカは再会して抱き合っている。レオは自分のベッドの上にマリンを乗せて、呆然と絡まっていた。
「ライオネル様とアレキサンダー様は命の恩人です。お嬢様がご無事で、旦那様がどれだけお喜びになるか」
ジェシカは丁寧にお礼し、ミリーも泣き顔でレオに歩み寄った。
「レオ。あなたって、まるで勇敢な騎士みたい」
「マリンが凄い子だから……マリンのおかげです」
「この子はお父様が、私のお誕生日のお祝いに買ってくれたの。優秀な血統の猫種なんですって。でも私じゃ、あんなに乗りこなせないわ」
ミリーはレオにべったりと身体を寄せているマリンを見上げた。
「この子もあなたが自分にとって、最高の騎手だとわかっているみたい」
「ねぇミリー、君は明日、次の港で降りてしまうんでしょ?」
「ええ。お父様が待ってるから……レオと別れるのは寂しいわ」
ミリーは熱い眼差しでレオを見つめている。レオはその瞳に照れて、少し目線を外した。
「ひとつ、お願いがあるんです。明日の朝まで、マリンと一緒にいてもいい?」
ミリーは笑う。
「助けてくれたお礼にしては、ささやかね。勿論、いいわよ。マリンもそうしたいみたいだし」
ミリーはジェシカと一緒に、客室を出ていった。
「明日の朝、迎えに来るわね。おやすみなさい」
部屋はシンと静かになった。
レオがベッドを降りて、寝ているアレキを覗き込むと、アレキは気配に気づいて薄目を開けた。
「師匠。大丈夫ですか?」
「うん。また揺れてる……」
「航行が再開しましたから」
「レオ君、無茶はダメだよ」
「はい。ごめんなさい。後先を考えているつもりで、僕は全然覚悟が足りませんでした。人を殺す勇気も無いのに」
「そんな勇気が君にあったら、俺は怖いよ」
「あはは、そうですね」
会話の途中でノックが鳴った。
ドアを開けると、船長と船員が並んで立っていた。手の平のハンカチの上に、あの紫の宝石のブローチが乗っていた。
「夜分に失礼します。こちらのブローチはライオネル様の物だと、多くの証言がありましたので。お間違い無いでしょうか」
「あっ!」
レオはブローチを受け取って、両手で大切に包んだ。
「これは僕の宝物なんです。ありがとうございます!」
「いえ。こちらこそ、助けて頂きありがとうございました。この船は貴方様とお兄様のおかげで、海賊から守られました。あの、お兄様は……」
室内を見回す船長に、レオは苦笑いで応えた。
「すみません。兄は船酔いで寝込んでいまして」
「左様ですか。お大事になさってください。また後ほど、改めてお礼に伺います」
船長達が去って、レオは掌のブローチを眺めると、着替えたシャツに着けた。
マリンがベッドから降りて、レオに身体を擦り付けて来た。
「マリン。少しお散歩しようか?」
「ニャン」
客室の外に出ると、海賊の騒動が嘘のように、甲板は静まり返っていた。波の音だけが聞こえて、満天の星空と、海の境の区別がつかなかった。心地良い潮風に、マリンもうっとりとした顔で天を仰いでいる。レオはマリンと星空を見ながら、並んで歩いた。
「マリン。綺麗な星空だね。君と一緒にこんな景色が見れて、僕は嬉しいよ」
マリンは立ち止まって、ペタッと伏せた。
「あはは、乗ってもいいの?」
レオが背中に乗ると、トットットッ、とご機嫌な足取りで、マリンは歩いた。疾走した戦場とは全く違うリズムで、温かい背中がフワフワと弾む。
「わぁ、何て乗り心地がいいんだ。マリン!」
レオは首に抱きついて、ゴロゴロの音に耳を澄ませる。
彼方此方と散歩して、ジャンプして、走って、レオとマリンは船の先頭で、並んで座った。
