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12 魅惑のマリン

 船内の冒険をひとしきり楽しんで、レオは船室に戻ってきた。

 2時間ほど経っていたが、アレキはまだ具合が悪そうに寝ていた。


「師匠? 船酔いはどうですか?」

「んん? 船酔いは乗ってる間、ずっと悪いよ」

「そ、そうなんですか? それはしんどいですね」

「そうでしょ。可哀想でしょ……」


 悲劇的な様子に苦笑いして、ミント水を注いで渡した。


「もうすぐお食事の時間ですよ。ビュッフェ形式みたいですが」

「無理……俺食べられないから、レオ君ひとりで行ける?」


 あらゆる高級レストランに通ってメンタルを鍛えたレオにとって、船のお一人様ビュッフェは楽勝に思えた。


「それじゃあ僕、師匠が食べられそうな物を持って来ますね?」

「レオきゅん……ありがとう」


 消え入りそうな師匠を置いて、レオはビュッフェの会場に向かった。


 船内のフロアは船の中とは思えないほど、優雅な雰囲気だった。シャンデリアが輝き、豊かな食事が並び、人々はドレスやスーツを着て、夕食を楽しんでいた。

 レオは並べられた料理の山を前に、自分が食べたい物よりも先に、アレキが何を食べられるか考えていた。


「スープとか、食べやすくて温かい物と、さっぱりした味のソースとか……」


 いくつか見繕ってトレイに乗せて、そっと人目を避けて窓際に行くと、一皿ずつ、異次元の扉の向こうに収納する。スープは溢れないし、冷めない事も実証済みだった。


「レオ!」


 いきなり声を掛けられて、レオはビクッと肩を揺らした。

 振り返ると、昼間に甲板で会ったお嬢様、ミリーが手を振っていた。


「こんな端っこで何してるの?」

「あ、いや、夕日が綺麗だなって」


 ミリーの後ろには、トレイを持った女性が立っている。


「こちらは教育係のジェシカよ」

「初めまして。ライオネル・オルドリッチです」


 レオがジェシカに挨拶をしている間に、ミリーはレオの周りを見回している。


「レオのお付きの者はいないの?」

「えっと、家族は今、具合が悪いんです」

「ふーん。ねぇ、こちらで一緒に食べましょう」


 ミリーはレオのトレイの上にいちいち感想を付けながら、お勧めの料理を乗せてくる。レオは言う通りのメニューを持って、ミリーが促す席へと向かった。


「私は港町でお仕事をされているお父様の所へ、遊びに行くの。あなたは?」

「ぼ、僕は家族と旅の途中です。兄様は旅が趣味で」

「まあ。素敵ね!」


 ミリーはレオのテーブルマナーをしかとチェックしているようだった。アレキがあんなにマナーに拘って教え込んだ理由が、今、とても身に染みている。食事のマナーは貧富の格がバレてしまうのだ。レオは平静を装いつつもヒヤヒヤとしていたが、ミリーにとってレオの作法は合格だったようで、食事の前よりもレオにより好意的な雰囲気になっていた。


「あなたのその胸の宝石のブローチ、素敵ね」

「これは兄様に貰いました。高価な物なのに、僕にくれたんです」


 大切にブローチに触れるレオは幸福そうな顔をしていて、ミリーは興味深く眺める。


「あなたはお兄様が大好きなのね?」

「え、あ、はい……」


 真っ赤になるレオを、ミリーはクスクスと笑っている。


 レオはミリーに、どうしても頼みたい事があった。

 あのマリンという猫と出会ってから、美しい瞳とふわふわの真っ白な毛に、レオはどうしても心惹かれていた。なんとかもう一度会えないか、そればかり考えていた。


「ミリー、ちょっとお願いがあるのですが」

「あら。なぁに?」


 ミリーは大人の女性のように気取って、紅茶を飲んでいる。


「さっきのマリンという猫……もう一度見たいのですが」

「マリンを気に入ったの?」

「はい。とても美しい猫だなって」


 ミリーが少しだけムッとしたので、レオはハッとした。

 ミリーよりも猫に興味を持っているのは、ミリーにとって気に食わないみたいだった。しかもブローチを褒めてもらったのに、自分はミリーを褒めていない。しかし今更慌てて褒めるのもおかしい気がして、レオは言葉に詰まった。


