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10 億万長者の手

 ヴァドとアレキの後ろで剣を振りかぶった黒い影は、レオが手を伸ばして走り出した時には既に、剣を振り下ろしていた。


「うわあぁぁ!」


 叫んだのはレオで、吹き出した血飛沫に膝の力が抜けて、前方に強かに転んだ。即座に頭を上げると、血塗れでグラリと体を倒したのは、ヴァドだった。


「え……?」


 アレキの頭上からは大きな物体が落ちて来て、頭をぶつけていた。


「いったぁ!」


 ゴーン、と音がして、アレキもしゃがむ。


「な、何……」


 レオは状況の意味が分からず、廊下に立つ黒い影を見上げた。血濡れの剣を片手に、見知らぬ男の青い顔は強張っている。背中を斬られて倒れたヴァドを、憎悪の眼差しで見下ろしていた。


「師匠!」


 しゃがんだアレキにレオが駆け寄るのと、アレキが剣をも持つ男に洗脳を掛けるのは、同時だった。


「動くな!」


 男も、走っていたレオも、石のように固まった。

 アレキは頭を摩りながら、レオを振り向く。


「レオ君はおいで」


 レオは時が動き出したように、アレキの胸に飛び込んだ。


「わぁ~、師匠! 師匠が斬られたかと!」

「大丈夫だよ」


 アレキは石のように固まっている男を見上げる。


「こいつはヴァドを殺す気だったみたいだ」


 そしてアレキの横に転がっている、頭にぶつかった物体を拾い上げる。木の盾だった。


「それにしても、これ……レオ君が投げたの?」


 レオは首を振る。確かに咄嗟に手を伸ばしたが、盾を出現させて的確にアレキの頭に投げるなど、無理な芸当だった。アレキは真っ青な顔で否定するレオに、首を捻った。


「レオ……もしかして、俺の頭上に遠隔で穴を出したのか?」


 それはアレキが習得すべきと言っていた、異次元の扉を自分の周辺のどこからでも出すテクニックだが、レオはまだ掌からしか出せず、一度も成功した事がなかった。


「そんなまさか……あんな距離を……」


 狼狽しているレオの頭を下に向かせて押さえたまま、アレキは赤い眼で男を見上げた。男は目を見開いて体を震わせたまま、剣を持って固まっている。


「君は誰? 何故、ヴァドを斬った?」

「お、おれはクリストファー。こ、こいつは俺を騙して、俺の財産を全て奪ったんだ! そのせいで俺の家系は貴族から没落する! もう終わりなんだ!」


 クリストファーは怒りで涙を流しながら、鬼のような形相で剣をどうにか動かそうと、両手に力を込めていた。

 きっと動けるならば、ヴァドを滅多刺しにするに違いない。


「だ、だから俺は、今日こいつを殺す為に、招待されたカジノから離れて、トイレの中でずっと機会を待っていたんだ!」


 クリストファーはアレキの洗脳を逃れ、2階でヴァドを見つけて襲ったのだった。


 アレキは溜息を吐く。見下ろすとヴァドは既に、息絶えていた。


「復讐か……因果応報ってやつだな。ヴァド。お前は人を苦しめすぎたよ」


 クリストファーを見上げると、アレキは悲しげに呟いた。


「ぐっすり眠れ」


 クリストファーはまるで薬でも嗅いだように急激に瞼を閉じて、横倒れになると、眠りに落ちた。


 アレキは震えているレオの頬を支えてこちらを向かせる。涙にまみれていた。


「とんだ伏兵がいたな。油断大敵だ」

「師匠……師匠が死んじゃうって、僕……」

「ごめんな。俺の抜かりだ。こいつがヴァドの味方だったら、完全に斬られてた」


 レオは強張って、アレキにしがみついた。


「そんなの嫌だ!」

「でもこの盾が間に入って、怪我ですんでたかもな」


 アレキは謎の盾を繁々と眺めて、レオの頭を撫でた。


「レオには無限の可能性がある。お前は凄い奴だよ」


 しがみついたままのレオをアレキは立たせた。


「レオ。状況は変わった。ヴァドが死んで、ここは殺人事件の現場になった。物を掻っ攫って、すぐにここを出るんだ」

「は、はい……」


 涙でぐしゃぐしゃの顔を必死で拭って冷静を取り戻すと、震える手で倉庫の財産をすべて消していった。


 広々とした館の中は全員がカジノ部屋で伏せて沈黙し、恐ろしいほどの静けさだった。

 アレキとレオは手ぶらで馬車に乗り、門に向かう。番犬と門番の姿を見てレオは肝を冷やすが、アレキが門番を洗脳して、すんなりと馬車は外に出た。


 ガタガタと震えるレオの手を、アレキは握っている。


「大丈夫だよ。俺の能力は洗脳の前後の記憶を消す作用がある。誰も俺達を覚えていないし、洗脳された事も理解できない。ヴァドの遺体の横には、動機を持った犯人が凶器と一緒に眠っている。事件は簡単に解決さ」


