13 甲板の戦場
甲板の上では乗客達が一か所に集められている。
その横で、大量の食料や葡萄酒が入った樽を海賊たちが囲み、飲食しながら武器を見せつけていた。
レオは船内の出入り口に身を顰めて様子を確認している。
「剣、斧、槍……銃もある」
比較的豪華な服を着た黒髭の海賊は、腹のベルトに此れ見よがしに、銃を差し込んでいる。
「銃を持ってるのはあいつだけだ。だけど、人数が多すぎる」
威圧感のある大きな剣を持った海賊は5~6人いて、残りは荷物を運んだり、斧やナイフを所持して乗客たちを監視していた。
アレキサンダー航海記と違うのは、彼らはいかにも海賊、といった派手な格好や豊富な銃器を所持しているわけではなく、薄汚れた統一感の無い集団で、武器もバラバラだった。おそらく頭であろう、銃を腹に持った男も船長らしきパッチなどしておらず、レオは少し落胆した。
「ただの野蛮な奴みたい」
後ろから柔らかい物がドン、とレオを押した。振り向くと、大きなマリンの顔があった。マリンブルーの瞳が輝いている。
「マリン……! 君は出て来ちゃダメだよ。撃たれたらどうするんだ!」
ゴロゴロと鳴らすマリンの喉を撫でながら、甲板をさらに観察した。懸念していた通り、縄で縛られた若い女性と小さな子供たちが選別されて集められている。
「やっぱり。財宝と一緒に、人間も連れて行く気だ」
レオはマリンを振り返った。
「マリン。君はここにいるんだ。だけど、僕が呼んだら来て欲しい。わかる?」
レオは指を口に咥えて、小さくヒューィ、と鳴らした。
「この音だよ。わかった?」
ジッとレオを見つめるだけのマリンの頭を、上から抑えた。
「伏せて、隠れていて!」
そのままレオはふらりと一歩、甲板に踏み出した。近くにいた下っ端の海賊に、即座に見つかった。
「ガキ! どっから出て来やがった!」
制圧したはずの船内から子供が現れて、海賊は慌ててレオの腕を掴んだ。
「痛い! 乱暴しないで!」
レオは弱々しく自分のブラウスの胸を右手で押さえている。
「僕、体が弱いんだ」
「うるせえ、こっちに来い!」
左腕を掴まれたまま強い力で引っ張られて、甲板の真ん中に引きずり出されていた。
「お頭、まだ貴族のガキがいました」
黒髭のお頭はレオを見下ろすと、ふん、と鼻で笑って、持ち帰りの捕虜の子供たちを指した。
「あっちに連れて縛っておけ」
レオはその時、胸を押さえいた右手をパッと下ろした。するとその胸には、アレキに貰った紫色に輝く見事な宝石のブローチが現れた。
「おっ!? 坊主、いいもん持ってるじゃねえか!」
黒髭は途端にレオの胸に釘付けになって、宝石のブローチを鷲掴みにした。
「あっ! やめて!」
「生意気にこんな物付けやがって、貴族のガキめ!」
ブローチは強い力でブラウスのリボンごと引きちぎられ、レオは後ろに転んだ。子供への暴力に周囲の乗客たちから非難の悲鳴が上がった。
黒髭はブローチを灯りに翳して、魅入っている。
「これは上等なお宝だ」
宝石に見惚れている黒髭の腹からは銃が無くなっているが、本人は気づいていない。揉み合う内に、レオの異次元の扉に仕舞われてしまった。
手下が乱暴にレオを引き起こし、ロープで両腕を縛ろうとしたその時、レオはヒューイ! と、大きく指笛を鳴らした。
ドッ! 大きな音を立てて、後方にいた海賊が背中から跳ね上げられて、空に飛んだ。マリンが突進して一直線にレオに近づき、レオは瞬時に手綱を掴むと、手下の海賊の手を振り切って上空へジャンプした。
「獣だ! 捕まえろ!!」
頭は咄嗟に腹の銃を取ろうと手を突っ込むが、銃が無い。
「あ!? 銃が無え! おい、俺の銃はどこだ!」
理不尽に手下を叱責している。
