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風がさらさらと鳴っているように聞こえるのは、たぶん、校内に植えつけられた桜の梢がささやくのと、私の頬を撫でたのが重なったからだろう。
私からすれば背の高い靴箱がずらりと居並ぶ生徒用玄関から校門までは目と鼻の先だけど、その周囲には塀と立ち並ぶように桜の木が等間隔で植えつけられている。
四月後半ともなると、華やかな淡いピンクの花弁はもうほとんど終わっていて、若草色の初々しい葉っぱに変わっているのだろう。
とはいっても、西日の茜色に染め上げられる時間ともなると、それも曖昧になっている。
それが残念というわけではなかったのだけど、ふと洩れた溜息に思わず苦笑いが浮かんでしまう。
玄関のすぐ先、その隅っこの雨どいの近くに背中を預けて、どれほど立ち尽くしていただろうか。
人の出入りの多い場所だから、邪魔にならないよう隅のほうにいたけど、すぐに人通りは消えていった。
少し考えれば、その理由は簡単だ。
帰宅する生徒はすぐに帰宅してしまうし、部活に行く。生徒用玄関が人で溢れる時間なんて、ほんの少しなのだ。
こんなに寂しい場所なら、もう少し場所を選ぶべきだったろうか。
とは思っても、ここで時間を潰す理由がある以上、それも無理な話ではあるのだけど。
「遅いな……」
口中で何度も噛み潰した言葉を、ついに口に出してしまう。
自分にしては辛抱強く待っていたと思う。それが免罪符とばかりに、思わず、ホントに誰を恨むつもりもなかったのに洩れ出てしまった。
部活動に従事しているわけでもない私が、下校時刻からこの場所に陣取っていたのは、自分の勝手な思いつきから始まったことなので、責任は自分にあるわけで、誰が悪いかといわれたら私しか居ないわけだけど……
それでも、誰かのせいにしてしまいたくて仕方ない。それくらいには軽く後悔していた。と思う。
このためにスノオと一緒に帰るのも断ったのだ。悪いとは思ったけど、スノオはぜんぜん気にしてないみたいだった。
明日にでも、なにか埋め合わせが出来るといいな。
ざらざらの校舎の壁にもたれかかったまま、茜色の空を見上げると、また溜息が洩れた。
本当に遅い。ある程度覚悟していたとはいえ、想像以上だ。
ああ、明日のお弁当どうしようかな。
いつもなら、スノオと一緒に帰る道すがらで、行きつけのスーパーでお安い卵とお手軽なお野菜を数点物色して……夕飯の献立をぼんやりと考えながら、学校の授業で溜まったストレスを発散するためにお財布を軽くシェイプアップしてしまうところだろう。
でも、一日くらいは何とかなる。
お弁当の内容が寂しくなったところで、夕飯のバリエーションが狭まったとして、一日くらいは、これまで培ってきた経験でなんとかしてしまえる。
そう確信したからこそ、今日はちょっと冒険してみようと思ったのだ。
しかし、それはつまるところ……
「小羽か?」
「あっ」
気がつくと視界の端に見慣れた人影が入り込んでいた。
ぼんやりと見上げていた空は、いつの間にか赤紫色から青みを帯び始めていた。もう人の顔の判別も怪しくなってきたかもしれない。
でも、
「……遅かったね、香月」
「そうなのか?」
「そうだよ。生徒会ってこんな時間までやってるんだね」
近寄ってみると、見知った幼馴染の顔はいつもよりちょっとだけ怪訝そうに眉間を硬くしていた。
たぶん、私がここに居る理由が解らないんだ……と思う。
「一緒に帰ろう」
「ん、ああ……待ってたのか?」
「うん、まあね」
確認するみたいな香月の言い方にも慣れているので、なんでもないことのように応える。
本当のところはかなり待ったのだけど、そんなことをわざわざ言うことでもない。
香月の口調、というか間の取り方というのは、独特だと思う。
あまり社交的でない私が言うのはなんだかおかしいけど、応対がまず基本的に受けから入るのだ。
たとえば、最初に何か訊かれたことから応じ、その後に考えていたことを話す。そういう感じなので、たまに観点がずれているように見えるのだ……と思う。
香月の場合、主観ではなく相手基準の意見を尊重するので、基本的に問い返す形になるみたいだ。
でもたぶん、こういうもって回ったような会話の方法をとるのは、私に対してだけなんだと、最近気づいた。
それは私を特別扱いしているのか、それとも……単に、子供扱いしているだけなのか、それはわからない。
ただ、背は随分離されてしまったけれど、歩幅は合わせてくれるくらいには、まだ近い距離にいるのだと思う。
「生徒会のお仕事って、大変?」
「……まだ、そういう実感は湧かないな。ただ、前の部活ほどほど体力を使うことはないのは確かだな」
「あはは、それはそうだよ。生徒会がどういうお仕事してるのか知らないけど、活動の前にストレッチとかはしないでしょ?」