レオは掌からお皿を出して、温かい湯を入れて少し冷ますと、マリンの前に置いた。マリンはお行儀良くペロペロと飲んでいる。レオもマグカップに紅茶を入れて、一緒に飲んだ。肌寒い体が温まっていく。
レオは大きな鹿の毛皮……ヴァドの屋敷から拝借した高級な敷物を甲板に広げると、マリンと一緒に横になって、輝く星空を眺めた。幾つもの流れ星がはっきりと見えて、それは街中で見たことのない美しさだった。
そっと横を見るとマリンもこちらを見ていて、マリンブルーの瞳に星が映って輝いていた。
「マリン……僕はずっと君と一緒にいたいよ。この気持ち、何だろう」
「ニャ~」
マリンの頬を撫でて、鼻にキスをして、おでこにキスをする。
「マリン。好きだよ。僕の事、忘れないでね……」
マリンもレオに鼻を押しつけ、おでこを舐める。
レオとマリンはそのまま抱き合って、朝まで一緒に眠った。
幸せな夢を見て、ザワザワとした騒めきに囲まれて……レオは目を覚ました。
隣にはマリンがいて、自分達の周りを観客たちが笑顔で囲んでいた。
「わぁ!?」
「おはよう、レオ」
両手を腰に当てたミリーが、呆れて見下ろしている。コートを着て、旅の格好をしていた。
レオは飛び起きて、周囲を見回した。
「朝!? もう港に着いたの!?」
「もうすぐ着くから、起こしに来たのよ。まさかこんな所で一夜を明かすなんてね」
マリンは隣で呑気に、欠伸をしている。
レオが慌てて立ち上がって船の外を見ると、遠くの陸地が近づいて来ていた。
「そんな……」
「海賊の件で航行に遅れが出ているから、すぐに港を発ってしまうみたい。本当はお父様にレオを紹介したかったのに」
ミリーは残念そうに俯き、レオもマリンの顔を見て、悲しげにしょげた。
「そっか、行ってしまうんだね」
「ええ。貴方とシショーお兄様は旅の途中ですものね。もしも私の住んでいる近くにいらっしゃる時は、是非ここを尋ねて」
ミリーは手書きの住所と地図を、レオに渡した。
「ありがとう。チャンスがあったら、遊びに行くよ」
「……」
乗客たちは下船の準備を始め、甲板にはレオとミリーの2人だけになっていた。マリンは相変わらずレオの横にいるが、別れが近い事に気づいていないようで、呑気に毛繕いしている。
「ねぇ、レオ……私、貴方の事……」
ミリーは真っ赤になって、目を逸らしている。明らかに様子がおかしいが、レオはマリンとの別れがショックで、呆然としたままだった。
ミリーはしばらくの沈黙の後、首を振った。
「いいえ、何も言わないで頂戴。わかっているわ。私には許婚がいるし、きっと貴方にも、素敵な人がいるんでしょうね」
「え?」
意味がわからずキョトンとしているレオに、突然ミリーは抱きつき、頬にキスをした。
「!?」
突然の事に思考回路が混乱し、体が固まったままのレオを置いて、ミリーはマリンの手綱を掴んで、走って行ってしまった。
「さようなら! レオ!」
「マ……ミリー!」
レオは思わずマリンと叫びそうになって、流石にミリーに言い換えるが、ミリーとマリンはお付きの者たちの元へ行き、港に着けた船を降りて行ってしまった。
「そんな……マリン……」
船の手すりに駆け寄ると、港に降り立ったミリーはこちらに手を振っている。マリンは陸地からレオを見上げて、不思議そうな顔をしていた。
ボーー、と汽笛が鳴って、船が動き出した。
ミリーは泣きながらずっと手を振っているが、マリンは船が動き出したのを見て、船に向かって走り出した。ミリーは慌てるが手綱は手から離れて、マリンはレオを見つめながら、港を疾走する。
「あああ、マリン! マリーン!」
マリンは港の端まで走り、もう先に行けないと悟ると、大きく口を開けて、天を仰いで鳴いた。
「ミャーーン! ミャーーーー!」
