2-2
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本日の天気、快晴。目に痛いほどの陽光が、寝不足の瞼に熱い。
登校中もかなり億劫ではあったが、校舎に入ってもまだ瞼に鉛のような重さを覚えるというのは、相当かもしれない。
眼精疲労の類だろうから、後で顔でも洗いに行っておくべきか。
「香月、どうかした?」
あまりに不景気な顔をしていたのだろうか。いつも控えめな幼馴染が不安げな顔を向けていた。
「ああ、夜更かししてな。眠い」
「どうせ遅くまで勉強してたんでしょ?」
「……まぁ、そんなとこかな」
半分ほどは当たっているので、そういうことにしておく。
小羽が言いたいことも解る。
俺が夜中まで予習復習に時間を使うことは、小羽も知るところだし、調子がいいときはついつい遅くまで熱中してしまうこともある。
だが、昨夜はどちらかというと、ノリはよくなかった。いや、むしろ必要十分な範囲をまかなうのにもてこずった。
その理由は、よくわからないが、とにかくあまり調子はよくなかった。
いや……理由は、わかっている。
「香月、ひょっとして、ボーっとしてる?」
「……少しな」
どうにもいけない。本格的に睡眠が足りていないのかもしれない。
小羽に気を使わせては悪い。そういう間柄でもないのだが、そうであるが故に変に気を回されるのが落ち着かない。
そのあたりが、小羽はよくわかっていないのだ。
昨日の放課後もそうだ。前もって何か言ってくれれば、予定があるなりに急いで雑務を片付けることもできた筈だ。
「なあ小羽」
「うん、なに?」
「昨日は……悪かったな。もう少し早く切り上げていれば、ゆっくり話も出来たんだけど……」
「そんなことないよ! 私のほうこそ、いきなり何も言わずに待ってただけなんだし……香月が謝ることない」
こんな具合だ。たまに気を使うと、こういう風によくわからないぎくしゃくした雰囲気を生んでしまう。
肩を縮めて俯く小羽の横顔を何気なく見やる。
暖簾のように垂れた前髪のせいで見づらいが、大きな瞳と長い睫毛がきれいだと思う。
ほとんど手入れしていないという黒髪は、昔から肩にかかる程度で揃えているが、寝癖らしいものの一つもない。
几帳面な性格ではないので、本当にただの直毛なのかもしれないが、触れると絹糸のようにやわらかい。
俺も直毛な筈だが、触れた質感がまるで違うのはどういうことだろうか。
上背はいつの間にかかなり差がついてしまったが、十年ほど前は同じくらいだった記憶がある。
比較対象が外見的にほとんど変わっていないせいか、ふとしたときに驚いてしまうことが最近は増えた。
それのせいだろうか。昔ほど素直に、小羽の傍にいられない事にもどかしさを感じる。
「あ、そうだ、香月。そっちのクラスは……最近、どう?」
「どうって? 前にも話したと思うが」
「前は、進級したすぐ後だったでしょ」
「……ああ、そういうことか」
気詰まりを考えていたせいか、小羽の意図をすぐには汲み取れなかった。
要するに、俺のクラスの近況、ちゃんとやれているかという話を聞きたかったようだ。
小羽からそういう話題を振られるのも意外だったので、考えるのが遅れてしまった。
とはいえ、これといって話す事もない。
「別に、一ヶ月そこらでそんなに変わんないだろ。何人か話す相手はできたけど、それだけだな」
「ふうん……」
さすがにクラス委員、生徒会役員と兼務していれば、他の生徒と話さない訳にはいかないし、頻繁に喋る相手もそういう類が増えるのは必然といえるだろう。
それ以外となると、少し厳しい。何しろ、俺のクラスは友達作りを主体にするほど積極的な人間が少ないようで、休み時間も他クラスに比べて静かなものだったりする。
とはいえ、小羽が首肯するのみに留めたおかげで、会話があっさり途切れてしまった。
もとから積極的な性格ではなかったとはいえ、自分だけで自己完結したまま話を広げようとしないのは、話す側としては少し物足りなくも感じる。
俺は小羽の幼馴染だから、それにも慣れているし、話が無くてもそれほど苦痛には思わない。
だが、今朝はどうにも、もう少し喋りたい気分だったのだろう。
