死人にくちなし悪魔にシナチク
「はじめまして、わが名はサガン。魔界からの使者。以後お見知りおきを。」
突如、高層マンションの窓に現れた黒尽くめの紳士。
「以前、父君に助けていただいた借りを返しに参りました。」
彼の話によれば、数十年前、地上を偵察に来て帰り損ねた彼を、霊能者だったぼくの父が送り届けたらしい。その父は、ぼくにこのマンションの一室を残してすでに亡くなって久しい。
「今日のところは、挨拶まで。」
というと、闇の中へ姿を消した。
「夢に違いない。」
翌朝、目が覚めると誰か枕元でぼくの額をつんつんと突いている。
「お目覚めですかな、ご主人様。」
サガンだ。夢ではなかったらしい。
「主人じゃない。悪魔と契約した覚えはない。」
うろたえるぼくを見て、サガンは不気味な薄笑いを浮べていた。
「これは、父君との契約。それに悪魔との契約ではなく、悪魔からの契約です。」
今回は命を奪われるような話ではないらしい。霊能者だった父は、不当契約で連れ去られる魂を取り戻す仕事をしていた。だから、色々《いろいろ》と悪霊から怨まれていたらしい。その怨霊が、子供のぼくを狙っているため守ってくれ、という契約らしい。今までも、影ながら守っていたらしいが、30歳になったの機に契約更新に来たようだ。ずいぶんと律儀な悪魔だ。あの世ってのも楽じゃないんだな。そういえば今までも、突然自動車が突っ込んできたり、ビルの上から看板が降ってきたりということがあった。いづれも、間一髪で避けてきた。
とにかく迷惑な話だ。生きていれば、親の尻拭いをさせられる子供のことを考えろ!と、いってやりたいところだ。
会社に行くと、隣の部署の女子が
「今度、合コンしましょうよ。」
と誘ってきた。
「そのうちね。」
酒の飲めないぼくには、合コンなど地獄だ。
「彼女には、白狐がついてます。」
サガンがそっと耳打ちしてきた。こいつの姿は普通の人には見えない。
上司に誘われ、昼は近くのいきつけのそばやへ行った。
「かけ。」
「遠慮しなくていいんだぞ。」
上司はいつも太っ腹だったが、決まって大盛りのたぬきそばしか頼まない。定食とか食べてみたいが、怖くて頼めない。その上司は、
「は~、食った食った。」
といいながら、中年太りで突き出した腹を叩くのだった。
「あの方は狸ですね。」
また、サガンだ。
「その情報、要らない。」
そう、いいたかったが相手は悪魔だ。機嫌をそこねると何をされるかわからない。
仕事中にも、色々言ってくる。社長秘書を指して
「あの方は弁天が、守護されてますね。」
とか、取引先の部長を見て
「あの方には鵺がとりついています。信用できません。」
とか忠告してくる。仕事の役に立つこともあったが、ほとんどはどうでもいいことだった。
「ずいぶんと日本の妖怪に詳しいな?」
「魔界に帰るときに勉強しました。地獄ツアーに紛れ込むために試験勉強で父君にしごかれました。いやあ、あの時は地獄でした。あの方は鬼です。」
悪魔に鬼といわれる親父って・・・。悪魔とはずいぶんおしゃべりなものだな、と思いながら自宅に向かった。もしや、こうやって衰弱させて殺すつもりじゃないかと疑った。
ながら族のぼくは、こいつのおしゃべりをラジオから流れる雑音程度にしか感じなかったが、それでも気がめいる。自炊しないぼくは、前から一度行ってみたいと思っていたラーメン屋に入った。小さい店だが、すごいサービスがあるらしい。出たサイコロの目によってその内容が異なるのだ。この前、同僚がチャーシュー2倍を当てたと自慢していた。その前は、後輩が大盛り無料になったといっていたな。
つけ麺を頼むことにした。ぼくの嫌いなものが入ってなさそうだからである。
「出ました。本日初のピンゾロ。」
店主の声に、客たちが盛り上がる。これは期待できそうだ。もしかしたら、タダになったりして。わくわくしながら出てきたどんぶりを見て驚いた。大盛りのシナチク。
「パンダじゃないんだ。竹ばっか食えるか。」
「めずらしい。本物のシナチクですね。」
悪魔が後ろからささやく。彼曰く、孟宗竹を発酵させたもので、最近の真竹から作るメンマとは違うらしい。そんな、うんちくはどうでもいい。シナチクもメンマも嫌いだ。何の栄養もなさそうな木片をうまそうに食べる連中の気が知れない。そもそも酒もシナチクも嫌いになったのは、死んだ親父のせいだ。朝、仕事から帰ってくると、清めとか言って酒を飲む。その時の肴がシナチク。たくあんに似た食感だが塩気がなくて辛口の酒のアテにはちょうどいいそうだ。
ぼくは大量のシナチクをはしで持ち上げると、悪魔の前に突き出した。悪魔は、一瞬で後ろに下がった。あっ、竹には邪気を払う力があると聞いたことがある。ぼくはシナチクを食べるふりをしながらコンビニでもらった袋にすばやくつめた。
家のつくと、部屋のあちこちに持ち帰ったシナチクを撒いた。
「やめたほうがいいですよ。」
窓の外から、悪魔が叫ぶ。今夜はゆっくり眠れそうだ。そういえばパンダの無邪気さは竹を食べているからなのか?