悲痛な叫びが遠くなり、真っ白なフワフワな塊は、どんどん小さくなっていく。
「あ、あ、あぁ……」
レオは号泣して、マリンが全く見えなくなると、泣き崩れて甲板に伏せた。胸が破れてしまうような悲しみが押し寄せて、しゃくり上げて泣き続けた。
船は穏やかに航海を続け、小さな船室は朝の光で眩しく輝いていた。
室内のベッドで眠っていたアレキは、自分の布団が捲られるのを感じて目を覚ました。レオがベッドの中に入って来て、コアラの赤ちゃんのようになっていた。号泣して、震えている。
「ん……レオ君? どしたの……」
「うっ、えっ、えっ、マ、マリンが、行っぢゃったっ」
「あの白い猫か。港で降りたのね」
「うぁ、あ、あ」
凄い号泣ぶりに、背中を摩っていたアレキはレオをマジマジと見る。
「レオ君……動物が好きなんだね」
「ち、違う! マリンは、動物じゃ、無い!」
「動物だよ~、猫だもん」
「マリンは僕の、理想の女の子だったんだ!」
衝撃的な告白に、アレキは唖然とした。
「初恋って事?」
レオは頷いて、また泣き出していた。
「なんと……まいったな」
失恋した弟子を抱えたまま、窓の外の快晴の海を眺めているうちに、2人は眠ってしまった。
「ふぁ~」
夕方になっても布団に丸まってぐずついているレオを置いて、アレキはベッドを降りた。
シャワーを浴びて、髪を整え服を着替えて、久しぶりにしゃんとする。船酔いが治ったわけではないが、レオが消沈しているので、せめてしっかりしているフリをした。
「レオ君。お腹すかないかい? ビュッフェの時間だよ」
ベッドのレオに声を掛けるが、死んだ魚のような目で首を振っている。
「僕、いらないです」
「何言ってるの。子供はちゃんとご飯食べないと、大きくなれないよ?」
「食欲がないです」
「じゃあ、俺と一緒にお茶だけでもしようよ」
レオはのそりと起きて、ボサボサの頭のまま、船室を出ようとする。
「可愛いレオ君が台無しじゃないか~」
アレキはレオの髪や服を整え、顔を拭いた。
手を繋いでビュッフェに行くと、若干人数が減ったものの、夕食の場は賑やかだった。アレキとレオがやって来ると、おぉ、と騒めきが起きて、次々と人が来ては、お礼や労いの言葉を掛けてきた。愛想良く振る舞うアレキの横で消沈したレオを見て、乗客たちは腫れ物を触るように心配していた。
「ほらレオ君、スイーツがいっぱいだよ」
紅茶と皿いっぱいのスイーツがテーブルに並んでいて、レオは頷いた。ぼうっとした顔でアレキの顔を見上げて、初めてちゃんと目線が合った。
「師匠……元気になったんですか?」
「ん? うん、まあね」
「良かった……心配しましたよ」
「ありがとうね。レオ君のおかげだよ」
レオは俯いて、また涙が溜まっていた。アレキは何とか元気付けようと、考えを巡らしている。
「レオ君。次の港で俺達は降りるけどさ、大きな街なんだよ。とても栄えていてね」
レオは涙を堪えながら、頷いている。
「それで、動物調教も盛んな街でね」
「動物調教?」
「調教師が動物を訓練して、働けるように躾けるのさ」
レオの目にやっと、正気が戻ってきていた。
「レオ君は騎乗の才能があるみたいだから、港を降りたら、動物の騎乗訓練をしてみようか」
レオはみるみるうちに瞳を輝かせた。
「猫も、いるんですか?」
「ああ。いろんな猫がいるだろうね」
「本当に!?」
「きっとマリンに似た猫も……」
アレキは言いかけて、しまったと口を押さえた。レオの涙がぶり返していた。
「僕のマリンは、マリンだけです!」
「そ、そうだよね」
「マリンほど美しくて強くて……愛した猫はいないです」
「う、うん」
レオは失恋の痛みを噛みしめながらケーキを頬張って、その甘さに涙を溢した。