マリンは船の淵を足場にすると、レオが指示するまでも無く、離れた場所にいた海賊をターゲットに俊足で横切り、海賊の頭はレオのレプリカの剣で強かに打たれていた。そのままカーブしてマリンは頭突きで斧を持った海賊を跳ね上げ、船体の壁を走って飛び降り、剣を振り上げている海賊を、強烈な猫パンチで横殴りにした。
「キシャーーッ!」
マリンの暴れぶりに海賊は怯んで、中心の一か所に集まって剣を構えた。
人間の動作よりも巨大動物の動きは早く、大きな剣は大振りの分、軌道がマリンに筒抜けだ。猫の夜目が利くのも、夜の戦場では有利だった。
「クソ、銃が無え!」
黒髭はまだ銃を探している。お頭を囲む形で円陣となった海賊と、マリンに乗ったレオが対峙し、レオは一旦、周囲を確認する。まだバラバラと遠くに手下達はいるが、銃を構えている者はいない。
レオは異次元の扉から黒髭の銃を取り出し、対峙する集団に向けた。
「あっ!? 俺の銃! てめぇぇ!!」
黒髭は自分の銃がブローチと引き換えに奪われた事に初めて気づいて、激昂していた。だが、飛び道具を前に、手下達は戦意が淀む。毛を逆立てた獣の上の少年が構える銃はピタリと黒髭を指して、何の迷いも無いように見えた。
甲板に、一時の沈黙が訪れる。誰かが動けば、発砲されるのは確かだった。
銃を手にしたレオは優勢に見えて、内心は余裕が無かった。銃は一発しか撃てない。撃って当たるとも限らない。これは束の間の脅しだ。
思った通り、痺れを切らした前方の海賊が、唸り声を上げて剣を被り上げた。レオは銃を持ったまま突進し、集団の目前でジャンプすると、空中から大きな綱を投げ落とした。
「うわ!?」
予想外の物が空から降って来て、海賊達は魚のように、投網に包まれた。剣を奮って暴れ、綱を切ろうと必死になるが、そもそも巨大動物を捕獲する為の金属製の網なので、そう簡単には破れない。
さあ、それでどうする? レオは手詰まりを感じた。どれもその場しのぎの対処で、高速で回転する頭は、恐ろしい次の手しか浮かばない。
1、綱に油を撒いて、火を放つ
2、杜を出して、綱の上から滅多刺しにする
会話が通じない相手は殲滅するしか手段が浮かばず、レオはゾッとする。
僕が人を殺す? あのヴァドみたいに?
虚な遺体の顔が思い浮かんで、レオは体が硬直した。
その時、バラけていた海賊の一人が、大声を上げた。
「銃を捨てろ!」
ハッとして振り返ると、海賊は子供を人質にして首に刃物を当てていた。小さな女の子は、しゃくり上げて泣いている。
「子供の首を掻っ切るぞ! 銃を捨てるんだ!」
レオは心臓が凍り付いて、即座に銃を海に捨てると両手を上げた。
「テメェ、俺の銃を海に!」
黒髭は綱の下で怒鳴っている。
何本ものロープが飛んで、マリンの首と、レオの首に掛かった。
「ギャオウ!」
マリンは抵抗して暴れ、レオはマリンの背中から甲板に落下した。そのまま手下に身体を強く押し付けられ、息ができなくなる。自分の事よりもマリンが心配で、懸命に顔を上げた。
「マリンに何もするな! マリン! 大人しく伏せるんだ!」
マリンの暴れぶりは手がつけられず、捕獲のロープは増えていく。マリンは苦しそうに涎を垂らしながら叫んで寝転び、レオは怒りで体が震えていた。
獣もレオも捕獲されて、綱の中の海賊達も、続々と綱から外へ這い出てきた。形勢は逆転となり、遠巻きに息を飲んで見ていた乗客たちに、落胆の空気が広がる。
人質に刃物を当てていた手下は笑って子供を突き飛ばすと、こちらにやって来た。
「暴れてくれたな、クソガキが」
サディズムに満ちた顔に、レオは背筋が強張る。
だがその醜悪な顔は、大きな剣によって、横から捌かれていた。真横に真っ赤な血が飛び散って、甲板は時が止まった。剣を振るったのは、同じ海賊同士の男だった。
「わーーっ!?」
全員が、突然の流血に絶叫した。剣を振るった海賊はそのままさらに別の海賊を斬りながら、中央に突進してくる。
「おい、やめろ! 何のつもりだ!」
