一緒にいる時間は家族みたいに 3
……あれ?
どうして、シグナス様は、嫌いなはずの私の頬に、口づけを。
まだ、頬がくすぐったい。
まるで、ずっとふわふわの毛並みに撫でられているように。
「あの……」
口元を隠している猫の手のひら。
桃色のプニプニした肉球が目に飛び込んでくる。
「……君は、無自覚すぎる」
「シグナス様」
「そもそも、婚約することになったときに、君はどこまで聞いている?」
「……え?」
シグナス様を見上げた。
不安を隠しきれない様子で、緑から金に色を変える瞳が、私のことをまっすぐに見つめている。
「王立騎士団の騎士、シグナス様と婚約が決まったとだけ……」
「…………むしろ、なぜそれしか情報がないのに婚約を受けた」
「え、それは……」
魔獣に襲われていた少女リンダを見つけ、思わず上に覆い被さったときに、颯爽と現れて助けてくれた騎士様。
そんな騎士様からの婚約打診……。
もちろん、貧乏男爵家の私と政略結婚しても、何も得なことがない。
けれど、国王陛下から直々に届いた婚約打診を、男爵家程度が断るなんて出来ないし、もし理由があるならシグナス様のお役に立ちたかった。
それに……。初めて会ったあの日から、私はシグナス様のことが……。
自覚してしまったとたんに、どうしようもないほど頬が熱くなる。
たぶん今、私の顔はサクランボみたいに真っ赤に違いない。
両方の手のひらで顔を覆い隠して、下を向いてしまった私の手の上に、ふわふわの手が添えられる。
「顔を……見せてくれないか」
「えっと、ひどい顔で恥ずかしいです」
「見たい」
そっとどけられてしまえば、その力は優しいのに、抵抗なんて出来なくて。
恥ずかしさのあまり、涙ぐんでしまう。
シグナス様の手が、そっと私の薄い茶色の癖の強いふわふわの髪の毛を撫でる。
「今日のリボンは、空色だな。……約束を守ってもらえてうれしいよ」
私の髪をハーフアップにしていたリボンがシュルリとほどかれる。
空色のリボンがクルクルとシグナス様の手に巻き付いていくのを、涙でぼんやりした視界で眺める。
ほんの少しの沈黙は、すぐに破られた。
「……俺は、先王陛下の庶子だ」
「え……?」
「そして、光魔法をもつ聖女候補と婚約するのが、王位継承権を得るための条件なんだ」
光魔法……。確かに私は、希少な光魔法を使うことが出来る。
でも、だからって聖女候補だなんて。
「それでは、シグナス様は王位継承権を手に入れるために、私と」
シグナス様との婚約を断る令嬢なんてほとんどいないに違いない。
今、目の前にいる姿は確かに大きな白い猫だけれど、そうなる前のシグナス様は、精巧に作られたあまりに美しい氷の彫像のような美貌をしていた。
しかも、王都で英雄ともてはやされる、最高の騎士様だ……。
……そうだったのね。理由が分かってよかったわ。国王陛下には、御子がいないもの。王位継承権を手に入れるための婚約だったのね。
ほんの少しの落胆に、心の中で首をかしげつつ、微笑む。
私の顔を見たシグナス様が、露骨に眉間にしわを寄せた。
「……勘違いしないでほしいのだが、俺は王位には興味がない」
「え? だって……」
「君が、聖女候補の一覧に上がっていて、しかもほかの王位継承者が興味を示したから……」
「……へ?」
「……気がついたら、君との婚約を国王陛下に願い出ていた」
真っ白になってしまった思考は、唇に落ちてきた柔らかい感触で、現実に引き戻される。
「初めて会ったあの日から、君の美しい空色の瞳が忘れられなかった」
唇の感触がふわふわした柔らかい毛の感触から、ふわふわして柔らかいけれど、違う感触に変わっていく。目の前で、大きな白猫が、美貌の騎士様に変わる。
「王位継承権争いに巻き込んではいけないと、距離を置いていたのに……」
「……あの、私のこと好きみたいに聞こえてしまいます」
「……そう聞こえるように言ったんだ。愛している。王位継承権争いに、巻き込まれるなんて、君にとっては迷惑でしかないだろう。そうだな、君が望むなら婚約は白紙に」
「っ……自分だけで色々決めてしまうのが、シグナス様の悪いところだと思います」
心臓がバクバクいっているし、私が聖女候補だなんて何かの間違いだとしか思えない。
それでも、一つだけシグナス様に伝えたいことがある。
「――――難しいことは、わからないです……。でも、私もシグナス様が好きです」
猫の姿ではなくなってしまったシグナス様と、半径50cmどころか、至近距離で見つめ合っている。
大きな手が、背中にまわされ、次の瞬間、私はシグナス様の腕の中にいた。
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