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 7-4 おしまい


 ざらざらと雨音がうるさかった。いや、それさえなければ、ここにはいやな沈黙だけがあったと思う。

 私は相変わらず吐瀉物の臭いの残る口元に、下着姿のままで、洗面所から動けずにいた。

 聞き間違いだろうか。

 だってそうだろう。外を見れば土砂降りとはいえ、まだ明るい。くわえて今日は平日だ。

 あの生真面目な香月の声が聞こえるということは、平日の日の高い時刻に学校をサボって私の家の近くにまで来ているということになる。

 そんなことがありえるとは思えない。

 携帯の電源は昨日から切ったままだ。誰とも喋りたくなかったし、喋れるとは思えなかった。

 だから、この状況を本人に確認して幻聴かどうか確認を取るなんてことは出来ないのだ。

「小羽、聞こえているか?」

 玄関の扉越し、外の土砂降りにも関わらず、香月の声は、大声でもないのによく聞こえた。

 家の中ががらんとして静かだからだろうか。

「聞こえていたら、返事をしろ」

 強い口調。いつもと変わらない、優しいのにそれをうまく言葉に出来ない不器用な話し方。

 なのに、今日は何か、切羽詰っているように聞こえる。

「頼む。小羽、お前の……声が聞きたい」

 縋るような、言葉だけ泣いてるみたいな、さびしげな声。香月の声なのに、こんなに寂しそうな言葉は聞いた事がなかった。

 おもわず、洗面所から出て、玄関まで歩み寄る。

 香月が心配な一心で、心臓が鳴動するままに玄関の取っ手に手をかけようとして、自分の手が震えている事に気づく。

 ああ、ダメだ。

 そう思った瞬間、体が石になったみたいに動かなくなった。

 私が玄関のすぐ手前にやってきたことは気づいたのだろう、香月が息を呑んだ気配を察したけど、

 私はそれ以上、何も出来ない。ただ、体中が寒気に襲われたみたいに震えて、やっと開いた口からは、

「か、帰って……お願い」

 拒絶の言葉。

 それくらいしか思いつかなかった。

 扉を開けようとした瞬間に私の体を動かなくしてしまったのは、恐怖だ。

 今は誰とも話すことはできそうにない。そこに生じるのは、誰かを裏切る、悲しませる恐怖。もしくは、自分自身に降りかかる恐怖だった。

「……小羽、体調、悪いか?」

「帰って……」

「飯は、ちゃんと食ったか?」

「……お願いだから、今は、放っておいてよ」

 声が震える。乾いた筈の腫れぼったい瞼の隙間からぼろぼろと熱いものが零れ落ちる。

「話したいことがある。入れてくれないか?」

「駄目だよ……無理だよ」

「頼む」

「……」

 ゆっくりと、よく聞こえるように玄関越しに伝えてくる香月の声に、私はもう嗚咽で言葉がうまく口から紡げなくなって、その場にへたりこんでしまう。

「……わかった。じゃあ、そのまま聞いてくれ。本当は面と向かって言いたかったけど、仕方ない」

 私の言うことなんて聞いてないみたいに、香月はその場を動こうとしない。

 それがとても辛かった。いつもと変わらない不器用なままの優しさが、私を慰めようと元気付けようとしているのが解ってしまうのが、今の私には沸騰した熱湯をかけられるように痛い。