黒髭は手下を壁にして後退するが、その海賊の殺意は凄まじく、何人もの海賊が斬られた。恐怖から応戦し合い、暴れる海賊も傷を負うが、前進の勢いは止まらない。
レオは唖然としてそのパニックを眺めた。
「海賊の仲間割れ!? な、何で……」
何での答えは、すぐにわかった。自分を取り押さえていた海賊2人の頭上から、毅然とした声が聞こえたからだ。
「海賊を殺せ」
レオの体はふわっと軽くなって、押さえていた海賊2人は中心に向かって突進し、仲間の海賊たちに剣や斧を振るい出した。
レオは視線を下ろしたまま、立ち上がる。
アレキの胸から下が目に入った。きっと瞳は真っ赤になっているから、顔を見ることはできないが、レオは安堵で涙を溜めた。
「師匠……!」
「猫を助けてあげなさい」
言われた通りすぐに踵を返し、海賊同士の殺し合いのパニックの中、マリンを拘束するロープをナイフで切り、首にかかった何本ものロープを解いた。マリンはウー、と唸っていたが、レオが首を抱きしめて何度も謝ると立ち上がり、ゴロゴロと頭を擦り付けてきた。
「マリン! どこも怪我してない? ごめんよ、ごめんよ」
号泣するレオをマリンは舐めて、猫の手で引き寄せると互いに固く抱き合った。
海賊達の仲間同士の殺し合いは修羅場だった。甲板は血に染まって、幾人もの人間が倒れている。黒髭は追い詰められて、自らも剣で応戦している。残った手下と黒髭は船の淵を背に息を切らし、傷だらけの謀反の海賊3人と、アレキがその前に立った。
「武器を捨てて両手を上げろ」
アレキの命令に、最後の海賊達は武器を捨てて両手を上げた。全員が満身創痍だった。
客船の乗組員達が駆けつけて、アレキの指示のもと、海賊達を拘束していった。
「怪我をしている者は手当てをして、全員海賊船に戻せ。そのまま大人しく港まで航海させる」
捕虜とされていた人々が解放されて、女性がレオの元に駆け寄ってきた。
「ライオネル様!」
「あ、ジェシカさん!」
ミリーの教育係のジェシカだ。恐怖と涙で化粧がボロボロになっている。
「ミ、ミリーお嬢様は!?」
「無事です! 僕の客室に避難しています!」
ジェシカは脱力して、座り込んだ。
「ああ……良かった……」
そこかしこで親子や恋人同士が再会し、歓声が上がっている。観客達はマリンと抱き合って涙まみれのレオの元へやって来て、囲んで労ってくれた。
「いやあ、素晴らしく勇気のある少年だ!」
「あんな凄い騎乗を見たのは久しぶりだよ。この猫も、なんて勇敢さだ!」
レオは自分が褒められるよりもマリンが注目されるのが嬉しくて、マリンを見上げた。マリンもレオを見下ろして、まるで互いに深い絆ができたように心が通じ合っていた。
「それにあの貴族の男性……あれ?」
全員がアレキを探すと、さっきまで毅然としていた背中は甲板の端で丸まって、嘔吐していた。
「ありゃりゃ、緊張してたのかね」
心配する老人をレオはフォローする。
「違うんです。兄様は船酔いが酷くて」
「それはお気の毒に。さっきまで元気だったのにね」
レオは駆け出してアレキの背中に飛びつくと、そのまま背を摩った。
「師匠、大丈夫ですか? 無理をさせましたね」
「うおぇ~、ぎぼち悪いよぉ」
真っ青な顔で泣いている。
「でも、よく洗脳術が使えましたね」
アレキはレオに何かを渡す。小さな手鏡だった。
「俺は気持ち悪くないって、鏡を見ながら自己洗脳を掛けたんだ。だけどこれやると、ぶり返しが酷くて」
「自己洗脳……!? なんて荒技を」
ミント水を渡してアレキを立たせて、介抱しながら船室に向かった。甲板は花道になっていて、屍のようなアレキをみんなが拍手と激励で送ってくれた。
「助けてくれてありがとう! 頑張れよ!」
「お大事にね! ありがとう!」
アレキは声援に応える力も無く、精一杯のにやけ顔で船内に戻って行った。




