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2:virtual cross

 2-1



 この世にはどれだけの想いが在るのだろう。

 俺にとって、他者の思いとは即ち埒外に他ならず、誰かが何を思おうと、自分にはどうすることも出来ないし、ああそうかと受け止めることしかできない。

 仮にどうにかできたとしても、それを自分がわかってやれるとはとても思えない。

 誰かの気持ちをわかってやる。なんてのは、思い上がりだと思う。

 考えることは、どれだけくだらないことでも、それは自分ひとりにしか抱けない感情だと思うし、それを他人に理解されるとはとても思えない。

 どれだけくだらなくても、それは真剣な思考であるわけで、それを他人が理解するならば、それ以上に真剣でなくてはならない。

 だから、わかった振りをする。

 それで思考をとめてしまえば、楽なのだ。

 数式に特定の記号を用いて簡略化するように、不特定多数のものを記号に置き換えて考えると、とても楽なのである。

 だから俺は、深く考えずに、ありとあらゆるものに蓋をして、真剣に考えることを諦めて、レッテルを貼る。

 理解を簡略化すれば、どこかで皺寄せがやってくる。

 きっとどこかで何かが噛み合わなくなる。

 認識が、想いが、往く道、その先、齟齬が生じて、どこかとてつもなく遠くまで。

 考えたくもない。それは億劫なほどに、大きな差異が生じてしまっているのかもしれない。

 まるで立体交差のように、同じ場所を通っているように見えて、まるで見当違いの方向、まるで別の領域を通るように。

 そういうふうに、お互いをわかっているようで、俺たちはたぶん、まったく別の認識を抱いている。

 それは少し、嫌な部分でもある。




 ライトブルーに錯覚するほどの蛍光灯の明かりとホワイトボード、白い机、壁紙、無機質なばかりの空間に居座ること数十分。

 ようやく開放されてガラス張りのドアから外に出ると、すっかり夜になっていた。

 腕時計で時刻を確認する。今しがた学習塾から出たため、終了時刻は心得ているつもりだったが、現在時刻を定期的に確認するのはクセのようなものになっていた。

 21時45分……なるほど、陽が落ちているのも当然である。

 などと、具にもつかないことを考えつつ、学生鞄を手に帰路を急ぐことにする。

 帰宅するころには22時を回るだろう。夕飯のことを考えると、勉強詰めで空いた腹腔がゆるく抗議するようだった。

 自宅までは徒歩になるのだが、急ぐ気持ちとは裏腹に足取りは重い。やはり、昼から時間を空けすぎているのは問題だろうか。

 我が校の校則に買い食いに関する記述があったかどうかは覚えていないが、遵守するものは少ないだろうと思う。

 たとえ生徒手帳にそれが記載されていようとも、下校途中に買い食いする学生を見かけたとして、それをわざわざ咎める教職員は居ない。

 俺の通う学校はそのあたりが割と寛容なのである。

 とはいえ、仮にも末席なりとも生徒会に所属するならば、全校生徒の規範たらねばならないわけで、自分で言うのも難だか生真面目に公序良俗に反するような行為は控えねばならない。

 しかし、そうなると、学習塾から帰宅するまでの道中、胃袋の電池切れを解消する策を講じなければならなくなる。

 やはり一時帰宅し、食料を確保してから塾に臨むのがいいのだが、生徒会の活動を考えれば、その時間も少なくなってしまう。

 スケジュールはやはりシビアなものになるが、不可能ではない。

 生徒会に入ったのは、ほとんど成り行きだったような気がする。

 自分にはよく解らないことだが、クラスメイトが言うには、俺はどうやらそういう役割が似合うそうだ。

 まったく信用できないことではあるのだが、クラス委員に選出され与えられた役割を最小の時間と労力で最低限こなしているうちに、どこかで担任含むクラスの信頼を得ていたらしく、生徒会に入会することを勧められた。