 どうして、こんな時に香月は、私の前に現れたりするのだろう。

 私は、もうこんなにもどうしようもなくなってしまった。

 私が不用意なことをしたせいで、一条君も私自身も、修復不可能なほど傷ついてしまった。

 私は、バカだった。私がもっと賢く振舞っていれば、一条君も、私も、そしてきっとスノオだって、傷つかずに済んだかもしれなかった。

 私はもう、あの人たちの傍にいちゃいけないんだ。ましてや、香月の傍になんてもういられない。

「小羽、俺たちもう随分、長いこと幼馴染をやってるよな。ずっと兄妹みたいに育って、いろいろあったけど、俺も小羽も、あんまり変わらないまま今までやってきたよな……」

 懐かしい。香月の懐かしむような声が、頭の中でぐるぐる回って、随分昔のことを思い出す。

 最初のころはもうあんまり憶えていない。けど、いつも私が、香月の後を付いて回って、煙たがられていたのは思い出せる。

 小さなころは今よりも髪が短くて、今よりずっと鈍くさくて、今より物怖じしなくて、つい人をじーっと眺めてしまう癖があった。

 昔はそれほどでもなかったけど、昔から私の目はぎょろりとしていて、じーっと見つめるとみんな気味悪がってすぐ目を逸らしていた。

 香月もそうだった。でも、近所でずっと本ばかり読んでいた香月について回っていた私は、隙あらば香月の顔をじろじろ見ていた気がする。

「中学のころは、部活やら何やらで、あんまり時間合わなくなって……でも、相変わらず朝も帰りも付いてきたよな」

 中学のころは、あんまりいい思いではなかった気がする。

 多感な時期なのも手伝って、自分のギョロ目を気にし始めた私は髪を伸ばして隠すことにしたのだ。

 香月のことをじっと見つめることも、なんだか気まずくなってやめてしまった。

 でも、一緒にいないと落ち着かないとは思っていた。

 思えば、その頃からきっと私は……

「いつからだったか、小羽が髪を伸ばしはじめた時は、ちょっと残念に思う半面、ホッとしたよ。俺だけが、小羽の目の色を知っている。そう思ったからな。たぶん、その頃の俺は気づいてなかったかもしれないけどな……でも、気づく奴は気づくんだよな」

 気がつけば、香月の懐かしげな言葉に、私は声を失い、泣くことも忘れていた。

 その言い回しだと、私が勘違いしてしまう。私が望む方向に、都合のいい方向に考えてしまいかねない。

 でも、そんな、香月が言うほど、私は綺麗ではない。

 やめて、それ以上、言わないで。今の私に、それ以上は、耐え切れない。

「もっと、一人前になってからと思ってた俺が間違っていたのかもしれない。だから、いま言う」

 やめて、

「もうお前を放って置きたくない。小羽、俺とずっと一緒にいてほしい」

「もうやめてよ! やめて!」

 聞き終える前に、それをかき消すみたいに、大声を張り上げていた。

 感情が溢れ出して、歯止めが利かなくなっていた。

 自分で思っていた以上に喉が痛かった。

「なんで、そんなこと言うの!? なんで今……! 私、も、私もそうだけど……ずっとそう思ってたけど! 駄目なんだよ、今はっ!

 怖いんだよ。今、香月を前にするのが。顔を見るのも、触られるのも、怖いの! それに、それに……私もう、キレイじゃないし、香月に合わせる顔なんて……」

 玄関のドアに手を叩きつける。香月の胸板にそうするかのように。

 でも最後のあたりはもう立っていられなくなって、再びへたりこむ。

 もう私は、香月にふさわしくなんてない。私がどれだけ昔から想っていても、もう届きはしない。

 現に今だって、近くに香月を感じるだけで、手が震えてしまう。

「……顔を見たい」

「だめだってば……」

「……じゃあ、見せたくなったら、開けてくれ。待ってるから」

「だめ、だよ……」

 ごつりと、玄関に何かがぶつかる気配がする。

 ドアに手を這わせ、力なく項垂れる。

 こんなに近くに感じるのに、私の手は依然として男性という存在に恐怖している。

 こんなに近くに感じるのに、たった数センチの玄関のドアが、とても離れているように感じた。

 ずっと、永遠に、こんな距離が続くのなら、私なんて最初から居なければよかったのに。

 そんなことを考えると、ずきりと胸が痛むのは、やっぱり、私はちゃんと生きていて、ここにいるのは私の愚かしい行動の結果で、死にたいと思うほどに、胸が物理的ではない苦しさを訴えるのは、

