絶体絶命と白いモフモフ 4
***
王都に鐘の音が響き渡る。
災害級の魔獣が出現したのだ、今日も。
早く、地下室に避難しなくては……。
地響きとともに、王都に入り込んできたのは、羽の生えた馬の魔獣だ。
王都を取り囲む堅牢な城壁も、空を飛ぶ魔獣の前には、力を失う。
「リーナ嬢、早くこちらへ!」
最近、なぜか私の近くにいることが多いウィンター卿。汗で青みを帯びた灰色の髪が額に張り付き、青い瞳には強い緊張と焦りが浮かんでいる。
「は、はい」
その時、通り過ぎようとしたがれきの隙間から、猫の鳴き声が聞こえた。
え、どうしよう。砂煙を立てながら、魔獣がこちらに向けて駆けてくる。
……駆けてくるのに。
「リーナ嬢!」
私は、思わずがれきに駆け寄った。
重なっていた石をどけると、隙間で小さな子猫が震えていた。
「おいで」
「ミュ!」
逃げもせずに、私の手にすり寄ってきた子猫を抱き上げて、もう一度走り出す。
全力で走っていても、魔獣との距離はどんどん詰められていく。
シグナス様との初めての出会いも、やっぱり魔獣に襲われたときだった。
「きゃ!」
石に足を取られ、思いっきり転ぶ。
子猫のことを傷つけないように転んだ結果、膝を思いっきり擦りむいた。今度こそ終わりなのだろうか。
子猫だけでも逃がそうと、手を離したのに、私の手にすり寄ってペロペロと舐めてくる。
「……っ。逃げて」
緊張感なんて感じていないのだろうか。
子猫がミューッと、どこか嬉しそうに鳴いた。
羽が生えた馬は、地面に降り立つやいなや大きく前足を上げて、私のことを踏み潰そうとする。
そういえば、なぜなのかしら。
魔獣が人を狙うのは。
「シグナス様!」
いつでも、絶体絶命に思わず呼んでしまうのは、その名前。
助けて欲しいんじゃないの。
ただ、最後に一目会いたいだけ。
その時、聞き慣れてしまったような、世界が凍りつくような音と、重低音で何かが倒れる音がした。
「……助けを呼ぶくらいなら、危険に首を突っ込むな。しかも、子猫を助けようとして逃げ遅れるなんて、約束を守る気なんてないだろう、君」
その背中には、赤いマント。黒い騎士服。
そして、白いモフモフした頭と腕。
こんな状況に、慣れてしまったせいなのか。
かなり広範囲に擦りむいてしまった、膝の痛みのせいなのか。
私は、気を失うこともなく、立ち上がる。
白猫さんは、こちらを振り返らない。
「聞き間違いなんかじゃない。ましてや幻聴でもなかった」
「…………」
魔力を使い切って倒れるたびに、懐かしい声を耳にした。
ふわふわの感触で撫でられた頬は、今もその感触を求めている。
その色は好きだ、と言ってもらえた日から、私も好きになれた、空色の瞳から、次から次へと涙が溢れだす。
足がもつれて、もう一度転びそうになりながら、その背中にすがりつこうとして、やっぱり完全にもつれて。
「はあ。相変わらずだな、君は」
ぽふんっと、抱き上げられた。
見上げると、あの日見たのと同じ、角度できらきらと緑がかる、金色の瞳が目の前にある。
「ジグナズざばぁ……」
次から次にこぼれ落ちる涙が、鼻腔にまで流れ込んできて、たぶん今、私の顔は誰にもみせられないくらいひどいに違いない。
「汚いぞ?」
冷たい言葉と裏腹に、優しく差し出され、私の涙と鼻を拭く、滑らかなハンカチ。
「シ、グナス、さま。…………本当に?」
「遺憾ながら、本物だ」
遺憾って。こんなに素敵なのに。
嫌がられるのを覚悟の上で、その白いモフモフの体に思いっきり抱きつく。
「会いたかったです……。生きていたのなら、どうしてすぐ、帰ってきてくれなかったんですか」
私の顔が埋もれてしまうほど、長い毛。
髪の毛の色と同じ白銀と、猫みたいにクルクルと色を変えるその瞳だけを残して、シグナス様のお姿は、すっかり変わってしまった。
「それは……。いや、この姿を見てなんとも思わないのか」
「…………むしろ好き。あっ、えっと……。可愛いです。好きです」
「は? 君の目は節穴か。このおぞましい姿のどこに可愛いという要素がある」
涙などで、ベトベトになってしまった白い毛を、袖で拭おうとしたところ、そっと手を掴まれて拒否される。
「……それが、帰ってこなかった理由ですか?」
胸の中に渦巻くのは、悲しみ?
それとも帰ってきてくれたことへの安堵?
……そして、怒り。
「シグナス様なんてっ!」
「えっ、おい!」
止まらなくなった涙もそのままに、ポスポスと、シグナス様の胸をたたく。
「私がっ、私がどれだけ心配したと思っているんですか?! どれほど会いたくて、どれほど悲しくて、死んじゃおうかと思うほど、つらくて」
「リーナ」
「どんな姿だって、帰ってきてくれたら嬉しいに決まっているじゃないですか!」
抱きしめられる。
ふわふわした感触に包まれる。
「私のこと、嫌いだって知ってます。政略結婚のための形だけの婚約者なのだとしても」
「おい、リーナ、それは……」
今だけ許して欲しい。
あと少ししたら、またいつもの距離感でも大丈夫だから。
「生きていてくれて、嬉しいです」
いつもみたいに、拒否される前に離れようと決めたのに、なぜかシグナス様は、ますます腕の力を強めて、私のことを抱きしめたのだった。
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