目が覚めると、なにやら体が軽い。昔、高熱を出したときの感じに似ていた。
「お目覚めですか?」
横でサガンの声がする。
「えっ?!」
目の前には部屋の中で眠る自分がいる。ぼくは窓の外で空中に浮かびながらそれを見ている。
「だから、忠告したのに。余計なことをするから取り殺されてしまったじゃないですか。」
加工品のシナチクでは霊力が低く、免疫力のある日本の妖怪には効かないらしい。
「本来なら順番に裁きを待つところなのですが、このままでは契約失敗で私にまで罰が下ります。まずは、閻魔庁に知り合いの官吏がいますから、話を聞いてもらいましょう。」
― 閻魔庁 ―
死者同伴ということで三途の川はすぐに渡れた。
「それは、気の毒でしたね。大王は今不在でしてね。戻られるまで、ゆっくりしていくといい。地上のまがい物と違い、本当の地獄泉めぐりができまますよ。お肌すべすべ冷泉の血の池と、気分爽快の灼熱サウナ、どちらもお勧めですよ。」
せっかくだが、閻魔が帰るまで奥で待たせてもらうことにした。
「お父上には、地獄の仕事を手伝ってもらっていた恩がある。死体は雪女に保存させるが、一週間しか持たんぞ。腐った死体は戻らんからな。インフルエンザということにすれば一週間は仕事も休めるじゃろ。電話はやっかいじゃな。しかたがない、電話番の鬼もつけてやろう。裁くのはそれからにしてやる。」
いかつい顔に似合わず、大王はいいやつだ。
「生き返りについては、トップシークレットなので教えられん。決まりを変えるとなると地上の時間で千年以上かかるかな。」
そんなに待ってられない。ぼくたちはすぐに閻魔庁を後にした。部屋の入り口でサガンの知り合いの官吏にあった。お互い他人のふりをしてすれちがった。
「大王、例の事案の回答が神から届きました。」
官吏が閻魔に巻物を渡す。
「裁きに生き返りも含めてよくなったぞ。」
「肉体さえ無事なら生き返れる、通称、クーリングオフ判決。おかげで、裁きが効率化できます。」
閻魔の言葉に官吏が答える。
「もとは空海のやつを現世へ戻すために出したものだからな。これで、我が物顔の霊能者どもを排除できる。」
何の当ても無く、地獄に放り出されてしまった。
「どうすればいいんだよ。」
ぼくはサガンに怒鳴ったが、やつは
「さあ、困りましたね。」
というだけで当てにならない。地獄に知り合いがいるはずもない。
「とりあえず、父君を探しますか。」
「地獄ツアーの下見というにしますから、余計なことは言わないでください。」
地獄には、鬼のほかに亡者と死者がいるらしい、亡者は裁きが決まった者で、死者は裁かれる前の者らしい。親父のような霊能力者だった者は、亡者としてではなく転生先が決まるまで、地獄内で死者として暮らすのだそうだ。なので、今どこにいるのかは誰も知らない。
― 血の池地獄 ―
「お~い。」
どこかで、声が聞こえる。うちの爺さんがいる。血の池でぷかぷか漂っている。そういえば、爺さんは坊主だった。しかし、坊主がなんで地獄にいるんだ?