「俺からしたら、小羽のほうが心配だな。厳島以外の友達はできたのか?」
「……う、うーん……」
自分が同じ事を聞かれることを考えていなかったのか、小羽は曖昧に笑って小首を傾げるだけだった。
まぁ、期待はしていなかった。小羽の性格を考えれば、それほど善戦しているとは考えにくい。
それだけに懸念していることでもあった。
クラス替えのときは、厳島も同じクラスだからとどこか他人事のように安心していただが、そこから先を考えるとどうにも不安しか覚えない。
はたして小羽は厳島以外の友人と仲良くなれるのだろうか。
小羽は人見知りが激しいほうだと思う。
喋ることが苦手というわけではないと思うのだが、おそらく慣れるのが遅いのだ。
ただ、そういう性分だからだろうか。小羽は、与えられた環境に慣れるため、観察するようだ。
観察してじっくり考える過程で、自分なりの立ち位置や行動指標をまかなっているのだろうと思う。
だたまぁ、行動する頃にはまた環境が変わっていることがほとんどなので、本人含めほとんどの人間は小羽を鈍くさいと言う。
なので、小羽の人見知りも、しばらくしたら無くなることだろう。
「まぁ、厳島みたいなうるさいのが傍にいたら、他のやつも煙たがるかもしれないな」
「そんなことないよ。スノオはもう溶け込んでるし」
「まるで、小羽は浮いてるみたいだな」
「……私も、ある意味、溶け込んでるかも……」
苦笑いする小羽の顔には自嘲するものが含まれていた。確かに、厳島のそれと小羽のそれは異なるだろう。
人当たりのいい厳島のことだから、クラスの一部として不自然でない程度にはなっているのは容易に予想できる。
一方の小羽は、溶け込むというより埋もれてしまっているのかもしれない。
思わず溜息が洩れそうになるが、ふと小羽が思い出したように顔を上げる。
「あ、でも……最近は、後ろの席の子とよく喋るようになったかも」
「へぇ、また厳島みたいに元気なヤツとか?」
意外とは思わない。小羽は人見知りはしても、話が通じないほどではないのだ。
厳島みたいに一方的に好意を持ってくる相手に、いつしか同程度に仲良くなれているのがいい例だ。
「うーん、似てるけど、ちょっと違うかも。たぶん、私みたいなタイプは慣れてないんじゃないかな。ちょっとぎくしゃくしちゃうし」
「合わないヤツに無理に合わせることもないだろ」
「……そうかもね」
困ったように笑う小羽の横顔に、憂いのようなものは感じられない。
小羽の友好関係について、俺が介入できるわけもないので、こればかりは小羽の力で何とかするしかない。
深刻なようにも聞こえるかもしれないが、小羽のクラスには厳島も居るので、それほど心配はしていない。
厳島といえば……昨日の塾の帰り、厳島と話した事を思い出す。そういえば、あいつ、最後名前で呼ばなかったか。
「おっはよーコハ。あとカズッちゃん」
噂をすれば影が立つというが、まるで計ったようなタイミングで後ろから声をかけてきたのは、噂の厳島小雪に相違なかった。
「おはよう、スノオ」
「……元気だな、厳島」
「んっもーう、スノオでいいってばさー。ねー、コハ、何度言っても呼んでくれないよねー」
多くの学生が通るための廊下とはいえ、三人以上が横に並べば通行の妨げになる程度の場所にもかかわらず、厳島の態度は大げさであり、鞄を持ったまま小羽を抱き寄せてぐちぐちと軽口を叩く様は、まるで絡み酒だ。
「スノオ、痛いってば……」
「……じゃ、俺はこっちだから」
「あ、うん、頑張ってね香月」
厳島に絡まれる前に一人離脱する俺を、厳島にのしかかられながらも小羽は小さく手を振って送り出してくれる。
それに苦笑する俺と、ふと厳島と目が合う。その目は、表情が読み取れないものがあった。
胸に引っかかるものを覚えつつも踵を返すと、二人の会話だけが遠くに流れていった。
「……ねぇコハ、カズッちゃんと何話してたの?」
「ええとね、友達のこと……」
「友達? まさか一条のこと? 友達なのー? あれが?」
「もう、スノオは一条君、嫌い過ぎだよ」
どうやら、先ほどの後ろの席の友達のことらしい。
なるほど、一条というのか。
……一条、君?