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短編集。

奪われ千切れた「Ailes blanches」

作者: 天音 神珀

 震える瞼で見上げれば、ぼやけた視界に漆黒の何かが映り込む。


(ねぇ――大丈夫?)


 寒くて、おなかが空いて。


 全身が軋むように痛むのに、それを治す術もわからない。


 切り離された半身が私を呼ぶのに、故郷に帰れないこの身は悲鳴をあげるばかり。


 さびしい。こわい。いたい――


(ねぇ……)


 ふわ、と何かが私を包んだ。


 温かくて、柔らかくて。


 ……それはまるで、まだ神に愛されていた頃、与えられていた光のよう。


(痛いの? 寒いの?)


 答えようと唇を動かしても、唇は震えて吐息を零すばかり。


(大丈夫だよ。怖くない)







 何もかもが私を置いて、過ぎ去っていく中。


 貴方だけが、私を見てくれた。

 貴方だけが、私にぬくもりを教えてくれた。


 片翼の悲鳴に軋む身体を。


 貴方の言葉が。優しさが。ぬくもりが。




 包み込んで、癒してくれた。





 ――もし願いが叶うなら。

 今度は笑って、「はじめまして」をやり直したい。


 そうして、手を取り合って。あなたと笑って歩いていけたら。


 片羽などいらない。神の愛など、なくてもいい。

 

 

 私には、あなたしかいないのだから――











「――?」


 少女は、道端に転がっているものに気付いて足を止めた。

 雪で真っ白に塗り替えられた景色の中に、一際目立つ赤い何かが雪に埋もれている。


「こと、り?」


 何気なく近寄ってみると、それの惨状に気付く。


 片羽がもげ、体中が血で染め上げられている。所々血の付着していない所を見ると恐らく純白の羽を持つ小鳥なのだろうが、注意して見なければ不自然なほどに真っ赤な小鳥にしか見えない。


