第5話
音楽隊も誰一人として知らない曲なので、エリーザの歌声だけが広間に響いていた。残響が薄く広がり、そして霧散すると、広間は完全な静寂に包まれる。
感嘆のため息がどこからか聞こえた。
それから、貴族たちは口々に喝采を博し、その騒めきは収まるところを知らなかった。広間の高揚に合わせるように音楽隊の演奏が再開し、貴族たちはめいめいにダンスの相手を見つけていく。
ほっと胸をなでおろしたエリーザは王子を見上げ、とにかく挨拶を済ませて逃げ出そうと思考を巡らせる。これ以上、王子のそばにいたら、いつサヴァツキ家の名前を汚してしまうか分からない。
「踊りましょう」
そんなエリーザの心境をふわりと無視して、ヨハン王子はエリーザに手を差し伸べていた。エリーザは思考を真っ白に戻しながら、恐々とその王子の手に自分の手を添える。断るなんてことはできない。でも、どうして、どうすれば。
ヨハン王子はエリーザの手を引き、華麗なステップでエリーザをリードする。これまで練習してきたダンスの技術を一つ一つ思い出しながら、エリーザは必死に王子のステップについていった。ヨハン王子は手慣れたステップで複雑な動きを使いこなし、要所要所でエリーザをぐいと引きつけては離れていく。途中からエリーザはぼうっとしてきて、まるで夢の中で踊っているような感覚に陥った。
「じゃあ、またね」
曲が終わると、王子はようやくエリーザの手を離してそう言った。
「あ、ありがとうございました」
エリーザは夜会服のスカート部分を摘まんで、人生で一番深々と丁寧に、時間をかけて感謝の意を伝えた。
「早くどきなさいよ」
そんなエリーザに、後方からそう声をかける人物がいた。エリーザが顔を上げると、そこにはヨハン王子の苦笑いがある。
「紹介するよ、婚約者のアネットだ」
王子に促され、エリーザは振り向く。
「あなた、誰?」
アネットはエリーザの顔を一瞥するとそう言い捨て、エリーザの横をつかつかと通り過ぎてヨハン王子に近づいていく。
「あの、わたしは」
「あなたのことを知りたいって意味じゃなくて、興味ないって意味」
エリーザの発言をアネットは冷淡に遮った。
そして、ヨハン王子はエリーザのときと同じようにアネットに手を差し出し、アネットは慣れた様子でその手を取ると、王子に寄り添った。
曲が流れ始めて、二人は踊りだす。
ヨハン王子が流し目で、一瞬だけエリーザに目を合わせてくれた。
取り残されたエリーザはホールの中央からそそくさと逃げ出し、壁際に退避した。
いまの時間はなんだったんだろう、とため息をつきながらシャンデリアを見上げる。