(全然、ダメじゃないですか。女の子との会話が下手すぎる)


 自己分析するうちに、ミリーは席を立っていた。


「いいわ。マリンは地下室の動物エリアにいるの。ちょっとだけなら、見せてあげる」

「本当ですか!?」


 レオは舞い上がって、立ち上がる。すっかり猫の虜になっていた。


 船の地下は鉄格子が小部屋のように組まれていて、それぞれのスペースに犬や猫、ロバ、猿などが収納されていた。どれも大きな体だが、大人しくしている。中でも真っ白なマリンは、すぐに目についた。


 レオは駆け寄って、そのマリンブルーの瞳を真っ直ぐに見た。マリンは目を細めて、「ニャア」と、か細く泣いた。まるで可愛い女の子のような声で、レオは感激した。


「か、可愛い……マリン、可愛い!」


 鉄格子にしがみつくレオを、ミリーは呆れて見ている。まるで猫に一目惚れしてゾッコンの様子だ。


 マリンもレオの近くに寄って来て、鉄格子越しに、また頭をグリンと擦り付けている。うっとりとマリンの匂いを嗅いでいるレオの横で、ミリーは鉄格子の鍵を開けた。


「ちょっとなら、触ってもいいわよ?」

「本当に!? 入ってもいいの!?」


 ミリーが頷いて、レオはマリンの小部屋に入ると、マリンはすぐにレオに体当たりするように擦り寄って、ゴロゴロと甘えてきた。レオはもう理性が崩壊して、マリンを抱きしめている。