 理屈ではわかっても、レオの恐怖は止まらなかった。悪党だとしても、目前で人が死ぬのは初めての事で、ヴァドの血飛沫や死に顔が頭から離れなかった。


 馬車の外は夜明けの太陽が登り始め、街は暁に染まっていた。

 心労と激しく使い切った能力の疲労で、レオは立ち上がれないほどに脱力していた。アレキは惨劇の館から離れた宿の前に馬車を停めると、レオを抱えて降りた。



 ♢ ♢ ♢



 夕方近くになって、レオは目を覚ました。

 スイートルームほどではないが、綺麗なホテルの一室の、柔らかいベッドの上だった。サイドテーブルには水と果物が乗っていて、レオはカラカラの喉に水を流し込んだ。


 一息ついて、室内を見回す。

 ソファやテーブルなどの家具はあるが、荷物は何もなく、シンとしている。レオは言いようのない不安に襲われて、ベッドから飛び降りた。


「師匠?」


 バスルームを開けて、部屋中を歩き回り、アレキを探すがどこにもいない。まるで自分を置いてどこかへ行ってしまったようで、レオは動揺していた。


「僕が、僕がショックを受けて寝込んだりしたから……頼りない弟子だから?」


 涙が溢れて、震えていた。

 億万の財産を秘めた両手を、見下ろす。


「やだよ。お金なんかいらない。ひとりはやだよ……」


 踵を返して駆け出すと、ドアを開けてアレキを探しに外へ飛び出した。と同時に、壁にぶつかって、ボヨーン、と跳ね返される。


「わぶ!」

「おっと、大丈夫か?」


 顔面をぶつけて朦朧とするレオを支えているのは、アレキだった。片手に紙袋を抱えている。


「腹が減っただろ? サンドイッチ買って来たよ」


 拍子抜けするほど平和な日常感に、レオはへたり込んでいた。


「どうした? 怖い夢でも見た?」

「僕を置いて……行ってしまったかと」


 アレキは笑う。


「学校に行かされそうになったのが、トラウマになっちゃったかな」


 レオはあの日の絶望を思い出して、怒った顔で頷いた。


「レオ。あんな優秀な能力を目の当たりにして、俺が相棒を手放すわけないだろ?」


 レオはパッと輝く瞳でアレキを見上げて、飛ぶように立ち上がった。


「サンドイッチ、食べる?」

「はい!」


 元気に答えていた。


 紅茶を淹れてサンドイッチを食べながら、レオはアレキから、その後の経緯を聞いた。アレキはヴァドの土地の権利書と、サインされた契約書を持って街の役場に向かい、洗脳を使いながら手続きを済ませて来たらしい。


「これで農地は、農民の物になったんですか?」

「ああ。ヴァドが死ぬ前にサインをさせておいて良かった。奴は死ぬ間際に財産を手放した事になっている。クリストファーのように破産に追い込まれた貴族は多くいて、ヴァドは大金をせしめていた。屋敷の財宝が消えたのも、ヴァドが逃亡の為に事前に国外に隠したのだと思われるだろうね」


 レオは落ち着かないように、自分の掌を眺めている。


「それで、農地以外のこの莫大な財宝はどうするんですか?」

「明日の夜にこの街を出る前に、しかるべき所に分配する。現金に変えるのに時間がかかる芸術品は、後々少しずつ整理するよ。それまで、レオ君が持っててくれる?」

「はい。勿論です」


 レオは少し戸惑って、サンドイッチを頬張るアレキに思い切って聞いた。


「あの、明日の夜発つなら、この街にいるのは明日が最後なんですよね」

「うん。寂しい?」

「いえ……師匠と会うまでは、良い思い出は無い街なので……」


 言い淀むレオを、アレキは促す。


「レオ。やりたい事があるなら、言ってごらん」

「僕……自分が育った孤児院に、寄付がしたいです」

「ほお?」

「孤児院の子供たちは朝から晩まで、畑を耕しました。だけど食べる物はいつもギリギリで、みんな飢えていたんです。今考えると、あの農地もきっと搾取されて、年貢を納めていたからなんですね」

「ああ、ここら一帯の農家はみんなそうさ。金持ちは自分を潤し、他者が飢えるシステムを作るのが上手なんだ」

「農地が解放されて楽になればいいけど、僕は、僕の力のせいで傷ついた子たちに、お詫びがしたいんです」

「レオ……君は優しいね」


 レオは首を振る。


「僕は裸のまま、地面に置かれていたそうです。手紙も名前も無いまま。それは僕が、物を飲み込んで無くしてしまう、不気味なゼロの赤ん坊だったから……それでも育ててくれた孤児院の夫婦に、僕はお礼をしないと……」


 レオは涙を溜めて、顔を上げた。


「お父さんもお母さんも、きっと僕が不気味だから、捨てたんです。誰も責められない。僕が謝れたらいいのに……!」


 言葉の途中でアレキは立ち上がって、レオを抱きとめていた。


「レオ……きっと何か理由があったんだよ。それでも生きて欲しくて、他者に任せる手段を取っただけだ。現にその方法は、間違ってなかったじゃないか」


 レオは今、確かに生きて、愛情を受けている現実に頷く。体を離してレオを見つめるアレキの瞳は、美しい青色をしていた。


「俺が君に会えないご両親の分も、幾人もの分も、愛して祝福する。レオがうざったくなるまで、存分にだ」


 嘘の無い力強い言葉に、レオは泣きながら微笑んだ。

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