「なんじゃ、お前も死んだのか?」
とりあえず、地獄で初めてまともに話をできる死者にあった。
「坊主って天国に行くんじゃないのか?」
「極楽ですね。ちなみに天国は、ワインとパンが飲み放題、食べ放題です。それに、夜になれば光り輝く聖者たちが行進をします。」
サガンは顔色ひとつ変えずに答える。
「遊園地のパレードじゃないか。」
と、つぶやいた。
「いえ、歴史的にこちらほうが先です。」
「こいつは地獄耳か?」
と思わず、突っ込んでしまった。
「はい、悪魔ですから。」
爺さんは、あいかわらずぷかぷか漂っている。
「極楽で一日中座り続けるだけなんてつまらん。」
爺さんの話には興味はない。さっそく親父の居場所を尋ねた。生まれ変わりを繰り返すため、死者には名前はない。とりあえず親父の似顔絵を描いて聞いてみた。
「あいつは、寒がりだったから、もっとあったかいところにいるんじゃないか?」
― 瓮熟処 ―
「ここが、有名な瓮茹での里です。」
湯番の鬼に案内されてやって来たところは、小さな瓮がびっしりと並んだところだった。渡された案内を見ると、瓮ごとに効能が書かれている。
「昔は、熱湯好きの年寄りばかりで退屈でしたが、薬湯にしたらこの通り。若者たちにも大人気。あ、もちろん源泉かけ流し。沸かし湯なんて使ってませんよ。それから、水質検査も毎日行っています。」
若者が、売店で白い液体の入ったビンを買い、飲もうとしていた。
「あ、お客さん。風呂上りの牛乳は、左手を腰に当てて胸を張って、ぐいっと。」
案内の鬼が、瓮上がりの亡者に指導する。
「最近の連中は流儀がなってない。おかげで、苦労がたえませんよ。彼の罪ですか?給食の牛乳を粗末にしたんですね。」
どうやら、瓮茹での後で牛乳を飲むという責め苦らしい。
「近年は罪も多様化してまして、それにあわせた罰も用意しなくちゃならない。おかげで経費はかさむ一方です。」
どうやら親父はここにはいないらしい。
― 阿鼻地獄 ―
血の池にいた爺さんの、つれあいだった婆さんがいた。生前はイタコをやっていた。声をかけようとしたが様子が変だ。大声で泣き叫んでいる。
「あれは、亡者ですな。」
サガンがつぶやく。
「よくいるんですよ。エセ霊能者。大罪ですな。」
― 不喜処 ―
「ペットロスの亡者が増えて、癒されると大人気です。動物たちもペット霊が増えて、ぺろぺろなめたり、アマガミ程度です。おかげで罰になりませんから、天国にペットロサンゼルスとして移管される予定です。」
― 極寒地獄 ―
寒がりの親父がいるとは思えないが、念のためだ。大きな扉を開けて中に入ると、なにやら小さな動物たちがぺたぺたと近寄ってくる。
「歓迎のペンギンです。」
出迎えた鬼は、背中を丸め両手をこすりあわせて答えた。寒いのか、いやゴマすりのようにも見える。
大きな一面氷の湖が中央にある。氷の上に丸いものが転々《てんてん》とある。
「あれは、亡者たちの頭です。湖につかって、ああやって頭だけ出しています。温暖化ってやつの影響でだんだん小さくなりましてな、こうやって収容率を高めています。ツアーにはぜひ名物のワカサギ霊釣りを。被爆霊も大量に入荷しましたから。」
そんな湖の中央で釣り糸をたれているやつがいる。
「親父、こんなところで何してる!」
ぼくは、そいつの後頭部に石入りの雪玉を思いっきりぶつけた。これくらいしたって死ぬようなやつじゃない。もっとももう死んでいるか。
「おお、おまえはたしか301回目の転生時の息子。」
なんだよ、その囚人番号のような呼び方。
「あれ?地獄の使者じゃないか。そうか、無事契約更新できたってわけだ。」
能天気な親父の言動にいらつきながらも、ことの成り行きを手短に話した。
「そりゃ息子、お前が悪い。まあゆっくりして行け。今、つれたてのワカサギをご馳走してやるからな。」
見るとバケツの中には水しか入ってない。
「霊能者だ、親父じゃないから釣れないってことはないだろう。」
坊主とボウズをかけた親父ギャグか。ただでさえ寒い極寒地獄なんだ、勘弁願いたい。
「シナチク?あんな腐ったような竹に霊力が残ってるわけないだろう。単にこいつがシナチクぎらいってだけだよ。地獄ツアーの特訓の時の俺の夜食がシナチクだったからな。酒の肴には最高だよ。」
時間がないぼくたちは、何とか生き返る方法を聞き出すことができた。
「現世の食べ物を口にすること。飲み物はダメね。気管に詰まって本当に死んじゃうから。そう言えば、あの時も焦ったなあ。一杯やりながら赤ん坊のお前を風呂に入れてたとき、手が滑って溺れさせちまってな。持ってたつまみを口につっこんだら生き返ったぞ。」
なんだ、簡単なことじゃないか。って、おい!何てことしてくれたんだ。とにかく、時間がない。
「三途の川を渡っていたらとても間に合いません。近道して帰りますよ。」
ぼくらは、池の中に飛び込んだ。極寒地獄の池。身も凍る冷たさだ。
「霊体は死にません。苦痛の感覚はありますよ。地獄なんですから。風邪もひきません。ですから、医者いらず。」
息苦しさはない。池の底は真っ暗だ。どのくらい、潜ったろう。いきなり、真っ青な光の空間にでた。
「落ちる~。」
― 阿鼻叫喚地獄 ―
ぼくのあわてぶりには目もくれず、サガンは
「このまま地面まで落ちますよ。急いでください。のんびりしてたら数千年かかってしまいます。」
といって、真っ逆さまに急降下していく。バンジーもしたことないのに、いきなりスカイダイビングって。その前にパラシュートがない。
まさに、恐怖以外の何物でもなかった。ここだけは死んでも来たくない。生まれ変わるにしても鳥だけはやめよう。
「初心者用にオプションとしてタンデムもできますが、いかがいたします?」
ぼくは首を横に振った。悪魔とくっついて落ちるなんてできるか!