「珍しいわね、マリン。この子は気高くて、他人には冷たい子なんだけど。あなたが好きなのかしら」

「僕も好きです。マリン……」


 マリンと一緒に横たわって抱き合っている状態に、ミリーはほとほと呆れている。


「もう、鍵閉めちゃうわよ? ここで寝るつもり?」

「できるなら、眠りたいくらい……」


 ミリーがむくれて、ふざけて鍵を閉めようとしたその時、轟音と共に、鉄格子と床ごと船が大きく右側に傾いた。


「キャーー!?」


 ミリーは鉄格子に強く掴まるが、揺れは今度は左に傾いて、動物たちも騒ぎ出した。


「ミリー! こっちへ!」


 レオはミリーの手を掴んで、マリンの寝床の藁に一緒に転がった。船は左右に大きく振られて、ゴーン、ゴー、と不気味な金属音を鳴らしていた。


「な、何!? 嵐なの!?」

「天候は良かった筈ですが……何かあったんでしょうか」


 マリンも不穏な揺れに、グゥゥ……と警戒するように唸っている。船の揺れは収まらず、ミリーは半ベソをかきだした。


「こ、怖い! 船が沈んじゃう!」


 その言葉に、レオも青ざめた。船が沈む……そんな恐ろしい事が? アレキサンダー航海記にも、巨大タコに船を沈没させられるシーンがあった。

 そして同時に、客室のアレキを案じていた。ただでさえ船酔いなのに、本当に死んじゃうのではないかと不安になる。


「師匠……」

「ししょう?」

「な、何でもないです。とにかく、ここを出ましょう!」

「マリンを連れて行くわ!」

「え!? でも、船のルールで……」

「沈没したらどうするの!? マリンが溺れちゃうじゃない!」

「それはダメです! 連れて行きましょう!」


 ミリーがマリンを向くと、マリンはペタッと地面に伏せて、ミリーはマリンの首元に飛び乗った。そしてレオを促した。


「レオ、早く乗って!」

「え! 僕も!?」

「マリンは子供2人なんて余裕だから!」


 レオは急いでミリーの後ろに乗ると、ふわっと柔らか温かい背中に、不謹慎ながら気持ち良さを感じていた。

 ミリーは手綱を持って、レオを振り返る。


「私にしっかり掴まって! 振り落とされるわよ!」

「はい!」


 マリンが身を低くしたまま走り出し、その速さと勢いに、レオは仰反った。確かに遠慮せずにミリーに掴まらないと、あっという間に吹っ飛んでしまいそうだ。


 地下から甲板に近づくと、悲鳴やどよめきが近づいてくる。やはり何かが起きたのだ。陽が落ちて夜空になった外では、少ない灯りの中で何も見えず、人々は混乱していた。


「衝突したぞ! 船だ!」


 乗組員の鬼気迫る声が聞こえて、レオは緊張が走る。


「事故!? 船同士でぶつかったんだ!」


 それはレオにとって、別の意味を現していた。


「海賊だ……!」

「え?」


 ミリーが驚いて、レオを振り返る。


「船をぶつけて走行を邪魔して、乗り込んで来る手口だ!」


 それはやはり、アレキサンダー物語のワンシーンだった。


「そんなまさか! ただの事故よ!」


 ミリーは恐怖から、信じたくないという顔で首を振る。

 その瞬間に、聞きたくない悲鳴が響いていた。


「海賊だー!!」


 ミリーとレオは真っ青な顔を見合わせて、ミリーは震えてレオにしがみついた。


「嫌、怖い!」

「ミリー! 僕の客室にマリンを向かわせて!」

「む、無理よ! 海賊が来たのよ!?」


 レオは異次元の扉からロープを出すと、ミリーを後ろに移し、自分の腰にロープを回してミリーと繋げて縛った。


「ミリー、絶対に落とされないで」

「ちょっと待ってレオ、あなた騎乗ができるの!?」

「やった事ない。だけどマリンなら、走ってくれる気がする」

「ちょっ……」


 ミリーが静止する間もなく、レオが手綱を持って、行きたい方向に綱を引き締めながらマリンの名を呼ぶと、マリンはレオの声に応じて、甲板の上を疾走した。


「きゃあ! マリン!?」


 それはさっきよりも身をかがめて、すごいスピードだった。

 人を避けて壁をつたい、2階に飛び移り、下に降り、まるで忍者のような俊敏な動きに、ミリーは悲鳴を上げ続けたが、レオは何かが覚醒したような衝撃を受けていた。凶暴なほどの疾走なのに、マリンと同化したような心地良さがあり、思わず高揚感で口の端が上がっていた。