「俺はしてるんだが……」
「そうなんだ」
生徒会室で制服のまま腿の筋や二頭筋をほぐしている香月の姿を想像して、思わず笑ってしまう。
香月は中学の頃は陸上部に所属していて、高校生になっても陸上を続けていたのだけど、怪我が原因でやめてしまった。
これだけだと、深刻なことのように聞こえるかもしれないけど、本人はそれほど陸上一筋というわけでもなくて、適度な運動のために陸上競技を選んだという話を聞いたことがある。
それに、怪我が原因とはいっても、深刻な後遺症とかそういうものはなくて、今だって朝早くから数キロ単位でロードワークを欠かさないらしい。
私が早起きしてお弁当を作り続けているのも、香月のロードワークに影響されたというところもある。
「それで、なんでいきなり待ってたりなんかしたんだ? 連絡くらいすればよかったろ」
唐突に、香月の声が少し硬質なものを帯びた。
迷惑だったろうか。それはそうかもしれない。お互いに携帯くらいは持っている。連絡すれば、融通の利かない香月でも幼馴染のよしみで私のわがままをきいてくれたりもしたかもしれない。
「うん、連絡しなかったのは、ゴメン。でも、たまには一緒に帰ろうかなって……」
目が合わせられない。嘘ではないといっても、後ろめたい事がないかといわれれば、ちょっと気になるし。
宇野津香月は、生真面目な人間だ。と思う。
仮に彼の携帯に事前に連絡を入れておいたらどうだったろう。
たまには一緒に帰ろう。そう言ったら、彼はきっとこう答えるだろう。
遅くなるから、先に帰っていろ。
それでも食い下がったら、香月は、不本意ながら生徒会のお仕事を急いでこなして早めに帰る努力をしてくれるかもしれない。
それでなくとも、入りたての生徒会の活動時間中に、香月を不安にさせるようなことは、できる限りやりたくなかった。
「……今度からは、連絡しろよ。寒くなかったか?」
「もう春も終わりかけだよ? もうすぐ五月。連休も間近だよ。夏物を選ぶくらいの季節なんだから、平気だよ」
「そうか。でも、外で待つのはよくないから、今度から図書室とか、時間の潰せる場所にしたほうがいいぞ」
「……うん、そうだね」
頷くと、なんだか言いくるめられたような気分になってしまう。
というか、たぶん、釘を刺されたのだろうと思う。
私を気遣って言ってくれたのだと思うけど、私の側からすると、連絡前提ということになると、先ほどの懸念が浮き上がってくる。
私の思い過ごしなのかもしれない。そうは思っても、幼馴染として培ってきた経験が、もう少し譲歩の必要性を推してくる。
たぶん、私の拘りを香月はわかってはいないと思うし、わかってはくれないと思う。
それだけに、私の下手な交渉が通用するとも思えない。でも、私も引き下がるわけにもいかない。
「あのさ、香月」
「ん?」
信号待ちに足を止めたところで、思い切って面と向かって切り出す。
私からすればそれなりに勇気を奮わせたつもりだ。
「私、あんまり香月の邪魔はしたくないんだ。メールとか電話しろって気持ちはわかるけど、そうしたら香月、無茶しちゃうかもしれないし……それは、私は嫌だから……わかるかな?」
「……ああ」
私の言葉を真正面から聴いていた香月の視線が、歩行者信号、腕時計へと順番に動く。
あれ、なんだかおかしい。ちゃんと話は聞いてくれたはずだけど、香月は本当にわかってくれているのだろうか。
「あの、香月……」
「悪い、もう行かないと」
腕時計を見る香月の目元がいつもより硬い。
どういうことだろう。そう考えて、辺りを見回すと、いつの間にかかなりの距離を歩いてきていたことに気づく。
私の家はこの信号を渡らず、右に進む。香月も同様のはずだが、そういえば、思い出したことがある。
香月は進学塾に通っているのだ。
ここから先は道が違う。香月は塾へ行かなくてはならない。それものろまな私の歩みに合わせていたからあまり時間に余裕がない。
そんな話は聞いていないが、香月の態度がそれを如実に語っている。
「すまん、その話は、また今度たのむ」
「あ……」
急ぎ足で信号を渡る香月の背を、呼び止めようとして、思いとどまる。
今しがた自分で言った事を、破ろうとしている。それに気づいたのだ。
そして、知らぬ間に香月の足枷になっていたことにも同時に気づいて、余計に口が重く何も言葉に出来なかった。
遠ざかる大きな背中に、私は言い知れぬ不安を覚えた。
このまま、今、目にしている場面と同じように、これまでの絆が離れてしまうような気がして、どうしようもない寂しさが胸を突いた。
こんな気持ちを抱きたくなかったから、あんなに待ったというのに。
1:末
コンセプトとしては、二時間以内にどんな状況でも週に一度は書くこと。
そしてどんな形であれ完結させることが目的です。
たぶん