「酷い傷――」


 思わず小鳥を両手で掬い上げる。


 まだ温かい。生きているようだ。


 傷の酷さからして生きているのが不思議だったが、少女はそのまま小鳥を抱いて家まで帰った。





「ただいま戻りました!」


 少女が勢いよくそう言って扉を開けても、返事は無い。それもそう、少女はここに一人暮らしなのだから。


 少女は白い外套を脱いで、玄関先で雪を払った。そしてそれを壁にかけて家に上がる。


 そしてそのまま小鳥を机の上に寝かせた。


「どうしよう」


 連れて帰ったは良いが、少女は医者ではない。小鳥を治したくとも、それはできそうにない。


 少し考えた後、少女は布を水に浸して小鳥の身体に付着した血を拭い始めた。


「……やっぱり、羽が片方だけない」


 (からす)にでも突付かれたのだろうか。辺りに羽が散らばっている様子はなかったように思うが、見落としたのかもしれない。


「可哀想に……」


 血を拭いながら、少女は小鳥を助けられないか必死に考えた。


 このままでは死んでしまうのは明白だ。


 どうすれば助けられるだろうか――


「……あっ」


 とそこで、少女は顔を輝かせた。


 木の籠を取り出し、そこに綿を敷く。そしてそこに小鳥を寝かせて、上から軽く布切れをかぶせた。


 そしてその籠を持ったまま玄関へと行き、つい先ほど脱いだばかりの外套を羽織る。


「あの人なら、助けてくれるかも……!」







「……で、俺の所に来たって訳かよ」


 男は鬱陶しげに籠の小鳥を見てから少女を呆れたように見やった。


「ごめんなさい、イジェルタ。でも、あなた以外に頼れそうになくて……」

「お前は俺のことを何だと思ってるんだ? 俺は医者であって、獣医じゃねぇ。鳥の治療なんざしたって一文の得にもならねぇだろうがよ。帰れ」

「その……どうしたら助けられるかぐらい、教えて貰えない? 私、頑張るから……」

「諦めな。そいつはもう虫の息だよ。拾わずほっときゃ今ごろ死んでたろうさ」


 イジェルタと呼ばれた男は長い前髪を掻き上げて足を組み、煙管を吹かした。

 少女は籠の中の小鳥を見つめ、悲しげに眉をひそめる。


「……絶対、無理、かしら?」

「無理だろ。そもそも片羽根をなくしてどうやって生きていくんだよそいつは。鴉に突付かれた鳥なんざ、自然界じゃごまんといる。諦めろ」

「……」


 少女がますます悲しそうに俯いて籠をぎゅっと抱き締めると、イジェルタは不愉快そうに顔をしかめた。


 沈黙が二人の間に舞い降りる。


 時計の秒針の音が、静寂の中でやけに大きく響く。


「……」


 イジェルタは少女から目をそらして窓を見ていたが、やがて


「……あーッ、鬱陶しい!!」


 そう言って煙管を煙管盆に思い切り叩きつけた。びくりと肩を跳ねさせて少女がイジェルタを見上げると、


「辛気臭い顔をすんなハミア! お前から能天気を取ったら何が残る? 何も残らないだろうが!!」


 かなり失礼なことを平気で吐いた後、イジェルタはハミアと呼んだ少女の手から籠を引っ手繰って椅子から立ち上がった。


「え、イジェルタ?」

「うるせぇ、黙ってろ」


 不機嫌極まりない彼に危機感を覚えハミアは慌てたが、イジェルタは籠から小鳥を出して忌々しげに小鳥を睨みつける。


「ったく、運の良い野郎だ」


 籠をハミアに向かって放り投げると、イジェルタは小鳥を連れたまま奥の部屋へと消えていった。





「……か、帰ったほうが、いいのかしら……」


 イジェルタの家にハミアが来たのは昼だったが、既に夕方になっていた。しかしイジェルタが部屋から出てくる様子は一向にない。


 心配になってイジェルタが篭っている部屋の扉に顔を近づけ、耳をつけて中の音を聞こうとした途端、


「きゃっ!?」


 扉が突如乱暴に開かれ、ハミアは弾かれたように飛び退いた。


「あ? まだいたのかよ」


 イジェルタはそう言うと、ハミアの腕を掴み、手のひらを返させた。


「な、なに?」

「ほらよ」


 乱暴な言葉の割に、その仕草はとても丁寧だった。


「あ……!」


 ハミアは手のひらに置かれたものを見て思わず眼を見開く。


 そこにいたのは、真っ白な小鳥だった。


 血の痕など、露ほどさえ見られない純白の小鳥。


「あ、羽……」


 失われた筈の片羽の付け根に、痛々しげに幾重も包帯が巻かれている。そしてその包帯の先からは、翼が生えていた。


「え……どうして?」

「義手みたいなもんだよ。代わりの羽を適当に作って縫い付けた。まぁ出血は止めたしそのうち目ぇ覚ますだろ」


 イジェルタはそう言い、大きな欠伸をすると「俺はもう寝る。お前も今日はもう遅いから二階の客室にでも泊まっていけ」と言い放って自室のほうへふらふらと歩いていった。


「……イジェルタ……」


 ハミアはその後姿をやや呆然と眺めていたが、手元の小鳥に視線を落とすと笑みを零して


「……良かったね……死なないで済むんだって。良かったね」


 そう呟き、小鳥にそっと頬擦りをした。









「……で?」


