【8】
「鈴野さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
昼休みに声をかけてきたのは隣のクラスの女生徒二人組だった。
「あの...A組の橘くんって最近B組の高浪さんと仲良いじゃない?二人って付き合ってたりとか...するのかな?」
この質問を受けるのはこれで三度目。
「私は知貴様のプライベートなことは存じ上げなくて。お役に立てず、すみません」
「あっ、ううん。もし知ってたらと思っただけだから。変なこと聞いてごめんね!」
二人は慌てて自分たちの教室に帰って行った。
確かに最近坊ちゃんは週に一度は高浪すみれ嬢とお約束をされている。
中等部の頃は女子には興味を示さずほとんど関わりも無かったのに、と最初にすみれ嬢について質問してきた女生徒が言っていた。
お二人の関係はどうなっているのか...
坊ちゃんは何も仰らないので私は本当に何も知らなかった。
坊ちゃんには婚約者がいない。
親が決めた相手では無く、お互いに想い合える相手と結ばれるべきというのが旦那様のお考えだと聞いたことがある。
家格にもこだわらないというけれど...
もし良家のお嬢様とこの学園で出会って恋仲になれたなら。
それが橘家にとっても坊ちゃんにとっても最良の道だと思う。
それなのに...
ここ数週間、そのことを考えると自分でも説明できない感情が澱のように心に溜まっていくようだった。
* * * * *
「イチカ?」
「あっ、おかえりなさいませ」
「ぼんやりしてるなんて珍しいな」
「すみません...」
「いや、それより今度の親族の食事会の件はどうなった?」
「ご会食の件でしたら、その日は坊ちゃんは学校で特別講師を招いた講演会に出席されることになっているので参加は難しいと伝えてあります」
「そうか!よかった!さすが僕の世話係は優秀だな」
坊ちゃんはご機嫌な様子だった。
...僕の世話係...
「どうしたんだ?なんだか今日は様子が変だぞ?
勉強しすぎで疲れてるんじゃないか?」
「そう...ですね。申し訳ございませんが私はこれで下がらせていただきます」
「あぁ、ゆっくり休め」
お屋敷を出て従業員寮に向かう。
頭の中で坊ちゃんの言葉が何度も繰り返される。
堪らずに走り出して、自分の部屋に駆け込んだ。
浮かんだ思いを反芻してみる。
本来なら高校生になられた坊ちゃんは男性の執事を従えるべきだ。
それをご厚意でお側に置いていただいている。
でももし坊ちゃんに恋人や...婚約者ができたら。
お相手の方から見て私の存在は邪魔になるだろう。
そうなった時に、"坊ちゃんのお世話係"という名目で橘家に居させていただいている私は...
「私...最低だ...」
ここ最近の感情はきっと自分の処遇を気にしていたからなんだ...
それが無意識とはいえ自分の浅ましさに嫌気がした。
私は...坊ちゃんのお幸せだけを願うべきなのに。
重い体を引きずってベッドに潜り込むと、今までの考えを消すように瞼をぎゅっと閉じた。
* * * * *
「ん?」
「坊ちゃん、いかがなさいましたか?」
「なんだか今悪寒のようなものが...」
「おやおや。季節の変わり目ですからね。
お風邪など召されませんよう。今日は早くお休みになられた方がよろしいですね」
「あぁ、そうだな」
僕はベッドに寝転ぶ。
そういえば高浪が新しいパンケーキの店がオープンしたって言ってたな。
次の休みにでもイチカを連れて行こう。
イチカの好きな苺が山盛りのパンケーキを食べさせよう。
今夜もイチカのことを考えているうちに僕は眠りについていた。