 やっぱり私はずっと昔から、香月が好きだったのだ。



 どれくらい時間が経ったのだろう。

 着ている制服が重く冷たいのは土砂降りの中を全力疾走したのと、人の家の玄関の真ん前で、雨水が跳ねるのも構わず座り込んだからだろう。

 なるほど、身震いで全身に寒気が奔るのを覚え、どうやらそのまま居眠りをしていたのに気づくと、ずいぶん馬鹿な事をやっていると思い至った。

 俺は、結局のところ、振られたのだろうか。

 身震いするほどの寒気に肩を抱くと、指先がふやけて感覚が曖昧だった。

 これは全身を洗濯する必要があるかもしれないな。

 辺りはもう暗かった。

 何をやっているんだろう、俺は。

 傷ついて、弱りきっている幼馴染の家に押しかけて、さらに追い詰めるようなことを言って、あまつさえ家の前に居座って、気がつけば夜中だ。

 学校も勝手に早退して、塾もサボってしまった。そういえば生徒会というものもあった気がする。

 最近のスケジュールは狂いっぱなしだ。狂いすぎて、どこから手をつけていいかわからない。

 明日から最悪な気分で、学校に行くことを考えると、なんとも憂鬱な気分ではあるが……

 不思議と今の気分はといえば、そこそこよかった。

 今にも風邪を引きそうなくらい寒いが、これは熱いシャワーでもくぐれば、すぐに晴れることだろう。

 まぁ、肝心の出来事については、どうにも失敗したようだが……それも、覚悟してはいた。

 なんといわれても、俺はもうこれ以上、小羽を悲しませるようなことはしないつもりだ。

 俺が傍にいることが苦痛だと思うのなら、俺は小羽の前から姿を消す準備をしなくてはならない。

 とはいえ、何からはじめればいいだろうか……ひとまず、そう、転校の手続きあたりから調べなくてはならないか。

 そんなことを考えつつ、ぐっしょりと重くなった体を起こして、立ち上がる。と、

 背後からがちゃりとドアの開く音がした。

 まさか、と振り返ると、

「もう、やっと退いてくれた……」

 むくれたように見上げてくる大きな瞳は腫れぼったい印象があったが、それでも自分のよく知っているものには違いなかった。

「こは、ね?」

「ドアの前で寝ちゃうんだもん。開けられなくて困ったよ」

 控えめに微笑む小羽に現実味が沸かなくて、声がこもってしまう。

 さらりとこぼれたその前髪に触れようとして、小羽が身を硬くするのがわかった。

 ああ、そうか。彼女なりの譲歩なのだと理解した。

「すまん、もう帰る」

「え、ま、待ってよ。ビショビショじゃない。タオル、あるから……」

「でもな……」

 何か言おうとしたが、その前にバスタオルを頭にかけられ、若干乱暴に拭かれる。

 体格差のせいか息苦しいので、自分でバスタオルを掴むと、自然と手が触れてしまう。

「あ、悪い!」

「……平気。香月なら、平気だから」

 力なく微笑み、バスタオルと一緒に指を絡めてくる小羽の指先は、ふやけた俺の手を強く握り締めてくる。

 頭から被ったタオルの隙間から見える小羽の瞳は、何かを決意したようにじっと俺の顔を見つめている。

 大きくてきれいな瞳は、昔とちっとも変わっていない。

 白い頬が、薄く淡い唇がなぜかとても愛おしく、絡めた指を引くと、そのまま抱き締めていた。

「……服、濡れちゃうよ……」

「ごめん」

 一言断って、唇を重ねる。怯える様に震えていた小羽の肩が、安堵したように弛緩した気がした。

 すぐに手を離すと、小羽は俺の胸を押し出すようにして離れると、恥ずかしげに顔を俯かせる。

「……着替えていくでしょ。あと、あのね……ポトフ、作ったから一緒に食べよ……」

「ああ、たのむ」

 そして小羽は、目を合わせないまま、しかし俺の手をずっと離さず、手を引いて家に招きいれた。

 ふと、開いた玄関から外を見ると、もう星が出ていた。

 足を止めた俺につられる様に外を眺めた小羽も同じように思ったらしい。

「……きらきらしてるね」

「そのままだな」

 顔を合わせて、ドアに手をかける。

 その手が少しだけ止まると、きょとんとした小羽が小首を傾げる。

 はにかむその大きな瞳には、夜空にきらめく星空がきらきらとちりばめられているかのようだった。







 おしまい


くぅ~疲れましたwこれにて完結です。

というわけで、長々と続くかに思われたお話ですが、一身上の都合で急遽、チャプター7で全て完結という強行軍になりました。

もともとはモチベーションを維持するためだけの一時間一説企画だったのですが、思いのほか苦痛だったり、他にやりたい事が出来たりで、あんまり意味は無かったんじゃないかと思ったりもしておりましたが、いざ終わるとなると、なかなかこんなもんでも寂しいものがあるものでして……

最後の最後がものすごい唐突な感じでございますが、なんというか、無理やり感が否めないのは、そもそも題名をよく考えずにつけたのがそもそもの原因だったりもします。

わざわざ題名に持ってく必要もなかったとは思うのですが、そこはそれ様式美ともうしますか、そんな気がしただけと言ってしまえばそれまでです。

まぁ、あれこれここでグダグダ言っても仕方ないので、これにてこのお話は終了と致します。

色々と至らない部分、時間制限のある一発書きという目も当てられないような散文ではございましたが、こんなもんでもお気に入りに入れてくださった方もいるらしいとの噂で、喜び半分、申し訳なさもあります。

しばらくはこちらでの活動は減ると思いますが、またちょこちょこ文章はあげると思うので、そちらもよろしければお付き合いくだされば光栄でございます。

さてさて、起起起起……ときて終わりの終わりで承転結という具合に大急ぎで回ったような物語ではございましたが、いかがでございましたでしょうか。

ほんの少しでもお楽しみいただけたならこれ幸いでございます。

というわけで、みろりじでございました。

またどこかでお会いいたしましょう。

ではでは

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