 イジェルタはやや頬を引き攣らせて、ハミアを真正面から見据えた。


 それに、ハミアは身体を縮こまらせる。


「あの、えっと。……ご、ごめんなさい」

「人が治療した奴を一体どこ逃がしたんだ。寝ている間に後生大事に握ったまま潰したんじゃないだろうな?」

「ち、違うわ! どこにも見当たらないんだもの。本当よ!」


 朝。


 目覚めたハミアが眼にしたのは、綿しか入っていない空っぽの籠だった。

 夜寝る前に、籠の中にちゃんと小鳥を寝かせておいたはず。

 恐らく逃げ出したのだろうが――しかし部屋の何処を探しても小鳥は見当たらない。


 恐る恐るそれをイジェルタに話したところ――まぁ予想通り、酷く機嫌を損ねたようだった。


「……はぁ」


 イジェルタは盛大に溜め息をつき、


「あの鳥はもう飛べない。羽を作ったとはいえ、元通りになったわけじゃねぇ。今外に出たら確実に鴉の餌だぞ」

「……」


 ハミアが俯くと、イジェルタは煙管を吹かしつつ窓の外を見やった。


「…………ぁあ?」


 イジェルタが突然おかしな声を出したのでハミアがびくんと肩を跳ねさせると、イジェルタは煙管盆に乱暴に煙管を叩きつけて立ち上がった。


「チッ!」

「な、なに? ……あ」


 イジェルタの視線の先を追おうとしたところで、玄関の方からベルの鳴る音が聞こえた。


「え……こんな時間から、患者さん? イジェルタ……」

「出なくて良い」

「でも、急患さんかもしれないわ」

「急患だろうが九官鳥だろうが俺は知らん、放っておけ!!」


 イジェルタが不機嫌そのものの声でハミアを怒鳴りつけた時。


「酷いなぁ兄さん。弟くらい素直に家に上げたらどうなのさ」


 玄関の扉の向こうから飄々とした軽妙な声が二人の耳朶を打つ。


 その声にハミアは聞き覚えがあった。


「ルジェルタ?」


 ルジェルタ。

 イジェルタの弟で、吟遊詩人として各国を渡り歩いている幼馴染だ。


 イジェルタとルジェルタは仲が良いのか悪いのか大変微妙な仲なのだが、どちらもハミアには親切にしてくれる。

 もっともイジェルタはそれをあまり表に出す性格ではなかったが。


 人付き合いの悪い兄と異なり、ルジェルタは誰とでもすぐに仲良くなる性格で、イジェルタと他人の仲を受け持つことも多かった。


「嘘、帰ってきたの!?」

「おい、家に入れるなばか!」


 イジェルタの制止の声も聞かずハミアは駆け出し、勢いよく玄関の戸を開け放った。


「わ! 元気だなぁ、ハミアは。僕がいない間、兄さんになんかされなかった? 酷いこと言われたりとか」


 そこにいたのは、イジェルタとほぼ同じくらいの長身の青年だった。

 イジェルタと同じ黒髪は、ふわふわと緩くウェーブがかっていて、肩口でリボンで一つに結わえられている。


「何にもなかったわ。イジェルタはいつも親切だもの。それにしても、帰ってきたのね! また会えて嬉しいわ!」

「あぁ、ハミアはいつ見ても可愛いよねぇ。可愛い幼馴染が故郷で帰りを待っていてくれるって考えるだけで、歌がいくつでも作れそうだよ」


 ふふ、と上品に笑い、ルジェルタは流れるような仕草でハミアを抱き締める。そして頭をなで――


 ようとしたところで。


「こンの、悪たれが。まだ生きてたのかよ。さっさとくたばりゃいいものを」


 どす黒いオーラを纏ったイジェルタが、背筋の凍るような底冷えのする声でルジェルタに悪態を吐きつけた。

 それに対するルジェルタの方はといえば、全く(こた)えた様子もなくむしろ楽しげに笑って、


「あはは。まったく、兄さんは照れ屋さんだよね。兄さんを見てるとさ、割と歌が思い浮かぶんだ。何ていうの? 負け戦とか、そう言う系の歌。あと、失恋に泣き叫ぶ未練がましい男の歌とか。あんまりみんなからの評価は良くないけどね」

「てめぇのそのろくでもねェ頭はまだ健在かよ。いや悪化してんな。南国にでも行って頭の中まで春色に染まってきたか? さっさと死ね」

「兄さん、それは南国の人に失礼だよ? 南の国にも行ったけど、南国の人の特徴はみんな明るい所だよね。兄さんももう少し南国の人を見習ったら? こんな薄暗い家に幼馴染連れ込んで何考えてたの? うわぁ嫌な感じ」


 兄弟の間に嫌な空気が立ち込め、ちょうどその中心にいたハミアが、どうやってこの場を打破すべきか思考していたところ、


「あー、それにしてもハミア可愛い。ほんと癒される。ねぇハミアどっかの男にちょっかい出されたりとかしなかった? 大丈夫? そんな奴いたら僕に教えてね。全力で「お話」をしに行くから」


 ハミアをぎゅーっと抱き締めつつルジェルタがそう囁くと、その抱き締める手を勢いよく叩き落とし、


「テメェが一番危険なんだよいい加減理解しろケダモノが。帰れ。金輪際この町に顔を出すな。世界中歩き回って黄泉の国にでも片足突っ込んで来い」


 え、なんか危ないこと言ってない? と冷や汗をかくハミアを他所(よそ)に、ルジェルタは笑みを深くする。


「黄泉の国かぁ。でもこの三人の中で一番最初に行くのは兄さんだよね。行ったらそのまま帰ってこなくて良いよ? お土産とかあんまり気にしなくていいからね。わぁ、何ていい弟」

