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当然の話だが、昼時の食堂は混み合う。
それこそ炭酸飲料を摂取すればげっぷが出るのと同じくらい当然の話だが、敷地内設備の食堂における座席数が、利用者に対して絶対的に足りないからだ。
これもまた当然の話になってしまうが、食堂を利用する生徒の大多数が昼休みにやってくるため、昼時の混雑は逃れられない。
学校食堂は、そのためにあるといっても過言ではない。
敢えて言い切ってしまわないのは、昼休み以外の利用も決してなくはないからである。
本校の食堂の営業時間は午前10時半から午後2時までとなっている。
昼食の時間をとれない教職員などが昼休憩を前に利用することもあるようで、中には早弁をする生徒も居るようだ。
そのため、食堂は昼食のためにあるとは一概には言えない。
まぁ、その話はひとまず置いておこう。
とにかく、昼時の食堂は混み合う。
昼食は静かにゆっくりと食べたい自分としては、あまり利用したいところではないのだが、今日は少し事情がある。
混み合う時間とはいえ、まだ昼休みが始まって間もないためか、席にはまだ余裕がある。
施設内設備の宿命というべきなのか、食堂の席はけっして広くないスペースを有効に利用するため、八人掛けの大きなテーブルを幾つも並べるレイアウトとなっている。
そのため集団で歓談しつつ食事をするというような光景をよく見かけるのだが、自分のように一人で食事をする場合は少し肩身が狭い。
お盆を手に、嘆息しつつ、窓に近い隅の空席を見つけて、そこに陣取る。
既に喧騒は騒音の域に達しているが、そんなものを気にしていては、この場所で食事を取ることなどできない。
皺の出現しそうな眉間を揉み解しつつ、しばし瞑目。セルフサービスの熱いお茶を一口啜り、できるだけ厳かな気持ちで手を合わせる。
「いただきます」
瞼を上げて、箸を手に取る。
今日のメニューは、釜飯セットと呼ばれる、地味過ぎてあまり人気のない定食メニューである。
どんぶりにこんもり盛られた釜飯に、三つ葉とアオサ海苔の浮いた吸い物と香の物、今しがた冷蔵庫から取り出しましたというような冷たくて平たいコロッケと付け合せの千切りキャベツ。
申し訳程度のコロッケの存在感が異様だが、釜飯と吸い物は実に美味そうだ。
こげ茶色によくダシの染み込んだ米はほんのり甘い匂いを漂わせ、混ぜ込んである具もコストの関係か大変慎ましやかだが、ゴボウにニンジン、シイタケ、鶏肉と必要十分といっていい。
こんな言い方をしたら失礼かもしれないが、一介の高校生に食わせるなら十分に及第点だろうと思う。
一口、それを口に運ぶと、みりんと醤油で味付けされた甘辛い風味が口腔に広がる。空きっ腹にはなんとも優しい味である。
それこそ食堂の喧騒すら忘却の彼方に忘れ去ってしまうほどの暖かい味わいだ。暖か味だよ。
一思いにどんぶりの半分ほどを食べてしまった。地味な見た目に反し、なんとも侮れない。
そこで箸休めにいかにもパック入り200g100円みたいな漬物にも手をつける。釜飯のモサモサした中で実に爽やかだ。
別に料理に出来合いのものを使おうが、安物を用いようが、自分は気にしないのだが、それでも組み合わせ次第でそれらは花を添えてくれる。
学生食堂という低コストを余儀なくされている環境の中で、栄養まで考えてきっと苦心されたろうメニューの数々には、こういったいくつもの涙ぐましい努力があるのだ。
生徒会の仕事をこなしていくと、こういった普段は目に付かないことにも触れることが出来る。
生徒会に所属したことは、自分からではないとはいえ、こういう価値観を得られたことには後悔していない。
なにより日常を楽しんで過ごせるようになるのがいい。
こういった発見があるなら、たまには食堂を利用するのもいいかもれない。
「なぁ、向かい座ってもいいか?」
「ん、ああ、どうぞ」
人知れず感動しているところ、テーブルの向かいに誰かがお盆を置いた。
濃い醤油とごま油の匂いと、立ち昇る湯気。どうやら向かいの生徒はラーメンを食べるらしい。
「あれ、なんだ、宇野津じゃん」
名前を呼ばれて思わず顔を上げると、どこかで見たような顔だった。
はて、どこで見たのだったか……少なくともクラスメイトではないが、そうだったような気もする。
「……一条か。久し振りだな」
「久し振りって……一ヶ月くらい前までクラスメイトだったろ。つめてぇな」
「そりゃ、すまなかったな」
「いいっていいって、なんか委員長とか生徒会とか、大変なんだってな」
歯を見せて笑いつつ、軽快に割り箸を割る一条は、どうやら本当に気にしていないらしい。
一条由樹は、一年生の頃に同じクラスだった奴だ。
