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 四時限目の授業終了のチャイムを合図に、教室は騒がしさと開放感に包まれ始める。

 教職員の存在と、閉め切った教室の作り出す緊張感と閉塞感は、いくら慣れても息苦しさのようなものが拭えない。

 特に私みたいな鈍くさい人間には、授業内容を頭に詰め込むことに精一杯で、いつも微熱に侵食されてるみたいに感じる。

 頭に血が上って茹ったような気分になることはある。それに似ている。

 それだけに、昼休みに突入する合図であるこのチャイムの与える開放感は、無意識に嘆息させる程度には私を救済してくれる。

 緊張で凝り固まったような脳細胞を揉み解すように大きく深呼吸しつつ、勉強道具を片付けていると、机のすぐ向かいにスノオがやってきた。

「おつかれ、コハ。ご飯、一緒に食べよ」

「うん、どこで食べよっか?」

「ん、ここでいいんじゃない? うるせぇのも居ないし」

 言うが早いか、スノオは私のすぐ隣の席から椅子を拝借して、私の机の上にお弁当を広げ始める。

 即断即決、快活明朗。スノオのこういうさっぱりしたところは、羨ましい。

 口調がちょっと荒っぽいのが玉に瑕だけど、きれいな紅茶色の髪やぱっちりとした瞳、人懐こい性格は、そんな俗っぽい所も愛嬌にしてしまえる。

 仮に私がスノオと同じ行動に出ても、たぶん、顰蹙を買うだけだろう。なんとなく、そう思える。

 苦い笑みを飲み込み、私もお弁当を取り出す。

 一足お先に広げたスノオのお弁当は、薄焼き卵や海苔を使ってキャラクターに見立てたデザインを施された内容の……まぁ、いわゆるキャラ弁というものだった。それもかなり気合のこもった作と見える。

「わ、可愛い。いつものことだけど、スノオのすごいね」

「んー……でも、高校生になってまでやられると、ちょっとねー。いやまぁ、慣れたってトコはあるかもだけど」

 スノオの口の端が変な風に歪む。微妙な顔をして、珍しく言葉を濁すのは、照れているのだろう。

 彼女のお弁当はほぼ毎日、こういった手の込んだものに仕上がっている。それは並大抵の労力ではないと思う。

 それはスノオも解っているだろうし、それだけのことを朝早くからしてもらえるということがどういうことなのか、理解もしているからだろう。

 何より、スノオは、このお弁当を作ってくれるお母さんが大好きなのだ。

「つーかさ、お弁当ならコハもすごいじゃん。ザ・手作り」

「……そういわれると、人聞きが悪いような……」

 存在感を主張するスノオのお弁当箱から自分のお弁当に目を移すと、劣等感というか罪悪感のようなものを覚えてしまうのは我ながらちょっと卑屈過ぎるだろうか。

 ただ、言えるのは、間違いなく私のほうが手はかかっていない。

 私のお弁当は、確かに早起きして自分で作ってはいるけど、本格的に私の手が入っているのは卵焼きくらいのものだ。

 他のおかず類、肉巻きポテトとクリームコロッケは冷凍食品だし、混ぜご飯のおにぎりも市販のものだ。

 一応、色取りと栄養バランスを考慮して、プチトマトとレタスを添えているけど、こんなものは手が込んでいる範疇には入らないだろう。

「ふーん、で、今日のポイントは?」

「え? えーと……コロッケと肉巻きポテトでパサつくおかずが多いから、混ぜご飯は梅しそ風味でさっぱりさせて、プチトマトも酸味にどうかなって……」

「ほーら、ちゃんと考えてるじゃんよ。自分で作るだけでエライよ。うちは、起きれないもん」

「こればっかりは、習慣になっちゃったというか……」

「へー、何から始まったんだったかなー?」

「……もう、知らない」

 口の端を吊り上げて一点攻勢に出たスノオの話運びに、思わずムッと口をつぐんでしまう。

 その話は、前に話して、物凄くからかわれたから、二度としたくないのに、そういう方向に話を向けてしまうスノオは本当に意地が悪い。

 まぁ、たぶん、からかうだけのつもりで言っているのだろうけど、今の私にとっては、あんまり面白い話ではない。

「あー、ごめんってば。お詫びにピーマン炒めを進呈するからさ」

 調子よさげに私のお弁当の蓋に、アルミカップに盛り付けられたピーマンとジャコの炒め物が乗せられる。

 微妙に色づいているのは、たぶん、醤油で風味付けしてあるんだろう。とてもおいしそうだ。

 スノオのお弁当は見た目に可愛いだけのものではない。味も確かなのだ。でも、これはたぶん、

「……ピーマン、まだ苦手なの?」

「うっ、べ、べつに、そういうわけじゃないけどー」

 スノオはにこにこしたままだけど、その目は明らかに泳いでいた。

 高校生にもなって実に子供っぽい好き嫌いが、スノオの場合はかなりいっぱいあるみたいだけど、彼女のキャラ弁には、そういう好き嫌いを考慮してなのか、たまにスノオの苦手なものが単品で放り込まれることが多いようだ。