「死ね」

「ふふ、兄さんこそ」


 大変場の空気が悪くなってきた所で、ようやくハミアが二人の間に割って――まぁもう二人の中心にいるわけだが――入る。


「ストップストップ! 兄弟げんかは良くないよ。それよりルジェルタ、帰ってきたならみんなの所にも挨拶回りしてきたら? きっと街の女の子、みんな喜ぶわ」


 ルジェルタは無愛想な兄とは違い、性格も顔もいいため女の子によくモテた。それを思い出してそう言ったのだが、


「……」


 ルジェルタはハミアの言葉に、瞳を瞬かせた。


「……ハミアは、僕と一緒にいたくない?」


 少し淋しそうにそう言うルジェルタの雰囲気に、ハミアは驚く。


「えっ、どうしてそうなるの?」

「だって僕がこの街に帰ってきたのは、君に会いたかったからなんだよ。他の女の子なんて、はっきり言えばどうでもいいし……」

「同情引くような顔したって無駄だ阿呆が」

「イジェルタ言い過ぎよ。とりあえずルジェルタ、家に上がりましょう?」

「待てここは俺の家だ! 勝手に上げんな!」

「そうだよね……兄さんは僕のことが嫌いだもん。ハミアの家で二人きりでお茶にしよう?」

「どさくさに紛れて調子に乗るなこの悪たれが!!」


 スパンっ、と思い切りイジェルタがルジェルタの頭を叩きつけた。









「……結局こうなるのかよ」


 目の前で注がれた紅茶をつまらなそうに見つつ、イジェルタはぼやいた。


「わー、ハミアのお茶なんて何年ぶりだろ? いただきまーす」


 ハミアが淹れたお茶にいそいそと手をつけるルジェルタを尻目に、イジェルタは煙管を吹かす。


「ねぇルジェルタ、外国のお話を聞かせて?」

「外国? んー、そうだなぁ。東西南北どの辺りが聞きたい?」

「わ、いっぱい回ったのね! えっと……じゃあ、北から?」

「北ね。判った」


 ルジェルタはティーカップから唇を離して、謡うように語り始めた。



 ここより北の国はそれこそ銀世界。


 ここと同じ? いやいや、そんなものじゃないのさ。白じゃない色を見つけるのが難しいくらいだよ。

 空も地面も家々も全部真っ白。強いて言うなら家の窓から漏れる灯りだけが色づいてるんだ。

 まるで世界から空も地面も消えてしまったみたいな、不思議な感覚さ。


 北の国ではここより神への信仰が厚くてね。神殿や教会がそこかしこに建ってて、寒いのも構わずみんなそこにお祈りをしに行く。


 でもちょっと最近は不穏な空気。


 何でかって?


 それはね、どうやら神様たちが怒っているからなんだってさ。


 何で怒っているのか? 不思議に思った僕は教会を訊ねた。


 神父に聞いてみたところ、どうやら神界で反逆者が沢山出ているかららしい。


 天使から神様の一部も反逆に立つ。神界が揺れているんだね。


 それで、神様たちもおちおち人間のことばかり気にしていられない。


 それで、ここ最近は北の国に晴れの日が来ない。


 みんな、神様に見放されてしまうんじゃないかと怯えてる。


 そこでね。僕が言ったのさ。


「空に日が昇らないのなら、せめてあなた方の心に灯火を」


 そうして竪琴を爪弾く。


 するとみんな、しん……と静まり返ってね。


 僕が演奏し終わると、みんな盛大に拍手をしてくれるんだ。


 ありがとう、久しぶりに神の愛を聞いた気がする。

 あなたは神に愛された詩人だ。ってね。



「凄いわ、ルジェルタ……! みんなルジェルタの歌を聞いて、喜んでいたのね」

「ふふ、まぁ誰の賞賛より、君の笑顔のほうが素敵なプレゼントだけどね」

「歯の浮く台詞だけはぺらぺらとよく出てくる奴だ」

「兄さんも見習うと良いよーあはは」

「に、西! 西は?」


 あまり良くない雰囲気になってきているのを感じ取ったハミアは反射的にルジェルタにそう言った。


「西かー。西はねぇ……」


 

