聖女と魔獣の子 1
風のように走る大きな猫の背の上。
誰も追いつけるはずがない、心細くて仕方がない。
それでも、その背中は、シグナス様のさわり心地とそっくりで、なぜか眠気が先立ってしまう。
「いや、いくらなんでも、あそこで眠ってしまうなんて、あり得ないでしょう……」
あとから考えれば、私の精神が図太すぎたわけではなく、魔獣の発する瘴気に当てられたのだろう。
……そう信じたい。
一時の夢は、どこか懐かしくて、幸せで。
温かくて、久しぶりに泣きそうになった。
『リーナ! リーナ!』
大好きなその声に、起こしてもらえるなんて、こんな幸せなことがあるだろうか。
ずっと、待っていた。
帰ってこなくても、ずっと……。
「シグナス様……?」
『っ、無事か!』
切羽詰まっていたその声の響きに、ほんの少しの安堵が加わる。
「……ここ、どこ?」
『……リーナ、何があっても、自分の身を第一にしろ。もう、すぐ近くまで……』
「手紙ちゃん?」
淡い青色の封筒に、小さな羽。
シグナス様が、魔力を込めてくれた手紙ちゃんが、パタパタと羽をはためかせる。
手紙ちゃんから聞こえる、シグナス様の声。
「手紙ちゃん、シグナス様の声を届けてくれているの?」
『俺の魔法だ、当然だろう。それよりも!』
どこか自慢そうに見える、無機質なはずの手紙ちゃんが、胸を張ったように見えた。
手紙ちゃんが、シグナス様の声を届けてくれている。
『リーナ。何があった』
「白い大きな猫に攫われて……」
『やはりな……。今から行く、俺が行くまで無事でいるように』
「ふふ。わかりました」
手紙ちゃんが、パタパタと音を立てて羽ばたきながら、薄暗い洞窟を抜けて、外へと向かう。
おそらくこの場所は、すぐにシグナス様に伝わるだろう。
そうすれば、もう大丈夫。
……大丈夫なのだろうか。
「ふぅ……」
怖くないと言えば、嘘になる。
けれど、シグナス様が帰ってこないと知ったときに比べれば、それ以上怖いことなんてない。
パキパキと枯れた小枝を折りながら、大型の動物が近寄ってくる。
まっすぐ見据えれば、そこには白銀の毛をした大きな猫。
「……どうして私を連れてきたの?」
そっと近づけば、ジリジリと大きな猫は後ずさる。
「ミゥ!!」
その足下から、出てきたのは、小さな子猫だ。
でも、よく見れば、大きさはあまりに違うけれど、2匹は……。
「親子?」
「ミゥ!!」
「そっか……。でも」
大きな猫は、私にすり寄った。
まるで、飼い主を見つけてすり寄る猫みたいだ。
でも、その周囲を取り巻くのは……。
「瘴気……。やっぱり、あなたは魔獣なのね」
本当であれば、王国と聖女と、王位継承者を守る存在であるはずの聖獣。
「二足歩行の猫……」
背中が焼け付くようだ。
そこから、オレンジ色の魔力が吸い取られていく。
魔力が枯渇する直前、目の前の猫はシャンッと立ち上がり私を見下ろした。
けれど、周囲を取り巻くの瘴気は、消えないままだ。
「……シグナス、様」
私の魔力全てを差し出したら、魔獣は聖獣に戻ることが出来るのだろうか。
そうすれば、シグナス様は、元のお姿に……?
二つの足で立ち上がった猫の手を掴んで、その手を額に触れさせる。
魔力を全部差し出せば、きっと聖獣は力を取り戻す。
そうすれば、きっとみんな、幸せに……。
「リーナ!!」
直後、飛び込んできたシグナス様は、迷うことなく大きな猫を凍らせた。
その姿は、光の粒になって消える。
オレンジ色をした光の粒を、ぼんやりと見つめる。
ああ、魔力が吸い取られすぎたからなのか、何も考えられない。
「聖獣様が……」
「あれはもう、魔獣だ」
「聖獣様がいなくては、シグナス様が、元に戻れなくなってしまいます」
「君を失うくらいなら、永遠にこの姿で構わない」
小さくか細い子猫の鳴き声、「リーナ」と、少し苦しげに私の名を呼ぶ声。
最後に見たのは、オレンジ色の光と、真っ黒な瘴気が、小さな子猫に吸い込まれていく光景だ。
その日魔獣は、王都周辺から全て姿を消した。
そして、次に目を覚ましたとき、私は自分の部屋のベッドに横たわっていた。
けれど、愛しい猫姿の騎士様は、再び私の前から姿を消してしまったのだった。
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