 そして、そういった苦手な一品がやってくると、今回のように私に回してきたりする。

 まったく本当に子供っぽいところがある。そういうところが可愛くも思えるけど、ホントに直せるなら直したほうがいいと思う。

「いいのよ、ママもこういう風に使えっていうつもりで入れてくれるんだろーし……」

「ホントかなぁ」

「……うう」

 言及しようとすると、スノオはお箸を握り締めたまま涙目になってしまう。

 なんというか、困る。

 スノオにはスノオなりの葛藤があるのだろう。大好きなお母さんが作ってくれたものをちゃんと完食したいという気持ちもあるだろうし、苦手を克服してほしいというささやかな思いを無碍にするという気持ちもあるだろうし、スノオの言い分ももしかしたらあるかもしれないし、

 それでもやっぱり苦手なものは苦手なのだろうし……でも結局、

「仕方ないな……じゃあ、交換ね。それでいいでしょ?」

「ほんと? いいの? よかったァ、コハやっぱり優しい……」

「優しい……のかなぁ?」

 甘やかすのと優しいのは違うような気もするけど、まぁ、スノオが救われたような顔をしているので、いいかなあと思ってしまうのは、やっぱり甘いのかもしれない。

「じゃ、卵焼きもらうね」

「うん、いつも通りのだけど……」

「あたしにとっては、ここだけの味だよー。コハの卵焼き大好き」

 スノオがやったみたいに進呈した卵焼きを二口程度であっという間に平らげると、スノオはにこにこと眉根を緩める。

 たしかに何の変哲もない厚焼き玉子の筈だけど、そこまで有難がられると、もしかして別の何かなのではないかと思ってしまう。

 自分で作ったのだから、そんなことはないとは思うのだけど。だとするなら、私の卵焼きもそれなりの品なのだろうか?

 思い上がりだ。そんなワケない。

 アルミカップのピーマンの炒め物を一口食べてみる。

 薄味だけど、しっかり味がついてる。醤油の香りも飛んでいない。絶妙なバランスだと思う。

 やっぱり、ぜんぜん敵わないじゃないか。

「ああ……美味そうだなぁ」

 舌鼓と疑問に小首をかしげているところ、唐突に後ろから呻き声が上がった。

 聞き覚えのある声だけど、先ほどまでは居なかった筈だ。いつの間に戻ってきたのだろうか。

「一条君……ご飯、まだなの?」

 すぐ後ろの席を顧みると、昼休み始まってすぐに教室を出た筈の一条君が机に突っ伏していた。

「ああ……部活のことで呼び出しくらって、俺いっつもパンなんだけど、購買行ったらもう売り切れててさ……」

「あーあ、ご愁傷」

「ちょっと、スノオ」

 いつもの明るさなどどこに消えたのかゾンビの呻きのような一条君に対し、スノオはひどく楽しそうだ。

「いいんじゃない? 一条、いっつもうるせぇし、これくらいのほうが静かでいいよ」

「あ、ひでぇ、姉御ひでぇ……」

「情けない顔すんなキモイ。あと姉御って言うな」

 今にも泣き出しそうな、スノオの弁を借りれば情けない顔をする一条君に、スノオは容赦なく言い捨てる。

 スノオと一条君は、お互い社交的なためか、よく喋ってる印象がある。

 ただ、特別仲がいいわけではないみたい。

 一年生の頃からクラスメイトだったとはいっても、社交的な分だけ喋るという程度なのかもしれない。

 私の主観ではあまり踏み込んだようなところまでは理解できない。

 ただまぁ、お互いに悪い感情は持ってない……と思う。

 とはいえ、このまま一条君をほうっておくのもなんだかかわいそうだ。

「あの、一条君。よかったら、私のお弁当、食べる?」

「え……いや、それは悪いよ。山埜井の昼飯は?」

「あ、私、その、小食だし……」

 なんだろう。本当のことを言ってるのに、あんまり説得力がない気がする。

「い、いや、気持ちはうれしいけど、山埜井の弁当貰ったら、気の毒だし……」

「え……それ、どういう意味なの?」

「あ、いや、えーと……なんというか、俺、男だし、その、結構食うほうだと思うから、その、なんつーかな……」

 一条君の言い方はなんだか要領を得ない。というか、いつも思うけど、私に気を遣っているのか知らないけど、しどろもどろになる理由がまるでわからない。

 他の友達に対してするみたいに、もっと軽快にしてもらっても構わないと思うのだけど……それとも、そんなに喋りにくいのかな、私。

「一条キモイ」

「え、ええっ!?」

 言いよどむ一条君に、スノオは加減を忘れたみたいにストレートに言い捨てる。

 本当にショックを受けたみたいな一条君の顔は、ちょっとコミカルでかわいいかもしれない。

 愛嬌のある人は、どんな表情でも似合うものなんだなぁ。

「コハ、こいつはほっといても平気だよ。こんな猫のおデコみたいなお弁当貰わなくたって、たかればもっと沢山くれる友達いっぱいいるんだからさー」

「え、あ、そっか……」

 いじわるっぽい顔をするスノオの言葉に、ようやく思い至る。

 ああ、確かに私は小食だ。だからいつもお弁当は小さめだし、そんなものが男の子の、ましてけっこう体格のある一条君の胃袋を満たせるとは到底思えない。

 なるほど、一条君が言い出しにくかった理由はコレだったのかもしれない。

「つーわけだから、飯が欲しけりゃ行った行った。たかりに行ってきなー」

「うう、姉御ひでぇ……」

 虫を追い払うみたいにして追い立てられ、一条君はとぼとぼと席を離れていく。

 たしかにこれはちょっとひどいかもしれない。でも、今の私にはどうにも出来ない。

「だから、姉御って言うな!」

 その丸まった背中に、スノオは更に追い討ちをかけるが、返答はなかった。




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