運動神経がよく、サッカー部に所属しており、一年生の頃から周りに期待される程度には活躍していたと人づてに聞いた記憶がある。
性格も明るく、ノリの良さも手伝ってあまり嫌われないほうの人間だったと思うが、お調子者なのが玉に瑕だ。
思い出すのに少し時間がかかったのは、髪形と髪の色が一年の頃と違っていて印象が変わっていたからだろう。
風に煽られたみたいな形状のまま髪形を維持しているのは、整髪料によるものなのだろう。ただでさえ動きまわる部活なのに、動きのある髪型を維持し続ける必要はあるのだろうか。
個人的に気になるところだが、美味そうにラーメンを啜る姿があまりに似合っていたため、取り敢えず閉口する。
「そういや、食堂で見かけんの初めてだなぁ。いつも食堂に居たっけ?」
「いや、昼飯を用意し忘れたんだ。購買のパンでもよかったんだが、米が食べたくてな」
「あーわかる。俺もパンばっかだと無性にラーメン食いたくなるわ」
言っている意味が良くわからん。
が、まぁそれはほうっておく。きっと聞いても今以上に理解が進むとは思えない。
「そういやさ、気になってたんだけど……宇野津って、山埜井と仲良かったよな? 幼馴染なんだっけ?」
「……ああ、そうだけど、いきなりなんだ?」
「付き合ってんの?」
「……恋人かどうかってことか?」
「そうそう、別にどこまで進んでるのかとか、そういうのはいらねぇからさ」
テーブル中央においてある調味料の中から胡椒のビンを引っ張り出して、ラーメンに振りかけながら、一条はこちらをじっと見つめてくる。
軽薄な印象を受ける緩んだ口元は相変わらずだが、目元は妙に真面目な色を湛えている。
「そんなこと聞いてどうするんだ?」
「……んー、興味本位かなぁ。ほら、山埜井ってさ、地味だけどその素朴っぽいトコ可愛いと思わねぇ? 一年のころは気づかなかったけど、眼がさ、すっげーキレイなんだなーって最近気づいた」
かっと、目の奥が熱くなったような錯覚を覚えた。
どこか得意げに、『お前もそう思うだろ?』と確認するように笑みを向ける一条に、明言できない苛立ちを覚えた。
一条の言っていることは、知っている。それこそ幼馴染だから昔から知っていることではあった。
暖簾のように額を隠す前髪に隠れて目立たない、大きくて綺麗な小羽の瞳。それに気づく人間はほとんど居なかったと思っている。
なにしろ、それを確認するためには、小羽にかなり近づかなくてはならないからだ。
つまり一条は……
湧き上がりかけた感情が何なのかをよく理解もしないまま、ほとんど条件反射で押し込める。
「……意外だな。小羽みたいのが好みなのか?」
「んー、どうなんかな。でも、一応、宇野津が彼氏とかってんなら、遠慮はするかなー」
「なんでだ?」
「けっこう、惚れっぽいんだぜ、俺」
「面白いギャグだな」
言葉に険が乗る。意図してはいないはずだが、口の端が苦く感じて、思わず釜飯を頬張りこむ。
今さっき絶賛した味わいは毛ほども感じない。どうしたことだろうか。
眉根が寄るのを感じる。それを一条はどう思ったのかは知らないが、俺が喋らないのを見るとラーメンを食べ始めたようだ。
そしてかなりのハイペースでスープまで飲み干すと、一条は空のどんぶりの乗ったお盆を手に立ち上がる。
「で、結局どうなのよ?」
打ち下ろされる質問は、一番最初のものに対する催促だろう。
話をそらそうとしたのには気づかれていたようだ。
「……恋人とか、そういうことは考えていない」
「ふーん、やっぱなー」
いかにも面倒そうな顔をする一条には、先ほどとは別の意味で苛立ちを覚えた。が、それもすぐに引っ込めると、
「ま、いいけどさ」
一条は軽薄な笑みを顔に貼り付けたまま食器を返却に行き、そのまま食堂を後にした。
残された俺はというと、味気のない釜飯を意味もなく咀嚼しながら、異様に苦いものを噛み潰したような錯覚に見舞われていた。
別に味覚がおかしくなったわけではない。実際に苦さを味覚で感じ取ったわけではないのだ。
だが、
……惚れた腫れたという感情が無い訳ではない。ただ、それを口にするには、おれ自身が未熟に感じる。
つまるところ、一人の男として、気持ちを口にするということに抵抗がある。
意固地なのだろう。融通が利かないというのはこういう部分なのだろう。理解しているつもりである。
だが、どこまでいっても自信家というものは、自信を保てなければ、何もできないのだ。
それが逆に自分を焦らせているというのも、あるだろう。俺はきっと焦っている。
一条に対して抱いた黒い感情にも、小羽に対して覚える心境の変化にも。
2:末
チャプター2の末です。
どうにも古風な感じですね。
話のテンポをもう少し上げたほうがいいかもしれません。