幽霊になった私
フゥともハァとも聞こえる、萎んだ風船から抜ける最後の空気のような音が、私を育ててくれた、祖父のはなった最後の声だった。
こんな事を思い出すのは私が祖父と同じ立場になったからだった。
ーーー余命三ヶ月。
もうこの白い建物から私が帰る事はない。
もうこの白い建物から私が帰る場所もない。
五月、ゴールデンウィーク前だというのに真夏日だという暑い日、会社の用事で行った銀行を出た瞬間、私は倒れた。
いきなりクラリと目眩がして気がついたら病院。
キャンサーです。
熱中症かと気楽に考えていた私に深刻そうな表情で告げた医者。
キャンサー? と聞き返せば癌ですと日本語に訳してくれた。
ガァン。
ああ、このギャグを聞きたくないから英語で言ったのかと、何百回と聞いたであろう、目の前の医者に少々同情しつつ、入院、退社、住んでた家の始末。
やる事をやってしまえば。
もう、何も無い。
暇になったら見ようと。
録り貯めた番組も。
積んどいた本も。
何もかも家と一緒に処分してしまった。
ぼんやりとテレビの画面を眺めても、何一つ私の内に入らない。
少し前までは笑えた芸人さんも、美味しそうな料理も、心打つ映画も何もかも意味をなさない。
意味といえば私のこの生に意味はあったのだろうか?
結婚もせず、子供も作らず。
他の何かをこの世に残すこともなく。
世の中に迷惑をかけず。
やりたい事はあきらめ。
かなえたい願いは忘れて。
毎日、毎週、毎年。
同じ事を繰り返していた。
幽霊の足が無いのは何処にも行かないため。
幽霊の手がだらりと垂れてるのは何も掴まないため。
ああ、そうか。
私はとっくに幽霊だったのか。
祖父と同じ病院に入院したのは運命か。
杖、歩行器、車椅子、寝たきり。
刻々と近づく終わりに抗うでもなく。
祖父が見上げていたであろう天井を見上げて。
祖父がつけていたのよりは新しい人工呼吸機をつけつつ。
ぼんやりとすごせば。
あとは唯一の肉親の弟を来るのを待つだけ。
弟がきたら外される人工呼吸機の。
外した時のフゥともハァともつかない音は。
今の気持ちにピッタリだと私は動かない口角を少しあげ。
ドタドタと聞き覚えのある。
足音が近づいてくるのを聞いた。