二足歩行の猫と聖女 1
***
シグナス様は、魔獣が出たとの知らせを受けて、出かけてしまった。
しかも、それは夜中のことだった。
――――二足歩行の猫。
もちろん、シグナス様が危険な討伐に出かけてしまったのに、寝られるはずもなく、私は一人図書室にいた。
「あった……」
目的の本は、ほどなく見つかる。
それは、幼い頃に母がよく読んでくれた、二足歩行の猫の絵本だった。
お気に入りすぎて、自分で字が読めるようになってからも繰り返し読んだせいか、ボロボロになっている。
――――二足歩行の猫は、光魔法を使う聖女と、聖獣の物語だ。
遠い昔、光魔法を使うことができる少女がいた。
その少女は、一匹の猫を飼っていた。
そして、もう一人の登場人物は、少女を思う、幼なじみ。
魔獣があふれる世界で、少女は光魔法を使う。
魔獣を、元の動物に戻すことができるのは、光魔法だけだ。
けれど、周囲に利用された少女は力を使い果たし、大型の魔獣の前に倒れてしまう。
「それを助けに来るのが、少女を守るために駆けつけた幼なじみと、同じく少女を利用した人間を憎み、魔獣と化した猫だったのよね……」
魔獣になった猫は、少女の最後の魔力で聖獣になり、幼なじみにその力を分け与える。
幼なじみの姿は、二足歩行の猫になり、少女は聖女になる。
「どう考えても、起こりえない、ただのおとぎ話だと思っていたのに……」
私とシグナス様は、幼なじみではない。
シグナス様の、子ども時代すら、聞いてみてもはぐらかされてしまった。
シグナス様は、先代国王陛下の庶子だと言っていた。
王家の血を継いでいながら、シグナス様はいつでも最前線に立たされていた。
シグナス様は、幼い頃から騎士団に所属していたという。
それが、私が唯一、シグナス様の子ども時代について知っていることだ。
「シグナス様……」
パタン、と絵本を閉じて、外に出る。
王都は、すでに陥落の危機に陥っている。
シグナス様が、こうやって戦っていなければ、きっとすでに……。
「聖獣が、魔獣に墜ちた?」
聖獣という存在が、実在するなんて信じていなかった。
けれど、二足歩行の猫というおとぎ話と同じように、シグナス様は姿を変えて戦っている。
シグナス様の言うとおり、聖獣は存在するのだろう。
「ミュウ……」
「……あら、着いてきてしまったの?」
気がつけば、子猫まで外に出てきている。
テラスへの出口を完全に閉めてこなかったようだ。
子猫を抱き上げると、すり寄ってくる。
「ミュ!」
「……かわいい」
かわいい上に、温かくてふわふわの感触に、不安がほんの少し和らぐ。
「――――聖獣は、聖女の飼い猫だった。そして、もともと、魔獣だった」
王城で作られていたという、光魔法を扱うことができる少女たちのリスト。
聖女候補……。そして、魔獣に墜ちた聖獣。二足歩行の猫。
まるで、おとぎ話をなぞらえたようだ。
「シグナス様……」
「リーナ」
振り返ると、テラスの出口からシグナス様が現れた。
その姿は、やっぱり真っ白で、月の光もない夜なのに、光り輝いているみたいだ。
とたんに子猫は、私の手から抜け出して、家の中に走り去ってしまった。
「ご無事で……よかったです」
「ああ、それほどの数ではなかったからな」
「手が……」
毛並みの隙間から見える皮膚は、水ぶくれができている。
触れてみた手先は、血が通っていないみたいに、冷たく冷え切っていた。
「凍傷……?」
私は、慌てて両手で包むようにその手を温めながら、治癒魔法を使う。
「どうして……」
シグナス様は、氷魔法の達人だ。
けれど、この手がこんなふうになってしまったことなんて、一度もなかった。
「少々手こずったから、剣を使った」
「……剣を」
元に戻った手は、それでも冷え切ったままだ。
私は、シグナス様の手を引いて室内に入ると、バスタブにお湯を張る。
かわいらしい猫の手。フォークとナイフを握ることもできない手。
でも、シグナス様は、剣を握る方法があると言っていた。
「……シグナス様。まさか、氷魔法を自分の手と剣に使ったのですか?」
「氷魔法と相性が悪い敵だった」
シグナス様のように、属性魔法に特化している場合、相性がいい相手と、悪い相手がいる。
だからこそ、通常騎士たちは、単独で戦ったりせず、相性を考慮して組んだ仲間と共に戦うのだ。
「無茶をしますね」
「――――あそこで、倒さなければ、王都の壁を越えただろう」
「……シグナス様」
お湯がたまる間、少しでもその手を温めたくて、抱きしめるように、祈るようにその手を包み込む。
コツンと、私の額に、シグナス様の額が当たる。
「無防備だな」
「何を言っているんですか」
「――――シャワーを浴びてくる」
シグナス様の背中を見つめながら、私は一つの決意をしていた。
少しでもシグナス様のお力になれるように、聖女について調べてみようと。
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