【2】
僕がイチカと出会ったのは3歳の頃だった。
「坊ちゃん、私の娘の一花です。よろしくお願い致します。」
前任の世話役のハナエに連れられて屋敷にやって来たのは、一瞬人形かと思うほど、色白で大きな目が印象的な大人しい少女だった。
僕はイチカが気になって仕方なかった。
当時の僕はとんでもないクソガキだったので、とりあえず意地悪をしてはイチカの反応を見ていた。
でも、お気に入りらしい塗り絵のノートを破っても、大事に使っていた色鉛筆の芯を全部折っても、いつも持って来ていた図鑑を隠しても、イチカは泣きも怒りもしなかった。
ただ呆れたような顔で僕を見るだけ。
次第にこちらを見ることもしなくなった。
あまりに反応が無いので僕はすぐに意地悪にも飽きて、隠していたものを返すことにした。
「これ、かえす。」
ばあやに適当に買ってこさせたバッグに入れて差し出した。
「もういいの?」
「うん」
僕が答えると、イチカはバッグから中身を出そうとした。
「あっ。これもやるよ」
「いらない。もらう理由が無いし」
やっぱりこっちを見ないでそっけなく言う。
「...いじわるしてごめんのしるしだからっ!」
恥ずかしくて妙に大きな声が出た。
イチカは驚いたようにこちらを見る。
あっ目が合った...
「そっか。じゃあもらうね。大切にする。ありがとう」
そう言って初めて笑った。
その笑顔に釘付けになった。
女の子用にと頼んでばあやが買ってきたのは渋い臙脂色のバッグだったけど、幼稚園の女の子達とはどこか違う、大人びたイチカにはそれがよく似合った。
屋敷に来る時はいつもそのバッグに本やノートを入れて持ってくるのが、僕は嬉しくて堪らなかった。
* * * * *
幼稚園の年長の頃には僕らはすっかり仲良くなっていた。
「昨日はランドセルを受け取りに行ったんです。私の好きなエンジ色にしたんですよ」
ハナエの休み明け、昨日は何をしてたのか聞いた時だったと思う。
「えっ。しょとうぶはしていの茶色のカバンだろ?」
「公立の小学校は指定カバンは無いので、好きな色のランドセルを選べるんですよ?」
イチカは不思議そうに言った。
それを聞いて衝撃を受けた僕はハナエのもとに走ったのをよく覚えてる。
「うちには珀院なんて通わせるお金ありませんよ」
「お金ならおとうさまに出してもらえばいいじゃないかっ」
「なんで一使用人の子供の学費を旦那様が負担するんです?とにかくうちは珀院なんて無理ですからねっ」
ハナエはろくに相手にしてくれなかった。
それならせめて中等部からとずっと願い続けたけれど...
「公立の小学校に通う子供達の多くは学区内の中学校に進学するんだよ。環境が変わったばかりの一花ちゃんから同級生のお友達まで取り上げたいの?」
いつもニコニコしている父さんが、厳しい目をして問いかけてきたから、それ以上何も言えなかった。
諦めきれない僕は、中学入学後からイチカに圧をかけ続けた。3年生に進級して間もない頃、第一志望は珀院にしますと聞いた時は一日中ニヤケが止まらなかった。
珀院学園は幼稚舎から大学までエスカレーター式で、外部から高等部に入学するのはかなり偏差値が高くないと厳しいと聞いていたけど、中学での成績がずっと学年トップクラスだったらしいイチカは余裕で合格した。
そして今日、僕たちは珀院学園に入学する。
10年越しの僕の願いがやっと叶うんだ。