 やがて東西南北すべての話が終わっても、イジェルタとルジェルタは相変わらずどす黒い雰囲気を保ったままだった。


「……あ、いけない!」


 ハミアが突然立ち上がると、二人はハミアを見上げた。


「どうした?」

「そろそろ、お祈りに行かないと! ルジェルタの話を聞いて引っかかってたんだけど、そうよ。お祈りに行く時間だわ!」

「相変わらず信心深いね、ハミアは。行ってらっしゃい」

「神様を信じてないイジェルタはともかく……ルジェルタも行かないの?」

「僕も、神様を信じてるかどうかは微妙な所だからなぁ。神様の存在は信じてるけど、その愛はあんまり信じてない。ま、そういうことだから。勿論ハミアが一人じゃ心細いって言うんなら、」

「そうだったの? わかったわ、一人で行ってくる!」

「……スルーされた……」


 何故か落ち込んでいるルジェルタを尻目に、ハミアは外套を引っ掴んで駆け出した。












「はぁ……今日も、雪ね」


 ハミアはお祈りを終え、イジェルタの家に向かっていた。


「ルジェルタが帰ってきたなら、お祝いとかした方がいいかしら?」


 悩んでいた、その時。


「……お嬢さん」


 背後から唐突に話しかけられ、ハミアは思わずぴたりと足を止めた。


 聞き覚えの全く無い声だった。


 この町は小さい。街の人間なら全員知っているつもりだ。しかしその声に聞き覚えは無く。


 思い切って振り返ると、――長い外套を頭のてっぺんから足先まで引きずるように羽織っている「誰か」がそこにいた。


「……え。誰?」

「すみません。……道に、迷ってしまって。街があったから、来てみたんですけど……その、あまり人に会わないものだから」


 声からすると、恐らく――男だろう。多分。とても美しい声だ。


「あの、あなたは?」

「……私は……」


 男は、外套のフードをそっと外した。


「!」


 美しい青年だった。


 年のころは20代前半といった所だろう。


 どれくらいの長さがあるのかは判らないが、外套の中にまで続くほど長い、純白の艶やかな長髪。

 サファイアを秘めたような左眼。右眼は眼帯で隠されていたが、左眼からして恐らく青だろう。

 端整な顔立ち、真っ白な、絹のようにきめの細かい肌。


 こんなに美しい青年は、今まで見たことがなかった。


(……聖書の中に出てくる、天使さまみたい)


 そんなことを思ったハミアを他所に、青年は困ったように俯きつつ


「すみません。宿の場所を、教えていただけないでしょうか?」

「宿? えっと……」


 と、そこで。ハミアははたと「それ」に気付いた。


 この青年は、何も持っている様子が無い。


 いや、外套の中に何かあるのかもしれないが。


「あの……失礼ですけど……」

「はい?」

「宿のお金、割と高いかもしれないんですけど。大丈夫ですか?」

「お金……? 高い?」

「雪国ですから、物があまりないんです。だから宿の宿泊料も割高で。この町は小さいし、宿なんて一軒しかないんです」

「……あぁ、お金、ですか」


 青年は目をそらした。


「……えぇと。やっぱり、お金がないと、ダメでしょうか?」

「と、いうのは?」

「あの、その……情けないんですけど。ついこの間、盗賊に襲われて。金目のものはすべて奪われてしまって……」

「あぁ! もしかして右眼はその時に?」

「え? あ、はい。よくおわかりになりましたね」


 青年は右目を抑え、自嘲気味に笑った。


「男のくせに、情けないんですが。私は……もの書きで、あまり力が無いんです。だから、その……今は一文なし……で。ですからその、」

「わかりましたわ!」


 ハミアは、ぱん!と小気味のいい音を立てて手を合わせた。


「それでしたら、私の家に」

「は……? いえ、ですが。女性一人の家に、泊まらせていただくわけには」

「そんな心配ご無用ですわ!」


 ハミアは満面の笑顔で青年を見上げた。


「部屋は余ってますし、一人じゃ淋しいですもの。それに、もの書きさんなんでしょう? 私、小説が大好きなんです。だから完成したら是非読ませてくださいね!」


 ハミアの言葉に、青年は目を瞬かせ――それからそっと、花がほころぶかのように、微笑んだのだった――

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