 だからというわけではないが、話を聞いてみればちょうど欠員がでたところで、猫の手でも借りたいとまで言われれば行かぬわけにもいかない。

 生徒会の仕事も、大きく見ればクラス委員とそれほど変わらない。規模は大きいし仕事量も多くはなったが、面倒ではあっても不可能ではない。

 これもやはり自分で言うのも変な話だが、生真面目な人間ならだいたいこなせる内容なのだろう。

 面倒か。

 考えて、ふと足を止める。横断歩道の信号がちょうど赤になった。

 面倒にも種類はある。

 大きく分けて二つ。解決が容易いものと、そうでないもの。

 解決が容易いものは、その量が多いため全てを終えるのに時間がかかるもの。事務作業や単純作業などがこれにあたる。

 解決が容易でないものは、明確な回答が無いもの全般である。

 前者は面倒とは言っても、自分にとっては苦ではない。解決そのものは簡単であるし、その達成状況は何よりの励みになる。

 だが後者は、何を選んでも、選ばなかったほうの回答が気になってしまい、釈然としないものを残すのが厄介だ。

 そして多くの場合、そこには不正解のほうが多い。

 確実でないものは、あまり好きではない。

 統計だけで生きているわけではないが、不確定と確定が選べるなら、後者を選択する。

 だからいつも確実に近いものを選ぶことにしているし、可能性の低いものには期待しないし、選ぶこともしない。

 それで失敗が無いかというと、そういうわけにもいかない。失敗の無い人間など居ない。

 それは解っている。だが、それでも、考えてしまう。面倒だと。

「お、見覚えある後姿」

 いきなり後ろから声をかけられた。

 それほど深く感慨に耽っていたとも思えないが、車通りのほとんど無い横断歩道前で声をかけられると、少し驚く。

「やっぱり、カズッちゃんだ。今まで生徒会?」

 振り向くと、見覚えのある制服の女子が居た。

 それ以前に、俺のことをこう馴れ馴れしく呼ぶ人間はあまり多くない。

「厳島か。いや、塾の帰りだ」

「ふーん、遅くまでごくろーさん」

「お前は……夜遊びか? 制服のままは感心しないな」

「ぶっ、ちげーし。補導されるっつーの」

 憎まれ口のような緩い口調で、しかし喉を鳴らすように微笑みながら厳島は隣に立って信号を待つ。

 癖がかった紅茶色の長い髪がふわりと揺れる。短くしたスカートといい、学校の校則が寛容とはいえ、あまり感心はしない。

 細かいことを言えば、学生鞄にあれこれ装飾するのも、サイドバッグも生徒手帳と照らし合わせるとグレーを通り越すだろう。

「あたしはバイト。ついさっきまで肉体労働でしてよー」

「そうか」

「お、食いつかないねー。校則がどうのとか、そういうことは言わないわけ?」

 ずずい、と小首をかしげるように覗き込んでくる厳島は、少し慎みというものを持ったほうがいい。

 彼女の言うことも尤もだが、それを問うほど野暮ではない。

 校則では申請が必要だが、それをせずにアルバイトに勤しむ生徒は多い。そもそも申請が必要であることすら知らない生徒も多いだろう。

「事情があるんだろ。遊び歩いてるよりはいい」

「……ふーん」

 明確に質問に対応したつもりはないが、厳島はどこか満足げに口の端を吊り上げて視線を外して横断歩道の向こうへと向き直った。

 何を合点したかは知らないが、満足させるために言ったわけではない。いらぬ波風を立てる必要性を感じなかっただけだ。

 この厳島小雪という人物は、少し苦手だ。

 外見や物腰もそうだが、時折こうして不可解な物言いをするのが、なんとも面倒でならない。

 何が面白いのか知らないが、こうして俺や小羽にちょっかいを出すのが楽しいらしい。それ以上のことは、俺にはわからない。

 何を考えているのかわからないし、今のところわからなくても何の問題もない。

「今日さ。バイトの時間まで暇だったから、帰りにコハ誘おうと思ったんだけど、断られたんだよねー。知ってた?」

「……知るわけが無いだろ。いきなり何の話だ?」

「いやねー、てっきりカズッちゃんと一緒に帰りたいのかなーなんて思ってさ。それ以外ないじゃん?」

 俺も厳島も前を向いたまま、車通りの無い横断歩道前で横に並んだまま、会話を続ける。

 というより、ほとんど厳島が喋っている。俺はこの女があんまり得意ではないから、どう応えたものかわからない。

「ま、いいんだけどさ。あんたにとっちゃ、どちらにせよいつも通りのことなんだろーさ。でしょ?」

「だから、何の話だ?」

「……たまには、真剣に向き合ってあげたら? って話。これでわかんなきゃ、その頭にはメロンパンが詰まってるんだね」

 隣に目を向けると、ちょうど皮肉げに口の端を吊り上げた厳島と目が合った。

 笑みのようにも見えるが、おそらく高い確率で、その目は笑っていない。

「よーく考えたらさ。アホなことやってるよね」

「何が?」

「この信号さ。待つ必要なくない?」

 言うが早いか、厳島は赤のままの横断歩道を、左右から車が来ないのを確認してさっさと渡ってしまう。

「おい、厳島」

 思わず引き止めようとしてしまったのは、自分が生真面目だからだろうか。

 それとも彼女の言動の不可解さが気になってしまったからだろうか。

「だぁらさ、スノオでいいってば」

 既に渡り終えた歩道の向こうで、億劫そうに前髪をいじりつつ、不意にこちらを向き直ると厳島は、

「じゃあ、また明日ね、カズキ」

 にこりと微笑んだかと思うと、すぐに踵を返して足早に歩き去っていった。

 厳島のそんな、人懐こいいつものそれではなく、ひどく上品に微笑んだ顔を見たことがなかったせいだろうか。

 横断歩道の信号が青に変わったのに、気づくのが遅れてしまった。

 慌てて歩道を渡りつつ、彼女に言われたことをなんとなく思い出してしまう。

 別に、真剣に考えていないわけではない。




チャプター2では視点が小羽ではなく、香月君です。

まぁ、なんというかよくある構成ですよね。

相変わらず短時間クオリティです。

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