 あっという間に長い船の最後尾まで走り抜け、アレキのいる客室の入り口に辿り着いた。レオがロープを解くと、ミリーは人形のようにずり落ちて立てない状態だった。


「ひっ、ひぃ」

「ミリー、走るんだ!」


 強引にミリーの手を引っ張って船内に入り、客室のドアを開けた。


「師匠!!」


 ベッドの上を急いで見回すが、アレキはいない。

 ベッドの下に足が見えたので、レオが慌ててベッドサイドを覗くと、アレキが床に倒れていた。


「し、師匠~!」


 レオがアレキを抱き起こすと、死人のように真っ白な顔で薄目を開けた。


「レオ……俺はもうダメだ。ぎぼち悪い」

「船酔いしてる場合じゃないです! 海賊です!」

「え?」

「海賊が船に衝突して、乗り込んで来ました!」

「ちょっ、嘘でしょ? 無理ぃ」


 いつもの毅然としたアレキの欠片も無くて、レオは狼狽する。後ろでミリーが、ハラハラとして見下ろしている。


「あなたのシショーお兄様、全然頼れないわ!」


 反論もせずに屍のようになっているアレキは、部屋いっぱいにニューン、と入って来たマリンを見て飛び起きた。


「うわぁ!? 真っ白怪獣!」

「何言ってるんですか、猫ですよ! しっかりしてください!」


 そうこうしているうちに、船内で悲鳴が響き渡った。何かが倒れる音や、食器が割れる音も響いて、ミリーは竦み上がる。


「海賊が客室に入って来たんだわ!」


 泣き出すミリーを部屋の奥に置いて、レオはドアを振り返った。


「ミリーはここにいて!」


 レオがドアに駆け出し鍵を掛けた瞬間に、ドアが激しく揺れていた。


「!」


 客室内に緊張が走る。


「ここを開けろ!」


 野蛮な怒鳴り声とドアを叩く音の後に一瞬沈黙があり、ドアの鍵がガチャリと音を立てた。


「鍵を持ってる!」


 ミリーの絶叫と同時にドアが全開になり、大きな剣を持った海賊が客室に押し入った。


「あっちぃー!!」


 と同時に、海賊は絶叫して仰け反っていた。

 顔面に、熱々のスープ皿が投げつけられていた。レオは続けてレプリカの剣を出すと、仰向けで転倒した海賊の脳天に、真っ直ぐに振り下ろした。


「ンゴッ!」


 海賊は白目を剥いて気絶したが、その横から、別の海賊が剣を振り上げていた。


「このガキ!」


 今度はさっぱり味のオレンジソースのポワレ皿を目元に投げつけ、海賊は熱いソースが目に入って絶叫した。


「ギエッ!」


 それでも振り下ろした大振りの剣をレオは船室を背に後ろに引いて避けると、海賊の後頭部に木製の剣を思い切り叩き込んだ。男は蛙のような声を出して沈黙して倒れ、レオは手早く白目を剥いてる男から鍵の束を奪うと、ドアを閉めて鍵を掛けた。


 振り返ると、ミリーは目を見開いて固まっていた。


「レオ、あなたいったいどうやって!? 海賊相手に信じられない!」


 見開いた目は輝いていた。


「このフロアの鍵は取り上げたので時間稼ぎにはなりますが、おそらく海賊は大量にいます、師匠!」

「うん。レオ君、偉いぞ。流石俺の弟子だ」


 死にそうな声で褒めるアレキを、ミリーは驚いて振り返った。


「弟子!? お兄様ではないの!?」

「弟子にして弟さ。うぷっ」


 バスルームに駆け込んだアレキは嘔吐していて、ミリーは呆れる。


「シショーお兄様、重症ね」

「ええ。困りました」


 洗脳術が使え無さそうな状態に、レオは歯噛みする。


「ミリーは師匠と一緒にいてください。僕は偵察に行ってきます」

「ダメよ! 危ないわ!」

「海賊は貴重品だけでなく、女性や子供を攫う可能性があります。そんな事は、許さない」


 アレキサンダー航海記で付けた海賊の知識で、レオは正義心に燃えていた。


「レオ……あなたはどうしてそんなに勇敢なの?」

「僕は師匠の弟子なので」


 答えにならない返事をして、レオはドアを開けると、船室を出て行った。ミリーがドアを閉めようとすると、マリンが体当たりをして、勢いよくレオを追いかけて行った。


「ちょ、マリン!? 戻りなさい!」


 マリンはあっという間に遠くなり、ミリーは諦めてドアを閉めると、鍵を掛けた。

 恐怖と心配で涙ぐんで後ずさると、アレキがシャツを着替えていた。


「お兄様、レオ君が……」

「いったい誰に似たんだか。無鉄砲だねぇ」


 剣を装備してジャケットを着ると、ミリーにキザなウィンクをして、千鳥足で力無く船室を出て行った。


 誰もいなくなった部屋で、ミリーは呆然としている。


「あのお兄様、絶対役に立ちませんわ……」

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