地面が、近づく。墨の一角に巨大な建物がいくつも見えてきた。やけに華やかな街だ。
「あそこが天国です。まわりは、阿鼻叫喚地獄ですから、間違えないでください。」
地獄から落ちた先が天国って変だろ。つっこみたいが落ちる恐怖で声が出ない。
「何で地獄の中に天国があるかって思いますよね。」
サガン、お前、心が読めるのか?なら、この恐怖もわかってくれ。
「ここに来ると、みなさん尋ねるんですよ。地獄の隙間に天国はあるんです。到着するまで、まだ時間がありますね。神が人間界をおつくりになりました。もともと人間も神と同じく不老不死でした。そう、あの毒りんごを食べるまで。あれは『知恵の実』ではなく『死への実』です。神は人間を支配するために地上に閉じ込めようとしました。人間は死ぬことで霊となり、神の支配からのがれ、この霊界にくるのです。最初にできたのが地獄です。もともとわがままな人間ですからね。かれらの管理のために、悪魔や鬼が派遣されました。宗教が広まり、後から地獄の空地に天国や極楽ができました。天国には神はいません。神は人間界の天にいます。そこで主として人間を支配しています。神が霊と一緒にいるわけないでしょ。ですが霊界にも権力者が現れました。釈迦やキリストはその代表格です。極楽を支配している釈迦は、反乱を恐れてひたすら無をといています。死者はただボーと座っているだけです。キリストは天国を支配しています。」
天国に到着したぼくたちは天国の門を目指した。きらびやかな街並み。軽快な音楽も流れている。
「天国は会員制です。当分空きはでません。」
サガンは観光案内でもするかのような口調で話した。
「そんなに、あの世のことをしゃべっていいのか?」
「気にしないでください。どうせ生き返ったときにすべて忘れますから。」
この苦労をすべて無かったにされるのか。鬼だー、いや悪魔だった。
天国の門から人間界は近かった。
「三途の川の渡し賃が浮きました。」
これが、こいつの本心か。
死んでから一週間。なんとか間に合った。
「よかった、間に合った。」
「プランどおりです。間に合わなければ直接届けます。」
サガンが指を鳴らすと、ぼくたちはいままで通ってきた地獄、天国に次々《つぎつぎ》と一瞬で移動した。安堵しているぼくにサガンはさらに追い討ちをかける。
「ちなみに、わたくし地獄ツアーのガイドの資格を持っております。地獄に戻るためにです。悪魔ですから、ツアー客ではなくガイドの試験を受けました。今回はオプションなしですのでお代は0年です。ちなみに、タンデム飛行は寿命たった10年分だったんですがね。地獄ツアーのための幽体離脱として処理しますので、評価用アンケートへの記入をお願いします。」
「鬼め!」
「悪魔です。」
部屋にかえって早速食べ物を探す。冷蔵庫の中は新品みたい。何もない。台所にせんべいが残ってたはずだがそれもない。部屋中に食料の空き袋が散乱している。電話番の鬼たちが夜な夜な宴会をしてすべて食ってしまったらしい。正に鬼だ。料理をしないぼくだ。調味料すらも置いてない。霊体では買い物もできない。あたりを見回すと、凍りついた茶色の角柱の物体があちこちに転がっている。サガンよけに撒いたシナチクだ。背に腹は代えられない。ぼくはありったけのシナチクを拾い集めると、ぼくの死体の口につっこんだ。親父の言っていたつまみってのもシナチクだったっけ。
「おえっ。」
吐きそうになり、気を失った。
気がつくと、口いっぱいにシナチクをくわえていた。悪魔も鬼も消えていた。それ以来、シナチクが食べられるようなった。いまでは、夜食にシナチクをかじりながら番茶をすすっている。